(関ケ原)5
☆
私が床几に腰を下ろしている間に戦場は西へ移動していた。
残された私の周りでは後片付けが行われていた。
空堀の埋め戻し、馬防柵の解体、とにかく大わらわ。
敵味方の死体も一つ残らず集められた。
引き取り手がいない者は身包み剥いで空堀に投げ入れられた。
同時に解体した馬防柵の丸太をお供にした。
乾燥させてあるので、これがよく燃える。
疫病が発生せぬように火葬し、埋めて行く。
負傷者は敵味方問わずに治療していた。
明智印の塗り薬、服用薬が大活躍。
これ幸いと新製品も試した。
戦場は新薬や新治療法の実験場だ。
喜んでいいのか、・・・どうかな。
夕刻近く、黄昏ていた私のところに参謀・大石蔵人が来た。
後ろに見慣れた顔を連れていた。
稲葉山城で使番を務めている者だ。
四人目に抜擢した参謀・片岡源太郎からの言伝を持って来たのだろう。
二人して顔色が悪い。
何となく予想がついた。
「美濃より使番が参りました」
使番が跪いた。
「殿、ご実家が兵を挙げました」
やはりな。
六角の手が伸びているのは知っていた。
でも詰問の使者は出さなかった。
実家は私の家来ではないし、物証もなかった。
好きにやらせる事にした。
「どのように動いた」
「殿の留守を狙って稲葉山城へ軍勢を向けました」
私が稲葉山城を落としたのを真似たか。
「数は」
「近隣の兵を糾合して千」
だろうな。
その程度だろう。
「して」
「途中で包囲殲滅しました」
腐ったものは切り捨てるしかない。
事前に私はそう申し渡して置いた。
「父上は」
「ご立派な最期であったそうです」
父よりも供にされた者達が悲しすぎる。
地縁血縁で断り切れなかったのだろう。
でももう遅い。
合掌。
「他は」
「お兄上様や叔父上殿はご参加されてなかったので、ご無事です。
ただいまご実家で謹慎中です」
関わった家は例外なく全て取り潰す。
残された者達は帰農するか、領外に去るか、それとも最後まで戦うか、
彼等自身に決めてもらう。
二日後、私は浅井家の居城・小谷城に向かう事になった。
浅井久政の討ち死を受けて小谷城が開城した。
それに伴い浅井家の降将達の扱いだけでなく、
美濃勢の論功行賞もあるから、
総大将は小谷城へ急がれたしと使番が来た。
関ケ原の後始末も済んでいないので私は旗本隊のみで移動した。
小勢ではあるが距離も近い。
早さを優先させた方が安全であると判断した。
旗本隊千名の隊長は千人頭である近藤勇史郎。
先手百名を率いているのは百人頭の沖田蒼次郎。
二番手には斎藤一葉。
三番手には長倉金八。
四番手には山南敬太郎。
五番手には近藤勇史郎。
そして後方の五百名を率いるのは五百人頭の土方敏三郎。
その途中を襲われた。
山中から伏兵が湧いて来た。
およそ百。
彼等は一斉に馬印と旗印のある部隊に突入した。
敵が集中したのは五番手の近藤勇史郎の隊列。
騎乗の者達で厚いところへ殺到した。
敵が私に狙いをつけてるのは明白。
怒鳴り声がした。
「あの細い奴だ」狙いを絞った。
その細い奴が落ち着いて従者から槍を受け取ると、
馬上で軽く振り回し、向かって来た二人に槍を繰り出した。
目にも留まらぬ早業。
遅れて噴き出す鮮血。
従者も刀を抜いて防戦に務めた。
それ以上の敵の接近を許さない。