4.いつもの味だ
追放当日の朝を迎えた。とはいえ、することは特にない。やるべきことは、昨日のうちに大方終えてしまっているからだ。買い物もそうだが、冒険者組合の職員への挨拶もできた。だから、俺は追放前にも関わらず、かなり余裕のある朝を過ごせているのだ。
「ゲンジ様、帝都から出たあとはどうなさるおつもりですか」
フロートには昨日話したけれど、コルレにはまだ話していなかったな。
「ひとまずは、帝都を出て西にある農村に行こうと思う」
「帝都から歩くとだいたい5時間程度でしょうか。あの村までは道路も整備されていますから……」
「いや、馬車に乗っていくから、調子がよければ一時間くらいで着くぞ」
昨日街に出たときに、冒険者組合のツテで作物を帝都におろして農村に戻る馬車に乗せてもらえることになった。積み荷用の馬車とはいえ、卵が割れないようにある程度の衝撃を吸収するような造りになっているから、乗り心地はまずまずだろう。
組合には、しばらく帝都を離れるということしか言っていない。帝国として俺の追放は現時点で非公式なもので、国民には知られていない。皇帝即位と同時に第二皇子を追放したということが明るみになれば、周辺国から良からぬ勘繰りをされてしまう恐れがあるからだ。帝国の威信に関わるため、兄上や側近たちは当然の判断をしたまで。そこに俺への恩情などない。
「それで、フロートさんとはどこで合流するのですか」
「馬車が冒険者組合の前で待っていてくれるから、フロートともそこで合流する」
フロートも俺たちと一緒に行くことは、昨晩伝えた。そうしたら、コルレは鬼のような形相で、もっと早く言ってくれと声を荒げていた。
「でも、良かったです」
「何がだ?」
「ゲンジ様にも、困ったときに助けてくれる友人ができて……本当に良かった」
コルレはホッとしたような表情を浮かべた。
生まれてからずっと一緒にいるコルレは、俺が友人に恵まれなかったことをよく知っている。母上の実家であるタクラン公爵家をよく思わない高位貴族からの嫌がらせは勿論のこと、低位の貴族たちは俺に取り入ろうとするばかり。対等に話せる相手なんて、ずっといなかった。そんな俺の姿を近くで見てきたからこそ、コルレは俺に親友と呼べるような人ができたことの大きさをよく理解しているのだ。
時間になるまで、俺は最後になるであろう皇宮を散歩することにした。
温室には、様々な花がところ狭しと植えられている。小さいときは、コルレとその母とよく来ていた。
「『お花さん、元気になぁれ』……あっ」
つい、小さいときの癖で唱えてしまった。はっとしてキョロキョロと辺りを見渡したが、近くには誰もいなかった。良かった、誰にも聞かれていない。
かつてコルレの母は、この温室に来るとよく手品を見せてくれた。彼女が枯れかけている植物に触れると、さっきまで生気を失っていた葉が青々とよみがえり、綺麗な花を咲かせるのだ。それが面白くて、俺は何度も「もう一回」とせがんだのを覚えている。さっき口に出たのは、そのときの呪文だった。
ゆっくりと花を見るために近くの椅子に腰かけようとした、そのときだった。
「オーキッドの花……ああ忌々しいッ! 捨てておしまいッ!」
温室の奥の方から、かん高い声が響いた。姿は見えないが、誰の声だかすぐにわかった。先帝の正妃であるカイザリーンだ。
オーキッドの花は、タクラン公爵家の家紋にあしらわれている。だから彼女は、横暴にも温室にあるオーキッドの花を捨てるよう命じたのだろう。
俺はカイザリーンに会わないよう、すぐさま引き返して温室を出た。あの声を聞いたら、もう皇宮内を散歩する気など失せてしまう。むしろ、一刻も早く帝都から出たいと思ってしまうほどに、あの声を聞くと身の毛がよだつ。
自室に戻ると、すでにコルレが昼食を用意して待っていた。皇宮の食事も、これで最後だ。パンを手に取ってちぎると、小麦の発酵した香りが食欲をそそる。口に含むと、しっとりとしていて、早朝から仕込みをしていた皇宮料理人の凄みが感じられた。俺がこれまで何気なく口にしていたパンも、もう食べられなくなってしまうのだ。皇宮では嫌なこともたくさんあったけれど、なんてことはない日常がかけがえないものだったと、失うことになってはじめて気づかされた。
「本当に美味しい……料理人には感謝しなくてはいけないな」
「勿体ないお言葉です、ゲンジ様」
コルレは、遠慮がちに首を横に振った。
ん? どうしてコルレが謙遜するんだ? だって、皇宮の食事はすべて皇宮料理人が作っているはずだ。
「ゲンジ様のお食事は、皇宮料理人が作ったものとは別に、いつも私が用意しておりますので」
幼い頃は母が作っていましたけれど、とコルレは付け足した。
俺は何も知らなかった。勝手に、皇宮料理人が作ったものだと思っていたのがなんだか申し訳ない。
「そうだったのか……。コルレ、いつも美味しい料理をありがとう」
これまでの分を含めて、感謝を伝えた。
でも、どうして俺だけ皆と食事を分けられていたのだろうか。昔は、皆と同じ場所で同じ食事を取ったことがあったような気がする。
『わたくしが毒を盛ったという証拠はあるのッ! 言い掛かりはやめてくださらないかしらッ!』
薄れていく意識の中で、あの耳をつんざくような高音だけが頭に響いていた。
ああ、そういうことか……。
忘れていた。いや、思い出したくなくて無意識に記憶の底に封じたのかもしれない。俺はあの日、兄上に誘われて晩餐をすることになった。母上が亡くなってからは一人で食事を取っていた俺は、カイザリーンのことが怖かったけれど、大好きな兄上と一緒に食事ができるのが嬉しくて、会場に向かった。
なのに。
俺のスープにだけ毒が盛られていた。結局、誰が犯人だったのかはわかっていない。
そうか。二度と危険なものを口にしないように、コルレは俺のことを守ってくれていたのだ。
「これからも私が責任を持って、お食事を作らせて頂きます」
「ああ、よろしくなッ!」
最後の昼食なんかじゃない。これからも食べ続けるかけがえのない、いつもの味だ。俺のことを思って作られた、俺だけの味。
あぁ、いつもの味だ。
あったかくて、やさしい味に思わず笑みが溢れる。俺はスープを、いつもよりゆっくり味わって飲み込んだ。
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