9:商売人
街道の交わる町イエナには、国中から馬車が集まってくる。
乗り場は常に混み合うので、着いて客を降ろし、すぐに走り去っていく。
それなりに長く旅をしてきたのに、別れる時はあっという間。
リザは増えた荷物を持ちだすのに必死で、走り去る馬車に手を振るのが精一杯だった。
「さあ着いたぞ」
「ちょっとヴィクター、これ」
イエナは初めてだと言う二人に、御者は色々教えてくれた。
これまで通ってきた町とは規模が違う。その上古い町なので、道が入り組んでわかりにくく、一部治安の悪い場所もある。
流石に王都よりは小さく、内陸部で港はない。
物流は主に馬車や人の引く荷車で、その分道が混み合うのだと。
「色の付いた馬車ばかりなんだけど!」
「もしお母様たちの仕業だとすれば。一体どれだけの人に知られているんだ……?」
移動は町馬車を勧められたが、パッと見どれがどれやらわからない。
途方に暮れる二人の前に、鮮やかな橙色の馬車が滑り込んできた。
荷台いっぱいに積まれた大きな袋を、近くの建物から飛び出して来た男が次々と運んでいく。
その間のんびりパイプ煙草をふかしていた御者が、二人を見て『あぶねーぞ』と声をかけた。ヴィクターがすかさず話しかける。
「すみません、ちょっと良いですか?」
「あん?」
「この馬車とっても綺麗ですね」
「そうだろう?」
男はニヤリと笑い、ピカピカの幌をこつんと叩く。
「どこで仕上げてくれるんです? お店ですか?」
「俺は乗合馬車の営業所でやった。昨日の昼頃まではそこにいたよ」
目立つ色付き馬車はあっという間に話題になり、その日の夕方には営業所に多くの馬車が集まった。
だが集まりすぎた結果、営業所から追い出されてしまったらしい。
「ありゃ流れの職人かね? 可愛い女の子が二人馬車をピッカピカにしてくれて、その後赤ん坊を抱いた美しいご婦人が色を聞く。そしてすぐに魔法で染めてくれるんだ、あっという間にね!」
「わあ……」
二人は無言で顔を見合わせた。何をしでかしているんですお母様!
「今は違う所にいるんだろうが、ちょっとわからないね。まあどこだってすぐに馬車が集まっちまうから、わかりやすいと思うよ」
「ありがとうございました」
答えてくれた御者に礼を言い、二人は荷物を抱えて歩き出す。
「急いで合流しましょう」
「ああ。手遅れにならないうちに」
「馬車を綺麗にするのはともかく色って何!? お母様は何をしたの?」
「僕にわかるもんか。ただまあ、お母様だからな……」
町中の移動は町馬車が便利だと聞いていた。
御者が揃いのコートを着ているからすぐに分かるとか。
確かに大きな通りに出ると、ひっきりなしに馬車が停まり、客が乗り降りする馬車がある。
二人はそのうちの一つに話しかけ、『馬車がたくさんいるところ』を尋ねてみた。
行き先としては変わった質問だったのだろうが、御者はすぐにピンと来たようだった。
「もしかして色付き馬車の話かい?」
「そうです! ええと、すごく綺麗だから、見てみたくて」
「確かにあれは羨ましくなるよな。こっちは町馬車だから色は塗れないのにさ」
町馬車は自分の持ち物ではないのでダメらしい。
何人かかけあった者がいるが、『営業に差し障りがある』『混乱を招く』と許可が下りなかったとか。
そもそも屋根付き馬車は塗るところが少なそうである。
「昨日までは南門近くの営業所にいたよ。今日は倉庫街で見かけたって誰か言ってたなあ」
「倉庫街に行くには?」
「この馬車じゃなくてあっちの、通りの向こうの馬車に乗るといい。あの花屋の前に停まるから」
「ありがとう!」
『ダメ危ないっ!』
「えっ?」
手がかりがつかめた興奮で、リザは礼もそこそこに走り出す。
直後頭の中にリサの声が響き、思わず立ち竦んだすぐ横を、荷馬車が通り過ぎていく。
「ばっかやろあぶねえだろうがぁ!」
「ご、ごめんなさいっ!」
ここは大通りで、沢山の馬車が行き来している。
道を渡る者は馬車の途切れたタイミングを見計らい、紙一重で擦り抜けていく。
周りも見ずに走り出したリザは、危うく轢かれる所であった。
「ちょっとリザ!」
「びっくりした……心臓が止まるかと思った」
「こっちの台詞だよ、もう」
自分の足で歩くのもいい加減慣れたと思っていたが、まだまだ経験が足りないようだ。
隣からはヴィクターが、頭の中ではリサが、自分がしたことがどれだけ無茶であったか指摘する。
「大きな通りはそれだけ馬車の数が多いんだから」
『他の車に隠れて見えない馬車もいるかもしれない』
「御者は他の馬車とか高い所を見る。歩いてる僕らは目に入らない」
『こういう時は無理に突っ切ろうとしないで、狭い道から渡るのよ』
「住んでる人達は慣れてるだろうけど、僕らは今日初めて来たわけで、道も知らないんだぞ?」
「はい……」
何も言い様がないくらいの正論だ。
反省したリザはヴィクターの後をとぼとぼとついていく。
お母様が心配だなんて、えらそうに思っていたけれど、私も物を知らないのだ。
これまで上手くやってきた自信があったため、リザの落ち込みは深かった。
町馬車に乗り込んだ後も、頭の中では先ほどの御者の怒鳴り声がぐるぐると回っている。
「泣いてないよな?」
「違うわよ! ただ……すごく怖かったんだもの」
「そりゃしょうがない。でもこれで覚えたろ?」
「……うん」
貴族は、特に女性であるリザの外出は限られる。
基本は用事のある場所まで馬車で行くという生活。徒歩で移動する場合も付き添いがいて、ついていくだけで良かった。
だが今は弟と二人だけ。
人々が生活し、仕事をしている町に降りたなら、彼らのやり方に沿わねばならない。
『まあ一つ賢くなったと思えばね? 人生は学習って言うじゃない。落ち込むのもほどほどにしてさ、景色でも見たら?』
乗客を詰め込んだ町馬車は、十字路に差し掛かると大きく向きを変え、平坦でまっすぐな道に入っていく。
背の高い建物が隙間無く建っていて、面白い光景だ。
建物は立派だが、敷地の広い貴族の屋敷とは雰囲気が違う。ここが倉庫街なのだろうか?
『うーん……もしかして商館を兼ねてるのかな? ほら、身なりの良い人が多いでしょう?』
商館? お店ってこと?
『お店を開いている所もあるんじゃない? けどこういう所は支店とか営業所みたいな……商品を置いたり、商会の人が仕事してる部屋があるイメージかな』
リサが話す言葉は時々難しくなる。
リザはまず商売の仕組みを知らない。なんとなく遠くで物を買い、町に持ってきて売るとか、その程度の認識だった。
『基本はそうだよね。安い所から買って高く売れる所で売る。または付加価値を付ける』
付加価値ってなに?
『このお店でしか買えないとか、数を限定して特別感を煽るわけ。皆に欲しい! って思わせたら勝ちよ。評判が広がって、それだけたくさん売れるの』
物を売るにはやり方があるらしい。
そういえばヴィクターも続けて買ってくれる人に安くして、二杯目のお茶は半額とか、色々と工夫していた。
ああいうのも商売をする人達を見て覚えたのだろうか……。
『あなたのお母さんだって──多分だけど、同じ事してるのよ』
「お母様が?」
思わず溢れた言葉にヴィクターが振り向くが、笑って誤魔化す。
『洗えば綺麗になるかもしれない。でも色を付けるのは誰でも出来る事じゃない、よね?』
聞いたこともないわ!
『私は魔法がそもそも珍しいと思っちゃうんだけど、さっきのおじさんは綺麗な色が付いた事を喜んでいたでしょう? 銀貨十枚だっけ? それだけのお金を払う価値があるわけだ』
『お母さん才能あるかもね』なんて言われると、母のやった事が良いことのような気がしてきた。
「……ううん、やっぱりよくない」
この場合、目立つべきではない。
王都から──お父様を帰さない悪い人間が、いつ私達を追いかけてくるかわからない。
だから人前で魔法を使うのは、できるだけ避けた方がいい。
ヴィクターの言う通りだ。私たちの魔法って、少しばかりやり過ぎてしまうみたい。
「おっと」
そんな結論が出た頃、前を見ると馬車が道に詰まっていた。
大きいのも小さいのも幌がかかったのもそうでないのも。
ある意味見慣れた姿で、色が付いているのは一つも無い。
「これって」
「ああ。多分、当たりだ」
御者は慣れたように馬車を操り、ずらりと並ぶ馬車列の先で停止した。
「ここって倉庫街ですか?」
「そうだよ」
「ありがとう」
お金を払って降りると、二人は道の端に寄って歩き出す。
行き来する馬車の邪魔にならないよう、反対側から列を追う。
何度か角を曲がると、列の先が建物の一つに吸い込まれているのが見えた。
「本当にお母様なのかしら」
「間違いないと思うよ」
自信たっぷりに頷いたヴィクターは、堂々と知らない場所へ入っていく。
すかさず守衛らしき人が寄ってきて、リザは思わず息をのんだが、ヴィクターの足は止まらない。
「待て待て! それ以上は入っちゃいかん」
「こんにちは」
愛想良く振る舞う弟に相手は戸惑ったようだった。
「約束のない人は通すなと言われているんだ。悪いが用事があるなら列に並んでくれ」
「いえ、ここで待ち合わせしてるんです」
「待ち合わせだって? 適当な事言っちゃいかんよ。そんな話は聞いてない」
「おかしいなあ」
──どうしてこの子、こんな適当な事が言えるんだろう!
横で見ているリザはハラハラしっぱなしだ。弟が賢い事はわかっているけれど……その自信がいつか大変な事を引き寄せそうで恐ろしい。
「とにかく聞いてみて下さい。ヴィーと姉さんが会いに来たよって。母さんと姉さんはここで馬車の仕事をしてるはずなんだ。僕らもはやく皆に会いたいですし」
「なんだって?」
訝しげではあるものの、自信たっぷりなヴィクターの言い様に、守衛は渋々きびすを返す。
「ちょっとやり過ぎじゃない?」
「何がさ?」
「本当は違ったらどうするの? 追い出されてしまうかも」
「だったら余所を探すだけ。でもきっとここで間違いないよ」
十分ほど待っただろうか。
戻ってきた男は小走りに駆けてきて、帽子を取って汗を拭いながら、『大変失礼しました。どうかお入り下さい』と頭を下げる。
「ね?」
「……もう!」
うまく言葉が出てこない。
それにヴィクターの思い通りに事は動いているわけで。
『気の利いた弟さんじゃない。頼りになるぅ!』
そうだけど! 心配は心配なの!
『きょうだいってそんなもんよ。私も兄貴に散々危ないことするなって言われたっけ……』
確かなのは、私とこの子は考え方がまるで違うということ。
おっかなびっくり守衛の後をついていくと、建物の中に通される。
部屋は思ったより広く、書類の積まれた机が並ぶ。
忙しく立ち働く人たちの間を抜けて、突き当たりのドアをくぐれば、中庭のような場所に出た。
「お母さ──ま?」
そこは荷卸しをする場所らしく、『停止』と『待て』の立て札があり、馬車がつけられるよう十分なスペースが広がっていた。
しかし荷を積んでいる馬車は一つも無く、今まさに運び出している最中の人もいる。
その後馬車は立て札の場所まで進み、両脇からクレアとアンナに挟まれて、みるみるうちに綺麗にされる。
「次の方どうぞ~」
幌布が白さを取り戻すと、馬車は次のステージに送り出される。
「赤!」
「緑!」
「紫!」
母が色の名前を叫びつつ、盛んに腕を振っていた。
色付けはあっという間で、用の済んだ馬車はさっさと出ていく。
一連の作業は流れるように進み、客は最後に木箱の上に立つ人に料金を払うようだ。
たまに帽子を返して金を足元の袋に入れているその男は、随分と疲れた顔をしていた。
「うわっ……思ったより規模がでかい……」
「お母様ーッ!」