12:御者は雇うもの
「はい、代金はこちら。毎度あり……」
丸っこくて光り、じゃらじゃらと鳴る、帽子の中に落とされる金。
最初は喜んで受け取っていたのだが、正直今は苦痛でしかない。昨日今日と金を見過ぎて、感覚がおかしくなってきたようだ。
「はいどうも」
銅貨に銀貨、たまに金貨って時もある。
最初は興奮したが、何度か繰り返すうちにこいつはかなり面倒だと気が付いた。
一々釣りを数えて渡さなければならないし、間違えると即苦情が来る。
かと言って何台も続けて馬車が来るまとめ払いの時は、あらかじめ知らせが来るので気が抜けない。
これだけ四方がひらけていると、ポケットにちょろまかす事もできやしないのだ。
『よく気をつけて数えること』とカモ野郎には念押しされた。
……クソ、あんなのもうカモでもなんでもねえよ、無関係の俺をこき使いやがって。
何故町に着いた時に逃げ出さなかったのか。
わかってる、欲を掻いたからだ。
部外者が商会の敷地や建物の中まで見られる機会は滅多にない。
扉の数、窓の位置、警備の数。覚えて帰れば情報だけでも一儲け。
意気揚々と乗り込んだダズは、しかしその堅牢ぶりにおののいた。
体格の良い警備に、要所に取り付けられている鉄の扉。
肝心の品はその日のうちに積み替えられ、店舗または各地の支店へ。
金はさっさと手形に変えて、ここにあるのは紙ばかり。
「……ちくしょう、老舗らしい手堅い商売しやがって」
忍び込める隙なんてありゃしねえ。
後悔してももう遅い。
嘆く間にも馬車は次々やってくる。
きっちり十台見送って、十一台目手前で大きく腕を振った。
御者は慣れた様子でダズの立つ木箱に横付けし、差し出した帽子の中へ代金を入れる。
二、四、六……十枚きっちり数えた後、掠れた声で繰り返す。
「はいよ、確かに」
この台詞も言い飽きた。
何しろ足りないか多いか、または『釣りです、どうぞ』くらいしかパターンがない。
受け取った代金を袋の中に空け、また次の馬車に備える。
「青!」
赤ん坊を抱いた女魔法使いが魔法を放つ。
朝からぶっ続けでやってんのに、あの女の体力はどうなってんだ。
威勢のいい掛け声に、あっという間に色を変える馬車。
せっせと掃除しているガキ共といい、そろそろへたばってもいい筈なのに。
金を受け取るだけの俺が、こんなにくたびれてるんだぞ?
「紫!」
じゃらりと音を立て、袋に落ちる金。
一体いつまで続くんだ……
「リザ! ヴィクター! 無事だったのね!」
「おねえさまーっ!」
突如響き渡る声が、絶望と疲労でぼやけたダズの意識を叩き起こす。
一体何が起こった?
顔を上げると、なんと新たに子供が二人増えていた。
あのガキがはしゃいで飛びついているのが姉で? 荷物を持っているのは……格好からして男かね。
用事があると言う割にちっとも出かけないのが不思議だったが、あいつら身内を待ってたのか。
「なんだかよくわからんが、良かったなあ」
払い終えた客が、そんな事を言って去って行く。
再会を喜び合う家族をぼんやり眺めていたダズは、ふと我に返った。
周囲を見渡せば、誰もが一家に釘付け。
場を仕切っていたトーマスも話の輪に加わり、ダズから目を外している。これは、チャンスでは?
「……チッ!」
一瞬袋を掴みかけて離す。
何しろ重過ぎた。よほどの力自慢か、それこそ馬車が無ければ運べない。
ダズは素早く木箱から降り、帽子を握って一目散に逃げ出した。
「ああもう、何やってんだ俺は」
バカ広い倉庫街をようやく抜けだし、這々の体で町へ戻ってきたダズは、思わず拳で壁を打った。
金も稼げず、ただ働き。
仕入れた情報は役に立ちそうになく、トーマスを攫う計画も、今や著しくやる気を失っていた。
あの警備をかいくぐって奴を攫う?
相当な人数が必要だし、どの道あの魔法使い一家と関わるとなると、明らかにリスクがでかすぎる。
「腹が、減った……」
商会にいる間一応メシは出たのだが、それはちゃんと料理された『食事』だった。
その場で食べるしかなく、持ち帰りなんてもってのほか。
上等なパンは柔らかくうまいが、日持ちしないのだ。
後生大事にとっておき、カビさせて後悔した事のあるダズは、出てきた料理は片っ端から腹におさめるようにしている。
「あの肉のソースにパイ包み、わけわからんぐらいうまかったが、食っちまえば無くなるんだよなあ……」
少ない荷物からカチカチのパンを取り出し、薄く切って頬張る。
朝食べたものとは悲しいほど違う、しかし馴染んだ雑穀の味を噛みしめて、とぼとぼと歩き出す。
途中で馬車を拾おうにも、随分な町外れに来てしまったようで、人の姿もまばらだ。
「こっちは職人街だったか」
目的の店や宿がある通りとは反対方向にある職人街。
金物を打つ音や、何かの装置の作動音が響き、騒がしい。
行けども行けども工房や加工所ばかり。食事を取れるような場所は見当たらず、たまにある店も職人向けの卸売りで、ダズには用事のないものだ。
「仕方ねえ。大通りまで出るしかねえか」
握っていた帽子を広げ、皺の寄った所を延ばしていると、光るものが転げ落ちた。
咄嗟に掴むと、それは銀貨だった。
一枚だけ引っかかっていたそれを、手の中に握り締める。
「なんだ、持って来ちまったのか」
丸二日身体を使って働いて、銀貨一枚。
クッと喉の奥が鳴って、そのうち笑いが止まらなくなる。
あれだけ苦労して、神経をすり減らし、ガキに媚びを売って、得た金がたった銀貨一枚とは!
「フハッ……ハハハハッ!」
こいつはお笑いだ。
悪党ダズが、完敗だ。誰にも一度も手を出せず、尻が痛くなっただけ。
くたびれ儲けの旅だった。ただ町を移動しただけで、腹を減らし懐は寂しく、獲物の目付もやり直し。
「全部あのガキのせいだ」
あいつが俺を捕まえて弱らせ、鼻面を引き回した。
奴は徹底的に邪魔をした。乗客から小金を巻き上げるチャンスを潰し、町に着いたら目の前をうろちょろして、旅の間ずっと俺に話しかけ、笑って、懐いて、はしゃぎ回って。
「……クソが」
手の中の銀貨をポケットに落とす。
財布に入れるのは躊躇われた。こいつでパンを買うのも、賭場の種銭にするのも、何か違う気がした。
「こいつは、俺のじゃないからな」
少しずつ傾いていく太陽と、斜めに伸びていく影。
商会の馬車から荷物を移し替えていたヴィクターが、ふと空を見上げて言う。
「雨が降ってきそうだな」
「こんなに晴れてるのに?」
「西から雲が来てるだろ。流れが早い」
リザが事務所を覗くと、売主と世間話をする母と、懸命に袋のお金を数えるトーマス氏が見えた。
契約は終わり、後は支払いさえ済めば馬車は私たちのものになる……。
「こんな事になるなんてね」
「いいんじゃないか。どのみち馬は要ると思ってた。お祖父様の土地は険しいから、馬車が通っているかも怪しいってさ」
「馬……はあ」
乗馬は貴族の嗜みと言われているけれど、リザは苦手だった。
姉を乗せてトコトコ駆けていく馬も、リザを乗せた途端石のように動かなくなる。
先生からは『馬に下に見られないように』と注意を受けたが、具体的な指示はなく。
『私を乗せて走れという気迫』だの『馬に負けないという気合い』などと言われ、苦手意識はなくならなかった。
「思ったより早く決まったわね」
「乗り心地が良い。大きさもほどほど。悪くないんじゃないか」
「お金が足りるといいけど」
「大丈夫だよ。トーマスさんが数えてる筈だ」
「えっ、いつの間に?」
「客の数、馬車の数で大体の売り上げが分かる。だろ?」
「……ああ!」
相変わらずヴィクターは商売に強い。
比べると自分は考えが遅れているように思う。ほんの少し心がチクッとしたが、それでも安心する気持ちの方が強い。
ヴィクターはヴィクターの、私は私の得意なことをすればいい。
「馬車を買ったら余計なお金はかからない?」
「飼い葉代は要るぞ。これだけあっても三日分だって。草ばかり食わせても進まないし」
「お水は出してあげられるけど、飼い葉は途中で買わなきゃね」
「確か馬用のパンがあるはずだ」
荷を積み終わると、ヴィクターが縄を持ってきた。
店の人に言われた通り、二人でしっかりと荷をくくりつける。
これをしないと振動で落ちてしまう。荷馬車のような広いスペースがないので、できるだけ詰めて動かない事を確かめる。
「良さそうよ」
「そういえば姉さんは?」
「さっきまでアンナとその辺に……ああ、ほら戻ってき、た?」
退屈がるアンナを連れて、敷地内を見回っていたはずの姉。
二人はドレスの裾を持ち、必死に駆けてくる。
「どうしたの?」
「兵士よ!」
切れ切れの息の下から、姉が鋭く発した言葉。
一瞬で血の気が引いた。兵士? どうして? なぜここが分かったの?
「あれは、イエナ領の旗に、間違いないわっ……」
「なんだって……」
「腰に剣を差した兵士が、道の向こうから、順番に来てる。もうすぐ、この建物にも」
「……アンナっ!」
その瞬間リザは半泣きのアンナを抱き上げて馬車に乗せ、ヴィクターは身を翻して事務所へ向かった。
クレアを座席に押し上げ、リザもなんとか這い上がり、三人でしっかり帽子を被る。
「私たち捕まるかしら?」
「大丈夫よきっと。見ただけで分かるはずないもの」
「こわい、こわいぃ……っ」
「泣いちゃダメ!」
アンナがびくりと肩を震わせる。
事務所の扉が開き、母とヴィクターが飛び出してきた。
「ヴィー急いで! 早く!」
「出発だ!」
ヴィクターが御者台に上がり、手綱を掴む。
滑るような足取りでやってきた母は、馬車の取っ手に捕まると、ステップなしにひらりと飛び乗った。
合図を受けた馬が動き出す。馬車が動く──動いてる!
「待ってください! 忘れ物です!」
転がるように追いかけてきたトーマス氏が、小さくなった袋を抱えてぴょんぴょん跳ねる。
馬車代を引いて残ったお金だという事だったが、止まる事はできない。
「場所をお借りした代金ですわ! ありがとう! ごきげんよう!」
「ごきげんよう! ええっ?」
立ち尽くすトーマス氏がみるみる小さくなっていく。
正直それどころではなかった。
いよいよ道路に出ようとする馬車が、大きく傾いで左に曲がったからだ。
「きゃああ!」
「危ない! 早すぎるわ!」
「馬が言う事を聞かないんだ!」
「どうしてよ! あなた乗馬は得意でしょ!」
「御者なんてやったことないよ!」
ここに来てリザは計算違いに気付く。
私たち、誰も御者をした経験がないんだわ。だって御者は雇うものだもの!
「御者が付いてるか確認するべきだったわね!」
「そんな事言ってる場合じゃ……」
「気のせいかしら? ますます早くなってない?」
「気のせいじゃない! 止まらない!」
まっすぐの道を、馬は速度を上げ進んでいく。
座席が上下する度悲鳴が上がり、リザも気付いたら叫んでいた。
「ひっ……」
「動いちゃダメ! アンナ、おねがい!」
腕に抱いていたアンナが、ぐいと身を逸らせた。
薄暗さを増してきた空から、ぽつりと雫が垂れる。
雨まで降り出すとは散々だ。ダズは襟を立て、足早に道を渡った。
この道をしばらく進めば大きな通りに出られる。
「まずはメシだな」
早い所屋根のある所に転がり込んで、体をあたためて、それから──
「ん?」
悲鳴が聞こえたような気がして立ち止まる。
女子供がうろつく場所ではない。気のせいかと再び歩を進めたダズの耳に、地面を蹴る蹄鉄と、金属の擦れるガチャガチャとした音が聞こえてきた。
「こいつは……」
振り向いたダズは荒々しく地面を蹴る馬と、必死で手綱をひく御者見て息をのむ。
暴走馬車だ!
馬はますます速度を上げ、乗客は悲鳴を上げ続けているが、どうする事もできない。
酷い事故の予感に目を瞑る。
だが通り過ぎる一瞬に、悲鳴に混じり聞き覚えのある声がした。
「おじさまーっ!」
目の前を馬車が過ぎていく。
座席から必死に手を伸ばし、叫ぶ子供がいた。
嘘だろう、なんでお前がここにいる!
「たすけてええっ!」
ダズは猛然と走り出した。
馬車の速度も目の前の道も、何故自分がそれを追いかけているかもわからない。
若い時とは違う。すぐ息が切れる。
逃げ足が自慢だったあの頃に比べ、なんと体の重たいことか。
「──っ!」
それでも足は止まらない。
店主の目を掠めパンを奪い、釣り銭を盗って逃げるよりも速く、速く。
「いくぞ、よけろっ!」
御者台へ飛びかかるようにしてしがみつき、手綱を引き寄せる。
御者はまだ子供で、小刻みに震えている。隣に尻を収めると、ダズは深呼吸をして馬を少しずつ側道へと誘導した。
「無理に止めようとするんじゃねえ。行きたいように行かせてやれ」
「あ……ああ……」
「ちぃっと揺れるぞ」
うまいことにこの先は上り坂だ。
座席は斜めになるも、重さがかかって馬の足が鈍り出す。
上がりきった所の方向転換も、幸い受け入れてくれた。
他に馬車や人がいない事を確かめ、肘で手綱を引くと、馬車はゆっくりと停止する。
「……ふう」
「おじさまっ!」
「ぐえっ!?」
背中に飛びつく重みと感触。
微かに、やがて盛大に聞こえてきた泣き声。
ああ、やっちまった……。
「ダズさん……」
うわあ、心の底から見たくねえ。
聞いた者の心を震わせるが如く、美しい声が名を呼ぶ。
覚悟を決めたダズは精一杯の笑顔を浮かべ、振り向いた。
「や、どうも。またお会いしましたね──」
「あなたは命の恩人よ」
キラキラ輝く瞳が二、四、六、八つ。
「本当に。ダズさんがいなかったら、私たち助からなかったわ」
「助けてくれてありがとうダズさん!」
「あう、ああー」
いたたまれずに横を見ればもう二つ。
クソ、増えてやがる。首の後ろにもまだひっついてる。
「ありがとうございますダズ……さん? 助かりました、一時はどうなる事かと」
「おじさまああああ! あー! こわかったー!」
俺にどうしろっつーんだよ。
泣き止まない子供と赤ん坊、礼しか言わない魔法使い共に囲まれて、ダズは途方に暮れた。
「……行ってしまわれた」
手の中の袋を見て、トーマスは肩を落とす。
あれだけ繁盛した商売をあっさりと手放し、一日で莫大な稼ぎを得ながら、金に執着することなく去って行く。
商人である自分には到底理解出来ない。
しかしあのアイデアは素晴らしく……商談に間に合わせてくれたこと、幌布の商売についてもこころよく許してくれるなど、女神のような方だった。ええ、きっと成功させてみせますとも!
「本当に行っちまったのかい?」
「ええ」
「よほど急ぎの用事があったのかね」
「そうみたいですねえ。本日は無理を言ってすみませんでした」
「払いの良い客なら大歓迎さ。バリー商会さんにはいつも世話になってるし」
商会の馬車を扱うこの工房とも、長い付き合いになる。
店の構えは大きくないが、腕が良く多少の無理も利かせてくれる。
特に今回のような依頼は、余所の店では難しかっただろう。
「おや……」
入り口の所にマントを着た兵の姿がある。
イエナ領主の名の下に、町周辺の治安を守る警備兵達だ。
何を隠そう警備兵のマントはバリー商会製。
トーマスも何度か納品に足を向けている。隊長とは顔見知りの間柄である。
工房の主人と共に出て行くと、見た顔が何人もいた。口ひげの男がにこやかに手を上げる。
「やあどうも、お世話になっております」
「おお、バリー商会の……お仕事ですかな?」
「そんな所で」
軽く雑談を交えた後、男は表情を正して言った。
「北側の街道で商隊が襲われたと知らせが入ってきましてね。どうやらよくない連中が居るようです。馬車を使う際は、くれぐれもご注意を」