(包囲網)10
足利義輝は朝餉を終えて独り言ちてた。
「勝った、詰みだな」
初手から誤算続きだったが、ようやく策が日の目を見た。
この霧が晴れ上がれば全てが明らかになる。
明智家の敗北が白日の下に晒される。
遠くから金属音が響き渡って来た。
剣戟、一つや二つではない。
次第に増えて行き、怒号や悲鳴までもが聞こえて来た。
近習がそちらを見ながら言った。
「始まりましたな」
予定通りの朝駆け。
湖族が上陸して明智家の陣に斬り込んだ。
湖族だけでは足りないので、近在の寺社からも僧兵も借り受けた。
併せて千ほどだが、これで十分だろう。
自陣からも、先程より軍気が立ち上がっていた。
それが湖族の上陸奇襲の報と共に行動に移った。
先鋒の六角勢五千が前進を開始した。
陣形は魚鱗。
敵陣を突き破る。
次鋒は六角勢と公方勢の混成一万。
陣形は横陣。
先鋒の討ち漏らしを掃討する。
残ったのは義輝本陣の五千と、関ケ原城に備えている五千。
併せて一万は遊撃の位置付けでもあるので、万一の際に動く。
使番によると、朝倉勢と武田勢も行動を開始していた
朝倉勢が明智軍の背後を衝く。
武田勢は小谷城への備え。
義輝は陣卓子の地図を見て頷いた。
ここまでは思惑通り。
遠くから爆発音が聞こえて来た。
それも複数が重なり合っていた。
義輝は一人の近臣を見た。
「もしや、あれは焙烙玉ではないのか」
瀬戸内の海賊衆が運用している火薬を詰めた陶器で、
導火線に火を点けて投擲する、と聞いていた。
近臣が深く頷いた。
「あれに似た爆発音です。
ですが、湖族が所持しているとは聞いておりません」
「だとすると、・・・明智家か」
明智家には鉄砲が売るほどある。
弾も火薬もそうだ。
何が起きた。
番狂わせか。
射撃音が届いた。
この轟音の重なりからからすると連射だ。
明智家お得意の五段撃ちか、十段撃ちかと知らぬが、
この霧の中で狙いが付けられるのか・・・。
使番が駆け込んで来た。
義輝に片膝ついて報告した。
「湖族衆が壊滅しました」
予期せぬ報告に義輝は顔色を変えた。
「どうしたのだ」
「上陸するのを敵が待ち構えておりました。
奮戦したものの、結局、白兵戦で押し返され、
船に戻ったところを焙烙玉を投げられました。
ほとんどの船が炎上し、大勢が消息不明です」
武装したまま湖に投げ出されたら、いくら湖族でも泳げないだろう。
「本当に待ち構えていたのか」
「はい、全員が上陸を果たしたと同時に攻撃されました。
これは偶然ではありません。
明らかに狙っていました」
湖族は当初から目立たぬようにしていた。
それが見破られていたとは・・・。
☆
☆
義輝の表情を読んだのか、近くの床几から武田信虎が立ち上がった。
「この霧の中、敵がどう動いているのか気になります。
某が一っ走りして見て参りましょう」
返事は聞かない。
武田信虎は配下を全員集め、進発した。
この霧の中、大きく迂回して明智勢へ向かった。
剣戟と銃撃、怒号で騒々しい戦場へ。
と、途中で全員を停止させた。
「静かにしろ」
信虎は前方を睨むように見た。
霧で確とはせぬが、何かが存在する。
鼻をひくひくさせ、耳をぴくぴくさせた。
まずい。
君子危うきに近寄らず。
全員に告げた。
「音を立てるな。
静かに、こっそり立ち去るぞ」
馬首を転換した。
逆方向の観音寺城へ向けた。
古い頃からの家来が戸惑いながら小声で尋ねた。
「どうしました」
「敵の軍気が接近していた。
少なくとも二千から三千、もっと多いかも知れん」
「公方様には」
「頑張ってもらおう」
「よろしいのですか」
「良いも悪いもない。
公方様には代わりはいるが、ワシやお主には代わりがいない。
どちらが大切か分かるだろう」
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