第1章 1話
『恐怖』をこの世に解き放った一味の首謀者『黒樫佐右ヱ門』がついに捕まった。
確保までにかかった年数は実に200年あまり。
黒樫の拘束は報道されないように徹底して行われた。もし誰かが黒樫のことを調べようものなら、組織が全勢力を挙げてその者を殺めようとするだろう。
それぐらい黒樫が行っていた実験はあまりにも醜悪すぎる上に、内容を知られてはいけないのだ──。
◆◆◆
ゴーンゴーンと大時計から0時を知らせる音が何処からともなく鳴っている。
蝋燭に照らし出された3つの影は、コツコツと靴音を響かせてる。
黒樫は2人の男に脇を固められながら歩いていた。
揺れ動く蝋燭は彼を死へと導く案内人。
彼は先導に従い、うつむくことなく前を見据え、ただその歩みを進めた。
10メートルほど歩いただろうか。
黒を基調とした金と赤の装飾が施された大きな扉の前に3人はついた。
「六玉の皆さま、黒樫を連れてまいりました」
「守衛、ご苦労。黒樫をおいて下がれ」
扉の向こうから声が聞こえたのと同時に、扉がギーっと音を立てて開き始めた。
2人の守衛は頭を下げ、何も言わずに踵を返した。
「さあ、入れ。我らを滅ぼそうと企んだ愚かな男よ」
彼は臆することなく扉の中へと足を踏み入れた。
扉はゆっくりと閉まっていき、バタンっと音を立てて閉じていった。彼は尻目でそれを確認しつつも部屋の中央を目指して歩いた。
彼は王冠と刀であしらった紋章が描かれている床の中央で歩みを止めると、彼を囲むように赤黒い煙が立ち込め始めた。
煙は膨張と縮小を繰り返し1つの形へと形成されていく──。
ヒトの世ではあり得ぬ光景、しかし黒樫は眉をピクリともせずその光景を眺めていた。
ヒトすらも凌駕する相手に何の目的があって彼は喧嘩を売ったのか。彼が200年前喧嘩を仕掛けた相手は『神』なのか、『怪物』なのか、はたまた『悪魔』なのか──。
ただ、わかるのは彼が喧嘩を売った相手、それは『ヒトならざる者』ということ。
意識をもった煙はヒト型へと変貌した。
彼を囲むのは黒いマントに身を纏い、ⅠからⅥまでの数字を赤い字であしらった黒仮面を被った者達。
黒樫は一瞬だけ驚いたような顔し、次には歯を見せて急に笑い始めたではないか。
まるで友との再会を喜ぶかのように──。
「へぇ、血に汚れた武士のトップが、まさか君たちだったとは。はなたれ小僧どもがヒトの頂点に立つのか。ふふふ、500年生きてみると面白いことが起きるようだよ」
「300年も生きれば小僧でなかろう。先生はいつまで私たちのことを子ども扱いされるおつもりか」
すかさずⅣの仮面を被った者が反論する。
「そうか、そうか、よく成長したものだ。最後に弟子の成長を見れてよかったよ。私をここへ連れてきたということは、私を殺すのだろ?」
「はい、先生。先生がこの世に放った獣どもは存在してはならな……」
「あー、はいはい。わかった、わかった。理由はいらんから殺すならさっさと殺せや」
黒樫は首の関節をゴキゴキッと鳴らしながら、Ⅴの言葉を遮り命乞いもせずに自身の処刑を早めた。
「ただし、忘れるなよ。俺の実験はあの獣ども創って終わりじゃねぇ。さぁ、6人のくそ弟子ども、最後の宿題だ」
黒樫は息を深く吸い、ニヤリと笑って次の言葉を言い放った。
「俺の実験対象は獣だけじゃねぇ。俺の軌跡を辿れ!終末の日は近いぞ!」
次の瞬間、ドンッと大きな音が鳴り、赤黒い煙が彼を覆った。
煙が晴れるとそこには6本の槍が頭、心臓、四肢のそれぞれに刺さった黒樫の死体があった。
「これにて断罪を終了する」
Ⅰが終わりを告げると、六玉が立っていた場所と黒樫の体に刺さった槍から赤黒い煙が立ちこめ、部屋に残ったのは無残に串刺しされ穴が開いた黒樫の死体のみ。
のちに1つの煙がポッと出てきて黒樫の体に何かしたことを他の5人は知らない。
六玉も一枚岩ではなさそうだ──。
◆◆◆
(同時刻の某所)
ハッハッハッ……。
1人の男は捕食者から逃げようと、街灯のある大きな通りに目指して走っていた。不幸にも彼が走っている場所はビルの裏路地。ここは迷路のように入り組んでいる。
そしてビルの裏路地は彼らの絶好の狩場なのだ。彼らはヒトを襲う立場でもあると同時に駆逐される対象でもある。そのため、彼らは息をひそめながらヒト狩りを行っている。
生き残るために──。
そして何より、仲間を増やすために──。
男は生を得るために走った。
死から逃れるために走った。
しかし、現実は残酷なのが世の常。
圧倒的な強者の前に逃げ惑う弱者はひれ伏すのみ。それが万物の生物における絶対的法則『弱肉強食』。
死の囁きが彼の鼓膜を震わせた。
「ふふふ、ヒトの足では私共から逃げることは不可能ですよ」
暗闇に光った一閃。
頭脳という司令塔が消え制御を失い崩れ落ちる自分の体、生まれて初めて直視した自分の背中。
あぁ、私の人生は終わりか──。
我が子がいつもよじ登ろうとした背中はあんなに小さいものなのか──。
家族を支えていた背中はあんなにも情けないものなのか──。
父として我が子に最後の言葉を──。
「さてと、掃除をしないとね」
誰かが呟くと、死は黒いフードを深く被った。
1人が死体を担ぎ、残りの者と共に物音一切たてずビルの壁をつたってどこかへ消えていった。
かつてヒトは、ライオンやトラ、ヒョウといった大型肉食動物と同じように食物連鎖の頂点であった。しかし、そのヒトを食らう種族が数百年前に突然、産声を上げた。
辛うじて生き延び、その種族を見たものは口を揃えて言う。
『ヒトの恰好をした猫』だと。
死を運ぶ大型の猫という意味で、人は奴らを死彪と呼ぶ──。