(西から迫る兵火)32
尼子晴久、畠山高政、細川藤孝の三管領はその夜、
自邸に戻る事は叶わなかった。
それぞれの家来達が、明智家の伏兵を恐れ、強く押し留めたからだ。
翌朝、明けそめる頃合いになるとその家来達が動き出した。
各屋敷から迎えの手勢を呼び寄せた。
それでようやく三管領は将軍邸を辞する事に相成った。
当然、早朝も早朝故、足利義昭は目覚めていない。
それを狙って早立ちした。
見送りの幕府奉公衆に言う。
「お互いに大変な夜であったな。
方々も疲れたであろう。
今日はゆるりとなされよ」
尼子の言葉に畠山と細川も乗っかかった。
共に、今日は休みたい、そんな空気を纏わせていた。
宴の酔いと焼き討ちの疲労が重なっていた。
恐れと怒り、相半ばする気持ちをギリギリで抑え込み、
足利義昭は公式な宴を催した。
大名衆、国人衆だけでなく公家衆も含めて大勢を招いた。
寺社衆、都の大人衆だけでなく、堺の大人衆の姿も。
が、皆が皆、明智家忍びを警戒した。
宿坊の焼き討ちがあったばかりなので、内心、戦々恐々としていた。
ようやく討伐軍を発する事になった。
先鋒は尼子勢が承った。
将は米原綱寛、副将は神西元通。
総勢五千が広く展開しながら逢坂の関を目指した。
前回の轍を踏まぬ様に、伏兵を警戒しての進軍。
警戒最優先だが、且つ、官軍としての威容をも大事にした。
急くでなし、遅滞するでなし、表向き悠然と進んだ。
後続も尼子勢。
計十万が控えていた。
大軍であるので侵攻口は一つではない。
畿内に詳しい畠山家、細川家の管領家、三好家等の大名衆、
国人衆はそれぞれの判断で侵攻路を定め、同時期に軍勢を投入した。
畠山勢は丹波口から。
細川勢は丹後口から。
三好勢は大和口から。
他もそれに倣った。
同時期に多方面からであれば、流石の明智家も対応できまい、
そう考えてのこと。
官軍の総大将・足利義昭は皆が引き留めるにも関わらず、
討伐軍の中にいた。
再編成された幕府奉公衆の手勢を率いて、
尼子晴久の本隊に紛れる様に、でかい顔して進発の順番を待っていた。
その進発は、総勢が十万を超えるので、五日や六日待ちではない。
先の進み具合次第と言ってもよかった。
その為、将軍の執務室で待機であった。
討伐軍の進発に合わせて、明智家忍び衆の動きが活発化した。
侵攻路である丹後、丹波、山城、大和で付け火が一斉に成された。
軍勢に対してではない。
軍勢の後背地の町や村、兵糧集散地で火の手が上がった。
それも白昼堂々のこと。
討伐軍もそれを考慮した態勢にあったので、
拿捕する軍勢を差し向けた。
しかし、明智忍びはそれ以前に姿を消し、別の箇所で火を放つ有様。
軍勢は消火より拿捕を優先したのに、全く捕獲できない。
後ろ姿一つ、目にする事も叶わなかった。
まるで、賢い鼠と鈍い猫の様であった。
夜になると各所で先鋒が集中的に狙われた。
巡回する兵が密殺され、宿営地に火矢が放たれ、あろうことか、
太鼓や法螺貝が鳴らされる始末。
これで眠れる訳がない。
一夜にして軍勢の足が止まった。
各所から使番が討伐軍の本隊に駆け込んで来た。
晴久に宛てた書状を差し出した。
顔見知りが晴久に零した。
「明智忍びの数が多過ぎて対処は不可能です」
「それほど多いのか」
「はい、同時多発ですのでそれなりの数かと」
「こちらの忍びや野伏せりは如何した」
「真っ先に姿を消した事から、元々は明智忍びではないかと存じます」
晴久の手元に、各口各隊の状況が記された書状が山積みされた。
頭を捻る晴久の背後には、上座に足利義昭がいた。
「晴久、何か良き手立ては」
そもそも明智討伐が時期尚早だったのだ。
明智討伐は確定だが、それは今ではない。
足下を固めてから打って出る。
それが定石なのだが、この野郎が誰かに唆された。
その誰かは、この野郎に取り入ろうと軽く口にしただけかも知れない。
しかし・・・、口惜しい。
これまで身近に仕えていた細川藤孝や明智光秀等の、
聡明な者達をこの野郎から取り上げたのは晴久自身。
細川藤孝は管領に。
明智光秀は斯波家の筆頭家老に。
他の者達もそれぞれに見合った役儀に就けた。
その結果がこれだ。
晴久は歯噛みして書状を改めた。