(交錯)12
飛加藤は慎重に言葉を選んだ。
「お気付きになったのでは御座いませんか。
これまでは救援依頼で走り回っておられましたが、
幾ら走り回ってもお味方は武田の方々や北条の方々が現れると、
抵抗らしい抵抗もせずに逃げ惑い、最後は越後に助けを乞うのみ。
これが繰り返されれば、誰でも気付くでしょう。
全てが無駄だと。
その反省の上に立ち、今回の仕置きになったのではないですかな」
長尾景虎は越中の椎名の救援依頼を受け、軍を率いて駆け付けた。
元凶の神保を追い詰め、隣国からの仲介を無視して、攻め滅ぼし、
彼に組した者達も誅した。
さらには椎名をも臣従させ、越中全土を手に入れ、代官を置いた。
これまでの景虎からは考えられない果断な処置であった。
信玄の北信濃への侵攻は今川の依頼によるものだ。
北信濃へ侵攻するように装い、反転して美濃へ侵攻する。
あるいは飛騨に侵攻する。
全ては明智家への牽制で、
本格的な軍事行動までは求められていない。
詰まらぬ仕事だが、三国同盟があるので否とは言えなかった。
それに、報酬が凄いの一言。
昨年飢饉に見舞われた武田家としては、
喉から手が出るほどに欲しかった兵糧が今川家から送られて来た。
報酬の前渡し。
信玄は隙あれば北信濃を平定するつもりでいた。
それが長尾景虎の行動で潰えた。
北信濃を国境まで平定してしまうと、直に越後・越中と接してしまう。
これだけは避けなければならない。
なにしろ景虎とは相性が悪い。
一進一退の繰り返しでは兵糧を喰らうばかり。
百害あって一利なし。
さて美濃にするか、飛騨にするか・・・。
「飛加藤よ、別件だが、明智家について聞かせてくれぬか。
話によっては支払いを増やしてもよいぞ」
これには飛加藤も顔色を変えた。
「信玄様は明智家を調べておられぬのですか」
「通り一遍の事は調べが付いておる。
しかし、奥へ入れぬのだ。
行商人としてや町や村を回る者は戻って来ておるが、
屯田の村や、城へ送り込んだ者は一人として戻らぬ」
飛加藤の顔が安堵の色。
「某の手の者も同様です。
町や村には入れるのですが、屯田の村や城は駄目です。
こちらも一人も戻って来ておりません」
お仲間発見と言わんばかりの顔で信玄を見た。
信玄は鼻を鳴らした。
「ふっ、その方の手の者でも無理か」
「別の筋の忍びの頭ですが、屯田の村や城に入った者は、
もしかすると転んだかも知れぬと、そう漏らしておりました」
「忍びを転ばせるのか」
「気付くと、其奴の家族が里から姿を消していたそうです。
甲州忍びではどうですか」
「そこまでは知らん、後で確かめてみよう。
しかし、それが事実だとすると、この先困るな。
迂闊に明智家に忍びが送り込めなくなる。
一体、どうやれば転ばせられるのだ」
飛加藤は腕組みして考え、口を開いた。
「おそらく身分と給金です。
明智家の家来は仕えている者は全員が足軽身分です。
違うのは役職に就くか、就かぬか、それだけです。
当主自身は職人気質のようで、職人の総大将と言っていますが、
仕えている者達は足軽の総大将と言い換えています」
「職人の総大将とか、足軽の総大将とか、頭は大丈夫なのか」
飛加藤は笑いを浮かべた。
最前までの無表情が嘘のようだ。
「そういう方に斎藤も浅井も六角も、公方様も負けたのです」
「返す言葉がないな。
身分は分かった。
給金はどうなんだ」
飛加藤の口から出た明智家の給金の仕組みに信玄は驚いた。
手柄を立てれば支給される金一封。
役職に就けば支給される月々の役職手当て。
そして家禄に至っては毎年少しずつ昇給。
ただの足軽でも四五年も経てば、武田家の徒士侍と同等になる。
しかも足軽だから槍持ちや小者等の従者は不要。
それを実入りに換算すると、徒士頭並み。
信玄は唸った。
「それでやっていけるのか」
「身分が足軽なので、余計な出費はありません。
それに上にお偉いお侍さんもいないので、気楽なのでしょう。
屯田の村に流民として入り込ませた者は、
それを知って転んだと思っております」
「それだけで転ぶのか。
増々厄介だな」
「ええ、厄介です」
信玄は飛加藤をジロリと見た。
「お主に暗殺を頼むしかないかな」
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