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4:奇妙な客

 出発ぎりぎりに乗り込んできた客を見たダズは、眠気にしぼんでいた目を見開いた。

 子連れの女。

 年増だが美人で肌艶もいい。

 身なりはまずまず。赤ん坊を抱いた手にはシミも皺もなく、爪は美しく整えられていた。

 どっか良い所の奥様が、子連れで借金取りから逃げ出してきたのかね……?

 空席になんとか尻を詰め込み、手招く母親に十四、五のおそらく娘らしき少女が続く。

 彼女は幼い妹の手を引いており、無垢で不安げな眼差しがダズを掠めた。

 反射的に俯いて視線をやり過ごす。口元を隠しながら、ようやく運が向いてきたとほくそ笑む。

 皆揃って美形とは、なんて都合のいい獲物だろう。 

 一番高いのはあの娘っ子だろうが、下の子も中々愛らしい顔立ちをしている。赤ん坊にだって使い道はある、裕福な子無し夫婦に跡継ぎを世話してやったりな。

 一つ前の仕事は酷かった。

 乗り合わせたのはくたびれた貧乏人ばかり、それも全員男ときた。

 懐からカードを出し、これ見よがしにちらつかせたが、一部を除き反応は鈍い。『商売』をしようにも、奴ら肝心の金を持ってねえ。

 しみったれた連中が言う『チャンスさえあれば』『見込みはある』『次は必ず』。

 反吐が出る。

 転がり込んでくる幸運(エサ)を待つ奴が報われる日は一生来ない。

 自分で掴みに行かなきゃ運なんて来るものか。腹を決めて、金の為ならなんだってやる、それが悪党ダズのやり方だ。


「奥さんにお嬢さん、乗り合い馬車は初めてかい? 窮屈な所だが、よろしく頼むよ」


 見ればダズ以外も、チラチラ視線をやっている者がいた。

 とうとう耐えられなくなったのか、その中の一人が声をかける。


「あら、こんにちは」


 女は目線を動かさない。言葉もどこかずれた返答だった。何か他に気にかかることがあるようだ。

 大きな目をぱちぱちとさせた赤ん坊がくしゃみをする。

 上の娘は床に置きかけた荷物を持ち上げ、一家全員が揃って足を浮かす。

 なんだそいつは。何かのまじないか?


「……駄目、とても耐えられない! 皆様どうか足をあげてくださる?」

「はあ?」


 揺れる馬車の中で素直に足を上げたのは、端にいた商人風の、多少身なりのマシな若僧だけ。

 女が指を立て、何かを言う。

 足元に風が起こった。

 女のいる入り口側から奥へ、見えない何かが床を這い回る。

 足に触れる怖気立つ感触、あちこちで上がる悲鳴──ダズもその一人だった。足裏を小枝でくすぐられるような、なんとも奇妙な感触に、慌てて足を持ち上げる。


「なんだってんだ!」

「ご安心なさって。終わりましたわ」

「なにを……っ!?」


 乗客達は仰天する。

 何年もの間客の靴の泥を擦られ続け、たまにしか掃き出してもらえなかったであろう荷台の床が、新品のようにピカピカになっていたからだ。


「おかあさま、まだココが取れないみたい」

「頑固な汚れね。もう手加減しないわよ」

「んぶぁっ!?」


 運悪く足元にそれをくらったダズは悶絶する。

 しっかり靴を履いているのに、あらゆる角度から足が無数の小枝でつつかれる。

 意志に反し出続けるヒヒヒアハハとひっくり返った声。痛いわけではないのに、どんな折檻よりも辛かった。


「ヒイイやめてくれぇー! ぎあっ! うごぉっ!」

「あらあら」


 ハアハアと荒い息を吐くダズの足に、周囲の視線が突き刺さる。

 履きっぱなしの汚れた靴は、床同様ピカピカに磨かれていた……いささか磨きすぎたくらいだ。ケチって安い修繕に出した縫い跡が目立って見える。

 たまらず顔を上げると、女はいかにも自分は良いことをした、というような顔で満足そうに頷いて見せた。


「ぐ……っ」


 自信に溢れた顔を見ていると、途端に恐ろしくなってくる。

 今のは魔法に違いない。こんなにあっさりできるもんなのか!

 ここまで効果のある魔法を使う奴がその辺にいてたまるかよ。どこかのお屋敷に勤めてたっておかしくはねえ、しかもまだまだ余裕そうな面してやがる。

 ただ床が汚いというだけで、それも自分の物でもない馬車の床を、わざわざ魔法を使って掃除するなど考えられない。

 こいつは相当な手練れだ、ひょっとしたらヤバい連中と繋がってるかもしれねえ。

 魔法が使える奴はヤバい。

 見た目でわからない力というのはそれだけで恐ろしい。

 以前仕事で出入りしていた組織に魔法使いがいた。

 恐ろしい女だった。

 手に何も持っていないのに火が出て、女が触れた場所は焼けた鉄を押しつけられたような酷い火傷を負う。

 ボスの情婦(イロ)で元は貴族家の使用人だったとか、そんな話を聞いた。

 そのせいか相手が誰であろうと平然と人を焼く。

 周りは腫れ物扱いで、ボス以上に気を遣っていたように思う。

 文句は駄目だ、礼を言うか──

 しかし迷っている内に彼女はダズから興味を失い、子供達に足を下ろすようにと言った。


「これで鞄を置いても大丈夫ね。お母様、ありがとう」

「どういたしまして。でもまだ壁が気になるわねえ」

「木で出来ているようですわ。隙間があって、風がそこから吹いて、だからこんなに寒いのね」

「おそとと変わらないの」

「そうね、アンナ。きっと窓がなくても景色が見えるように、わざとあけてあるのよ。この天井の部分は布かしら?」


 おかしなのは母親だけではなかった。

 娘達も次々と車内の汚れを見つけ出し、わくわくした様子で魔法を使う。

 二人はまるで競うようにして壁や天井を綺麗にし、母親そっくりの顔で席にふんぞり返った。


「ねえさま」


 下の娘が服の裾部分を掴む。

 前掛けに皺が寄っているのと、泥が跳ねているのが気に入らないらしい。

 かざそうとした手を、隣の姉がぎゅっと掴む。


「あれは停まってからじゃないと。リザに言われたでしょう、『窓がない所は蒸気がこもって危険』だって」

「あっ、やけどしちゃう!」

「あの嫌な虫もすぐ動かなくなったわね!」


 いとも無邪気に放たれた言葉にゾッとする。

 視線を逸らし、俯いたダズは寝たふりをした。例の女の引きつった笑顔が脳裏に浮かぶ。


『簡単よ。私はずっとそういう仕事をしてきたの』


 あんなのを雇うなんざ、貴族ってのは狂ってる。

 それとも雇われたらおかしくなっちまうのか。華やかな屋敷の中では、組織の連中が優しく思えるほど凄惨な拷問が繰り広げられているかもしれない。

 この女と娘共も同類だ。手を出したが最後、虫みたいに焼かれて道端に放り出されちまう──冗談じゃない! 絶対に関わらないぞ。

 心に決めたダズは、小休憩の時間まで顔を上げなかった。






「仕方のないことよ」


 今頃好き勝手やっているであろう母や姉の事を考えるのは止めた。

 考えても仕方がないからだ。それに多分もうやっちゃってる。


「それより今後の事を考えましょ。水売りが繁盛する事は分かったし」

「うん。一旦姉さんの意見を聞こうか」

「私?」


 その眼差しに浮かぶのは期待。

 頭の中でリサの教えてくれた事が、リザ本人の知識と判断だと思われている。


「……馬車の切符は買えたけど、これから何度も乗る事になるのよね。長い旅ですもの」

「そうだね」

「お金があっても続けて乗るのは無理だと思う。たった半日で体がかちこち」

「尻も痛いしね」

「だから途中町に立ち寄って、宿代や、次の切符を買うお金を稼ぐ事になるわよね」

「具体的には?」


 頭の中のリサはううん、と唸ったきりだ。

 リサにも分からない事があるなんて。


『私は仕事をしていたの。旅をしながら稼いでいたわけじゃない』


 リサが旅の途中で使うお金は、事前に貯めておいたもの。


『頼まれて譲った事はあるけど、売った事はないね。もちろんどこでも商売人みたいな人はいるんだけど、大抵ひっかけようっていう胡散臭い連中だからなあ。バスの中でお土産品を売りつけようとしたりさ』


 物を売るのは難しいと思う。家の物はほとんど持ち出せなかったの。


『自分の持ち物じゃなくて、ああいう人達は行く先々で仕入れるの。要するに安く買って高く売る』


 そんなやり方があるの!


『でもそれが難しい。売れる物を探して、もちろん買うお金も必要だし、誰も欲しがらない物を買ったら大損よ。それが商売』


 ああそうか、お父様が贈ったバラもきっと。

 インプリー家に持ち込まれていた品は、どこか違う場所で作られ、商人の目を通し、運ばれて来た訳だ。そう考えると不思議な気がする……。

 

「何か思いついた?」

「水やお湯みたいに、何か売れるものがあればと思うの」


 二人で色々と案を出し合ったが、これという物がない。

 庶民が買う物、欲しがる物がわからないのだ。ヴィクターは『もっと調べる必要がある』とすぐに切り替えていたけれど。


「私たち何も知らないんだわ」

「知らなくていい世界に居たからな」


 知らない場所に放り出され、最初はとても怖かった。

 家族は離ればなれで庶民の馬車に乗り、行った事も無い町へ向かっている。

 

「でもこれから知っていく事は出来る。それに意外にうまくいってるよ。姉さんのおかげでね」

「ヴィー……」

「だからそれ止めろって言ってるだろ」


 ヴィクターが渋い顔をして見せたので、思わず笑ってしまう。

 そうよ、大変だけど……私達誰も泣かなかった。こうして王都から出られたんだ。

 何だかやっていける気がする!




「うう……もうダメ。歩けない」


 一日目の夜は到着が遅れ、町に着いたのは日が落ちてからだった。

 野営より安全だが、泊まる場所が必要になる。かと言って安宿に潜り込むには、二人は幼過ぎたようだ。


「お金があれば泊まれると思ったのに」

「多分親切で言ってる。ああいう場所は変な客もいるから」


 男女別でもない大部屋は、自分で身を守れる大人向け。

 受付の男は二人を見るなり首を振り、『うちの客じゃない』と泊めてくれなかったのだ。


「明日は2回目の鐘の前に門の前、だった?」

「それまで此処に座ってる気か? ほら立てよ」

「お尻痛い。まだ揺れてる気がする」


 それに馬車がこんなに疲れるなんて知らなかった。

 乗り心地が悪くガタガタと揺れる馬車は、座っているだけでも体力を消耗する。

 たまに休憩が入ると皆我先にと飛び出していくが、あれは用を足す以外に体をほぐすためなのだろう。


「そこまで寒くないのよね。朝まで座っているのはどう?」

「夜は冷えるぞ。それにこんな町の真ん中にいたら家の無い子供だと思われて追い出される」

「それって間違いじゃないわよね」

「他にも宿はある筈だ。探そう」


 リザは渋々腰を上げた。弟の言うことが正しいと分かっていたから。

 それにリサが『町! 見に行こう!』とうるさい。


「人が大勢いるのね。お祭りかしら?」

「王都に近いから、通る荷も馬車も多いんだろ……今の見た?」

「焼いた肉をそのまま手に持ってた」


 二人の足は自然と良い匂いのする方へ向かう。

 王都よりは小規模ながら、露店の並ぶ賑やかな通り。普通に物を並べている店もあるけれど、やはりその場で調理して出す店が目を引く。


「どうする?」


 落ち着いて、リザ。宿代の事を考えなくちゃ。

 前に皆で泊まったような良い宿でなくても、少なくとも鍵のかかる個室が必要だ。

 冷静に考える一方で、さっきから腹がぐうぐう鳴っている。

 肉や脂の焼ける匂い……ワイラ婦人なら絶対許さないだろう『子供に悪い食べ物』が鉄板の上に並んでいた。

 とうとう我慢できなくなったリザは、震える手で腿肉を指さす。

 鳥なら大丈夫。鴨のローストはお父様の大好物だったもの。


「これは鴨ですか?」

「ええ? なんだって?」

「これ何の肉?」

「鳩だよ、うまいぞ」


 食べた事があるか、ちょっと記憶にない。

 食卓では話題になっていたかもしれないが、興味がなかった。

 でも、少なくとも材料が何かは分かる訳で……リサも『食べたことある。おいしい』と言ってるし、鍋でぐつぐつしている茶色の煮込みよりは、まだ抵抗が少ない。

 

「ではそれを二つ」

「あいよ!」


 お金を渡すと、骨の所に葉っぱを巻いて渡された。

 受け取ったヴィクターが、愛想の良い声で言う。


「今日馬車で着いたんだけど、おじさんいい宿知らない? 姉さんもいるし、大部屋はちょっとね」

「お前ら二人だけか?」


 睨まれた気がしてドキッとする。

 だがヴィクターは堂々と『そうだよ』なんて言ってしまった。


「ソフネの大店に働き口があるって。僕らそろって奉公さ」

「そいつぁいいな!」


 ヴィクターの口の回ること。ソフネなんて行きもしないのに。

 空腹も手伝って目を回しそうだったが、リザは懸命に笑顔を浮かべた。


「この通りを進んで最初の角で右に曲がる。三つ叉に別れた道の左に行くと、青い布を下げた『小鳩亭』って女将がやってる宿がある」


 最初の安宿よりは値が張るが、王都の宿よりは安い。

 食事が出来て酒も出すらしい。そっちに用事はないが、『でかい桶が借りられる』という言葉にリザは飛びついた。


「通りの肉屋から言われて来たって言え」

「安くなる?」

「俺がな。たまに飲みに行くんだよ」

「なんだよ。でもありがとう!」


 二人は礼を言って店を離れる。


「ソフネの大店って何」

「今後はそういう設定で行く。何せお湯を売る程の姉さんだから」

「奉公っていうのは使用人のこと?」

「やれやれ、そこからか」

「ちょっと! 歩きながら食べてるの?」


 手にした鳩を、ヴィクターはあっという間に食べてしまった。

 骨をしゃぶって上手に軟骨を外す技まで教えてくれる。いったい何処で覚えたのやら。


「冷める前に食べた方がいい。いらないならもらうけど?」

「馬鹿なこと言わないで」


 手にした腿肉を囓る。

 濃厚な肉の味が口の中に広がって、後は夢中だった。  

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面白いなぁ。 雑踏の雰囲気と場違いな感覚が映像で再生される描写力!
おもしろ〜〜〜〜! リサが万能じゃないのも良いですね。なんでも知って導いてくれるわけじゃないけど前向きになれるきっかけをくれる、という匙加減が絶妙です。 今後が楽しみ…!
続気待ってます!
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