戦落とし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんなは、同じものでも高いところから落とすと、どうして派手に壊れるのか知っているかな?
そう、位置エネルギーの問題だね。
重力のある場において、高いところにある物体はそれだけでエネルギーを持っているといえる。さらに物体の移動経路によって仕事の大きさが変わることのない「保存力」を重力は要しているんだ。
不変、という言葉はしばしば我々の心をとらえる。
諸行無常の理から外れることは、つまり超常的な性質につながるわけで、滅ぶことを知っている身からすれば、強いあこがれを呼びおこされるものだ。
その落下という概念がもたらした、奇妙な昔話を先生は聞いたことがあるんだが、みんなも耳に入れてみないか?
むかしむかし。まだ日本に戦が身近にあったときのこと。
一人の少年が、夜の闇の中を急いでいた。
彼の住む村の近辺で、つい2日ほど前に戦があったとの知らせがあったんだ。両者ともに遭遇戦で、陣を構える暇さえなく交戦。痛み分けに近い形でその場を後にしたとされている。
直接、刃を交える立場になかった者にとっては、この戦後こそが戦のはじまり。
追いはぎの始まりだ。戦場に打ち捨てられた武具を持ち去り、適当なところへ売り払う。状態の良いものなら、十分に懐を肥やせる。
しかし、同じことを考えるのは自分だけじゃない。
同じ考えの者とかち合えば、取り分が減るのを嫌がって、こちらを排除にかかってくるかもしれない。
主戦場を狙うのは、危険が大きかった。それよりも身を隠しやすい森や林の中の方がいい。
敵から逃げようとして身を隠し、そのまま力尽きたり自害してくれているものなどなら最良だ。激戦下にあったものより、武具の損壊もさほどではない可能性が高い。
何度も繰り返したことにくわえ、少年は非常に鼻が良かった。血の臭い、糞尿の臭いなどを敏感にかぎ取り、その主の元へ向かっていくんだ。
その晩も、濃い血の香りが鼻腔に飛び込んできた。
感覚からして、まだ真新しい。息があったりしたら、反撃の憂き目にあうかもしれない。
足元を忍ばせながら、懐剣を抜く少年。明かりのたぐいは持ってきていないが、慣れた闇の中、木の根にとらわれることなく、少年は進む。
見つけた。
大きい木の幹の根元に、横たわる直垂姿の武者がいる。
顔は分からない。首より上がなかった。このようなところまで来ての、追い首も辞さない。よほど身分が高い侍のものなのか。
――ならば、当然身に着けているものだって、値うちある……。
なお、警戒をゆるめず少年は遺体に近づいていく。
ゆえに、気づくことができた。
頭上で大きく、カラスが一声だけ鳴き、ぴちょりと一滴だけつむじで跳ねるものがある。
反射的に飛びのく。先ほどまで立っていたところに、塊の影が落ちてきて、砂利が顔にまで飛んできた。
何であったかは、よくわからない。落ちたものは、すぐに土の中へ埋まってしまい、掘ることはできそうになかった。
そして厄介なことに、カラスの声と羽音は頭上から消える気配はない。一羽だったのが、二羽、三羽と数を増して、なお主張を緩めない。
――ダメだ。人を呼んじまう!
それを証拠に、木の向こう側から別の足音が聞こえだした。
接触を避けるべく、少年はきびすを返す。追いはぐことも、すべては命あっての物種だ。
気配を殺し、それでいながらほぼ走る速さでもって、先を急ぐ。止まらず、そのまま手を自分のつむじへ当てる。
フンじゃなかった。先ほどまでかいでいた鉄さびに似た臭いが、自分の手から漂ってくる。血だ。だが、どこも頭をぶつけた記憶はないし、痛みもない。
ほどなく、また頭上でカラスの声。再び飛びのく少年と、その足元に落ちる影。
今度は埋まらなかった。たまたま硬い岩が土に顔を出していて、そこに落下したものが跳ね返されたんだ。
岩には血だまりができている。てんてんと転がった影には振り乱した髪、見開かれた眼と、その下の鼻。半開きの口がついていたんだ。
生首だ、と少年が認識する間も、首はなお転がっていく。風も傾斜もここにはないというのに。
転がる先に立つは、一本の樹。しかし、首はそこで止まらない。
顔の真ん前から幹にぶつかるや、かつん、かつんと歯を立てて、幹をよじ登っていく。
もし一部始終を見なければ、しっぽを振り乱して登る、リスか何かに思えよう。目を奪われ、足を止める少年の前で、やがて生首はぴょんと枝に飛び乗り、断面でとんとんと跳ねながら枝なかばへ移っていく。
そして飛んだ。飛んできた。少年の方へ目がけて。
眼を開き、口を開いたまま。すでに垂れようはずのない、よだれを口からまき散らしながら、一直線にだ。
足がすくみ、とっさに動けない少年。あわや頭に噛みつかれるかというところで、刹那に横切る黒い影。
一瞬、視界が閉ざされ、再び開かれたときにはもう、迫っていた生首の姿はない。
散るのは黒羽。はっと頭上を見やったときには「カアァ」と長く声を響かす、一羽のカラスの姿があった。
羽を広げ、遠ざかっていくその足に、あの生首がつかまれている。
そうして点ほどの大きさにまでなったとき、空から首が落ちてきたんだ。
少年より、わずか離れた地面。今度こそむき出しとなっていた土は、いともたやすく首を受け入れた。
穴ができるや、どどっと流れ込む周囲の土たちは、かすかな埋め跡のみを残して首を完全に封じてしまったんだ。
股を濡らしながら逃げ帰った少年は、親から話を聞いた。
人を土へ埋めるのは、足元より深くにある黄泉の国への道案内を兼ねていると。
ゆえに野ざらしにされる遺体の多い戦では、存分に魂が黄泉へ向かわない。ややもすればこの世の空気にあてられて、たとえ首だけでも息を吹き返す者さえいる。生きていた時の正気さえ失って。
だからあのカラスどもがいる。自ら土を掘るに適さない身の彼らは、代わりに高い高いところから首を落とし、土中へ埋めて、冥府への道案内を助けるのだとか。