(包囲網)12
足利義輝は自分が無事生還した図を思い浮かべた。
それに対し、先に逃げた者達は如何するのであろう。
戸惑う顔が想像できた。
でも連中はけっして謝罪はしない。
言い訳もしない。
何事もなかったかのように、のうのうと出仕を続けるだろう。
考えるだけで胸糞が悪い。
そんな足利義輝に声がかけられた。
「公方さん、終わったぜ」
見ると義輝の盾になっていた近習二名が事切れていた。
他の足軽達は遠巻きにしているだけで、動いた様子はない。
だとすると目の前の足軽の仕業だ。
「お主、できるな」
「こいつらが弱かっただけだ」
「公方様」
陣幕内に味方が駆け込んで来た。
常日頃から義輝に苦言を呈していた奉公衆・伊勢弥彦。
世襲で幕府の政所を預かる伊勢家由縁の者で、
義輝にとっては煩わしい一人だ。
それが手勢数人を率いて駆け寄ろうとした。
それを敵の槍足軽の者達が押しとどめた。
乱戦になった。
敵足軽の一人がこちらを向いて言う。
「お頭、早くして下さい。
そのうちに味方も駆け付けやすぜ」
お頭と呼ばれたのは目の前の足軽。
「分かった、手早く済ませる」
言うやいなや突いて来た。
正確無比の槍捌き。
喉。
義輝は躱しつ、反撃。
弾いて、弾かれて、攻守所を変えながら、一進一退。
手強い。
腕が痺れたが、勘づかれぬように振舞った。
近習相手の練武とは全く違っていた。
早さ強さが段違いなのだ。
如何に近習達が自分に遠慮していたかが分かった。
義輝は思わず相手に話しかけた。
「足軽の槍捌きとは思えん。
誰に師事している」
「師事と言われてもなあ。
言われた通りに訓練しているだけだ」
「他の者達と同じか」
「ああ、同じ訓練だ」
明智家の足軽の半分くらいは畿内の戦に飽いた強者で、
多くが生家の姓を捨て、改名して明智家に仕えていると聞いた。
だとすれば、足軽に槍を教えているのは、さぞかし名のある者であろう。
「そうか。
お主の名は」
「蟹海老蔵」
義輝は力が抜けた。
「かにえびぞう。
なんだそれは、人の名か、蟹の名か、海老の名か」
「家禄を貰うためには名前を登録する必要があるんだ。
そこで今までの名前を捨てて、
好きな沢蟹と川海老から名前を頂戴した。
山暮らしだからご馳走なんだよ。
蟹海老蔵、美味そうだろう」
義輝が反応するより早く、周りの足軽達が反応した。
「公方様、あっしは近衛捨吉と申します」
「あっしは一条半助」
「あっしは西園寺麿蔵と申します」
言いながら配下達が馬鹿笑いした。
足利義輝の耳に悲鳴が届いた。
加勢に来た伊勢弥彦が敵足軽に討たれた。
思わず義輝はそちらを見た。
倒れる伊勢弥彦と視線が合った。
口喧しい男であったが、今は感謝しかない。
たった一つしかない命を自分に捧げてくれた。
すまない、不甲斐ない主で。
自分には人を見る目がなかった、それに尽きる。
腹部に強烈な痛みが走った。
焼けるように熱い。
蟹海老蔵の槍が突き刺さっていた。
「済まない、新手の味方に取られちゃ拙いんだ」
その通りで、新手の敵がなだれ込んで来た。
「公方はどこだ」
「こっちに渡せ」
「探せ、探せ」
蟹海老蔵が槍を抜いた。
血が噴き出した。
それを眺めながら義輝は蟹海老蔵に笑いかけた。
「気にするな、恨みはせん。
こんな死に方だが、我には相応しいかも知れん。
蟹海老蔵だったか、笑わせる名前だ、が、褒めてつかわす」
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