(波紋)3
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出雲の国、月山富田城。
城主・尼子晴久の執務室に薄汚れた旅装の男が入った。
「ただいま戻りました」
尼子家の忍びの集団・鉢屋衆を率いる飯母呂十兵衛が膝をつき、
軽く両手をついた。
急ぎの仕事であったにも関わらず、疲れた様子は見られない。
晴久は満足そうに頷いた。
「すまぬな、早く聞きたくて呼び出した」
先触れから帰着の報告を聞くや、翌日まで待てなかった。
「構いませぬ」
「それで都の様子は如何だ」
「酷いものです。
この混乱は暫く続くと思われます」
「誰が主導している」
「伊勢貞孝殿と細川晴元殿です。
伊勢殿が覚慶様を担ぎ、細川様が阿波公方様を担いでおられます」
覚慶を担ぐのは政所執事・伊勢貞孝。
阿波公方を担ぐのは管領・細川晴元。
共に武力は乏しいが、無駄に権威権力血縁地縁だけはある。
「本当に三好は口出しせぬのか」
「はい。
長慶殿は摂津に籠ったままで、幕臣との面会を一切断っております」
「頑固者か、粗忽者か、判断付きかねるな。
もう一人の御舎弟様はどうだ」
「周嵩様ですね。
この方は行方が分かりませぬ。
寺から忽然と姿を消したようで、皆は神隠しと噂しております」
晴久は視線を宙を浮かした。
「神隠しか・・・。
お主はどう思う」
「誰かが上手く手引きしたのでしょう」
飯母呂十兵衛からの詳細な報告書が翌夕に届けられた。
書いた当人は書き上げるや、死んだように寝入ったそうだ。
それを聞いて晴久は苦笑い。
「十兵衛には苦労かけたな。
ゆっくり休ませるが良い」
十兵衛の配下の者を下がらせ、晴久は報告書を開いた。
概要は昨日聞いたが、それはそれ、これはこれ。
改めて書面に目を走らせ、関係する者達の相関図を脳裏に刻んだ。
が、複雑に入り組んでいて、解き難い。
親子で双方に別れている家もあれば、
この家がこちら側に付くのかと言った疑問も・・・。
長年積み重なった幕政の膿が、ここに噴出していた。
鉢屋衆の詰め屋敷は城の外郭にあった。
その一角で十兵衛は寝ていたが、それを破られた。
一族の古老がそっと部屋に入って来たのだ。
空気でそれと分かったので、寝入ったまま尋ねた。
「眠らせてくれ」
「それは、ずっとと言う意味か」
笑えない。
「起きるまで眠らせてくれ。
疲れた、とても疲れた、それじぁ眠るぞ」
古老が小声で言う。
「頭の仕事は大概疲れるもんだ。
それを承知で頭に就いたんだろうが」
「反論できん、しかし、眠い」
古老は無視して、さらに声を潜めた。
「城の賄い方に妙な奴が雇われて入ってきたぞ」
十兵衛の身体がビクッと動いた。
古老は嬉しそうに続けた。
「おかしいので、古手の奴等に其奴を尾行させた。
そうしたらだ、其奴は、これまた妙な奴等と連絡を取り合っておった。
誰だと思う、なあ、誰だと思う」
十兵衛は横になったまま、身体を向けた。
それでも眠そうな顔は変わらない。
「世鬼か」
世鬼衆、毛利家の忍び集団だ。
「当たりじゃ。
連中は人が少ないようでな、
新宮党の件に関わった者を繋ぎで差し向けて来おったんじゃ」
「座頭衆は・・・」
毛利家のもう一つの忍び集団、座頭衆。
世鬼衆と座頭衆が尼子の新宮党を罠に嵌め、
晴久に粛清されるように仕向けたと忍びの世界では噂されていた。
しかし、十兵衛も古老を真相は知っていた。
晴久は普段から新宮党を邪魔に思っていた。
そこでこれ幸い、毛利の策に嵌った振りをして粛清した。
結果、尼子を一枚岩にした。
「顔はなかったそうじゃ」
「今回は世鬼だけか」
「そうじゃ。
賄い方だ、何をすると思う」
「毒殺か」
「狙いは晴久様だろうな」
「任せていいか」
「喜んで。
それではお頭様、ゆっくりお休み下され」
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