(包囲網)9
予定外の長尾景虎一行の従軍を受け入れ、私達は進発した。
先鋒は四番隊、四千名。
隊長は谷三太郎、
お手本のような部隊運用をする責任感の強い男。
融通が利かないのが玉に瑕、でも笑って許せる範囲だ。
その後に旗本隊、四千名。
景虎一行も一緒だ。
後尾は五番隊、四千名。
隊長は藤堂平太。
優れた洞察力を持つ男なので、安心して背中を預けられる。
物見によると、公方と六角の軍勢がこちらに向かっていた。
そこで我が軍は右手には琵琶湖を望む平地に布陣した。
四番隊に迎撃態勢を取らせた。
対して五番隊は後方から来るであろう朝倉や武田に備えさせた。
そして挟みこまれる形で旗本隊が本陣を置いた。
私は床几に腰を下ろして陣卓子に広げられた地図を見た。
隣に景虎が遠慮なく腰を下ろした。
「光国殿よ、ここだと湖族に襲われ易いぞ。
それを承知か」
湖族。
琵琶湖の水運を担っている者達の呼称で、
延暦寺や本願寺、越前朝倉氏の影響下にある。
荷物を運ぶのを主としているが、荒事も銭次第で受ける。
当家とは、どちらかと言うと敵対に近い関係。
向こうから伝わって来る雰囲気から、そう考えていた。
私に代わって参謀の芹沢が答えた。
「承知でここにしました。
向こうとの関係が今一つ読み取れないので、
これを機にはっきりさせようと思います。
襲って来れば丁重に接待させて頂きます。
ですからご安心を」
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足利義輝は止まぬ銃撃に臍を噛んだ。
対峙してまだ三日目だが、付け入る隙が見出せない。
こうまで撃たれては味方の士気も下がると言うもの。
それに、これまでの戦とは趣きが異なった。
相手方に駆け引きして来る武将がいないのだ。
部隊単位で行動し、一番槍とか、一騎駆けとか、それらが皆無。
常に隊列を維持し、ジワジワと押して来て、頃合いとみれば、
スルスルと波が引くように退いて行く。
こちらの第一陣を突破しようとする気概が感じ取れない。
足利義輝は地図を睨んだ。
側の近習に尋ねた。
「後背を衝く朝倉勢と武田勢はどうしてる」
「本日中に布陣を終えるそうです」
「そうか、こちらの被害は」
「甚大です。
敵は鉄砲の運用もですが、弓騎兵や長槍の運用も巧みで、
各所で手酷い目に遭っております」
そうなのだ。
弓と言えば六角家のお家芸だったが、ここでは過去の遺物。
敵弓騎兵の出現によって完敗した。
こちらが優勢になると駆けて来ては、射て潰して行く。
それを騎馬隊で追わせれば、伏兵の長槍隊に包囲され、
殲滅させられる始末。
悉く後手後手に回っていた。
「全部隊を下がらせよ。
手当てを優先させ、明日に備える」
足利義輝は自然に目覚めた。
今日こそは、勝負をつける。
幕舎を出ると、そこは霧の白い世界が広がっていた。
見通しが悪い。
幸先が良い。
近臣が駆け寄って来た。
「朝餉にしますか」
「おう、今日は忙しくなる。
腹一杯詰めるぞ」
琵琶湖を望む位置に腰を下ろした。
朝露で濡れるが、今朝の霧は吉兆。
邪険にはしない。
湖上にも霧が広がっていた。
耳を澄ました。
人の声も船の音も聞こえない。
遠方から鳥の鳴き声。
今頃は湖族が漕ぎだしている筈だ。
彼等にとっては琵琶湖は庭のようなもの。
闇夜でも自在に動き回るのだ。
この霧で怖気付くとは思えない。
近臣が朝餉を運んで来た。
「こちらで宜しいのですか」
「ここで明智家の慌てる声が聞きたい。
そう言えば、お主は湖族とは親しかったな。
聞くが、この霧だ、上陸地点を間違える事はないのか」
「多少の野分なら、銭の為に漕ぎ出す連中です。
一部の間違いもなく予定の地点に上陸するでしょう」