(西から迫る兵火)37
御簾設置に側仕え達が挙って賛同した。
御簾を下ろした状態であれぱ何の問題もないと。
「職工の村で少量でありますが作っております。
主に都向けです。
産物取締役方の蔵に在庫がある筈です。
某が確認してまいります」
一人がそう言い、私の返事も待たずに退出した。
なんて腰の軽い奴。
私は取次役方の者に尋ねた。
「尼子家の者達はどこから入って来たのだ」
現在、官軍と交戦中なので畿内と接する関所は全て閉じさせた。
なのに連中は新堅田に忽然と現れた。
「新堅田の者達も驚いておりました。
忍び衆や山窩衆が出し抜かれたのかと」
新堅田は堅田を焼き滅ぼしてから、新たに築いた湖畔の港町。
当然、当家の領地。
敵味方が睨み合う中、人目を避けて通り抜けられる訳がない。
必ずどこかで誰何される。
それがなかった。
だとすると、近場の比叡山か。
私は側仕えの中に忍びを探した。
いた、猪鹿蝶。
「お蝶、何か耳にしてないか」
「何も耳にしてはおりません。
配下の者達にも油断はなかった筈です」
「すると飯母呂十兵衛の手腕か」
「敵を褒めたくは有りませんが、
飯母呂十兵衛が噂通りであれば無理からぬ事かと存じます。
・・・。
ただ、言い訳をさせて下さい。
我等は、比叡山を越えて来たのではないか、そう推測しております」
なるほど。
比叡山は当家に対し、これまで表立った敵対的行動はしていない。
どちらかというと日和見を決め込んでいた節が見られた。
そこの僧か僧兵に扮していれば誰何なしで通してしまう。
盲点であったか。
何にせよ飯母呂十兵衛は要注意だ。
当家の忍び衆の網を無にしたのだ。
一人の忍びとして及第点が与えられてしかるべきだ。
だが、現実はそうではない。
彼の不幸は仕える家そのもの。
与えられる禄が少ないので、数を揃えられない。
戦力維持に汲々としている、その辺りだろう。
一人の優れた忍びであっても、伸ばせる手は限られている。
一時的に戦局を覆せても、敗北の日延べに貢献するに留まる。
個は数の暴力には所詮敵わないのだ。
私は猪鹿蝶に確認した。
「飯母呂十兵衛が率いる蜂屋衆の現状は」
「前線に出張っている奴等を削ったので、それに懲りたのか、
このところ前に出て参りません」
「ほう、では今はどこに」
「役方筆頭によると、当主の周辺を固めるのに徹しておるとの事です」
私は取次役方にも確認した。
「奴等の動きを掌握しておるな」
「はい、具に目を光らせております」
「敵忍びの気配は」
「全くございません」
配下が削られるのを厭っての事だろう。
日を改めて尼子家の使者と会う事にした。
小笠原長雄、飯母呂十兵衛の二人が広間に腰を下ろしていた。
小姓が声を上げた。
「お屋形様がお成りです」
大人衆が、多数の国の守護である尼子家が相手であるのなら、
これを機にお屋形様を称するべき、そう拘った。
私には判断に付きかねるが、
経験豊富な大人衆の言であるので受け入れた。
大広間の者達全員が平伏する衣擦れの音。
当然、使者二人も。
私は小姓と右筆、それぞれ二名が座するのを待ち、
大広間の者達に告げた。
「一同面を上げよ」
再び、一斉に衣擦れの音。
うちの大人衆や役方筆頭衆、奉行衆は満面の笑みを浮かべていた。
使者の二人は渋い表情。
足軽大将風情に屋形号を称されて怒っているのかも知れない。
それでも口には出さない。
御簾の前に控えていた取次役方筆頭が声を出した。
「お屋形様、尼子家よりご使者が参っております」
「ほう、その二人か」
「はい、小笠原長雄殿と飯母呂十兵衛殿でございます」
二人が改めて平伏した。
私は二人に声を掛けた。
「面を上げてくれ」
揃って顔を上げると、まず小笠原長雄が述べた。
「押し掛けてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
軽く頭を下げて続けた。
「尼子のお屋形様より此度の使者を申し付かりました。
某が小笠原長雄と申します」
「某は飯母呂十兵衛と申します」
私は先を促した。
「して、使者の用向きは」
「我がお屋形様より書状を預かっております。
まずはそれをお改め下さい」
懐から封書を取り出した。
それを取次役方の者が受け取り、
御簾の前に控える土方敏三郎に差し出した。
土方は裏表を改め、指先で中身の具合を探った。
何も問題はない様で、上座を見た。
私の後ろに控えている右筆の一人が進み出た。
手にはお盆の様な書類受け。
それを御簾の下から差し出した。
土方が封書をそれに載せた。