(近江)7
☆
三好長慶は将軍山城に陣を置いた。
自分の手勢だけでなく、義輝から離反した幕府の奉公衆も加えた。
近辺の三好由縁の者達も続々と駆け付けて来た。
阿波勢も渡海して来た。
兵糧が心配になるほどだ。
にわかに外が騒がしくなった。
「如何した」
使番が駆け込んで来た。
「足利勢が寄せて参りましたので、岩成勢が押し返しました。
ただ、足利勢が逃げる際に放火しましたので、
その火消しに手間取っております」
岩成友通。
大和の地侍だ。
その岩成と仲の良い伊勢貞孝が腰を上げた。
「公方様が己が守護すべき都の一角に火を放たれるとは、
何と嘆かわしい、落ちぶれたものよ。
某も尻拭いに火を消して参ります」
幕府創成期から政所を担ってきた伊勢家当主。
彼こそが幕府の柱石と言っても差し支えない。
彼を裏切り者と罵る向きもあるが、
彼は将軍個人に仕えているつもりはない。
足利幕府と言う体制に仕えているのだ。
☆
☆
私は執務室で書類を吟味した。
屯田の村も、流入する人も増えていた。
それに伴い出費も嵩んでいた。
何度見直しても間違いはない。
それだけ流民が発生していると言うことか。
なんてこったい。
お蝶がお茶を入れ替えてくれた。
「殿、辛気臭い顔。
それじゃ、幸せが逃げちゃいますよ」
このところ、お蝶の私に対する態度が酷い。
まるで弟のように扱っている。
「知らない所で銭が出て行くと寂しくなるんだ」
「おや、銭は貯めるもんじゃない、貯めると腐る、腐る前に回せ、回せ、
そう仰っているではないですか」
「そうなんだけどね。
でも実際、数字を目にすると妹を嫁に出す気分になるんだ。
まだ出したことはないけどね」
実妹は家族縁者とまだ近くの屯田の村に滞在していた。
兄は幕臣となったものの、まだ身分が低く、彼等を養える立場ではない。
そこで私に、必ず呼び寄せるから、それまで預かってくれと言う。
この状態が続くと、妹は私の手元から嫁に出るのか。
床の下で子犬が鳴いた。
「クウ~ン」
もう一匹が応えた。
「キャンキャン」
大人衆の三人が入って来た。
評定の前に私の耳に入れた方が良いと判断したのだろう。
まず猪鹿の爺さんが言う。
「織田家でちょっとありました」
「例の諍いか」
「そうです、それに決着が付きました。
信長様が御舎弟様を討たれました」
織田信長と織田信行。
亡くなった先代にどういう思惑があったのか知らないが、
二人を対立するような状況に置いていた。
その思惑通り、二人も周りも踊らされた。
二人の実母までが飛んで跳ねた。
それに決着がついた。
「これで実質的に弾正忠家が一つになったのだな」
「はい、ほぼ全ての方が信長様に付かれました」
「それは目出度い事だが、祝いの品を送るのは拙いな」
「はい、御舎弟様の血が流れていますので。
某にお任せ願えますか」
参謀の芹沢嘉門が言う。
「都の争いも片付きそうです」
「どうなる」
「現状は膠着して、全く動きません。
このままズルズルと講和する流れになると思います」
私は不思議な事を聞いた。
「兵力は三好勢が大きく上回っているのだろう。
三倍近いのではなかったか。
それなら包囲殲滅も簡単にできるだろう。
それがどうすれば膠着するんだ。
どうして講和になるんだ」
芹沢は気難しい顔をした。
「長慶殿の性格としか申せません」
「性格・・・、もそっと正確に申せ」
「公方様のお命まで取る気はないと見ました。
長慶殿は根っからのお人好しのようです」
呆れてものが言えない。
「禍根を残したままにすると言うのか。
また畿内が荒れ、もっと沢山の血が流れるぞ」
「そうとしか思えないのです。
その証拠に長慶殿は六角義賢殿の手の者と頻りに会っています」