(稲葉山城)10
翌日、私は大広間に大人衆を集めた。
昨日の礼を述べて、自分の落ち度を語った。
「私一人で全てを差配するのは無理だと言う事に気付かされた。
私が甘かった、すまぬ。
・・・。
ついては分国法によって領地を治める。
今はまだ小さな領地だが、何れ否応なく増える。
領地が増えてからでは遅い、その前に、躓く前に制定する。
分国法は今川仮名目録や甲州法度次第を手本とする。
その策定を大人衆に委ねたい。
最初から完璧な物は求めていない。
大筋を定め、その範囲内で詰めて条文化して欲しい。
途中からの追加も認めるし、修正や削除も認める。
頼まれてくれるか」
大人衆の仕事は早かった。
手本があったせいかも知れないが、とにかく早かった。
まず明智の実家との区別から始めた。
実家は通称、土岐明智家。
対してこちらを稲葉山明智家とした。
その稲葉山明智家の名前を冠して、
領内向けの『稲葉山明智家法度』を発布した。
加えて家中向けに『稲葉山明智家式目』も発布した。
それでも十分過ぎるのに、更に仕事をしてくれた。
家中の職制を大雑把にだが、分かり易く定めた。
一番上に当然、私。
下に大人衆。
その下に諸役。
文官の町奉行、勘定奉行、寺社奉行、普請奉行、公事奉行、蔵奉行、
郡代役方、取次役方、右筆役方、薬草園役方、産物取締役方、
奥取締役方、そして武官の番役方が複数。
ただ残念なのは文官の人材不足。
ほとんどを大人衆の兼任で補った。
そんな状況なので参謀の芹沢と新見も大人衆に組み込まれた。
私の側仕え達にも役が振り分けられた。
近藤は大人衆第三席に抜擢され、番役方兼任で、
五百人頭として旗本隊五百名を率いる事になった。
土方、沖田、長倉、斎藤の四名も同隊の百人頭。
だけではない。
お園とお宮にも役が振り分けられた。
お園が大人衆の第四席で、奥取締役方筆頭兼任。
お宮は大人衆の第五席、同じく奥取締役方次席兼任。
まあ、偉くはなったが、私の身近にいることに変わりはない。
私は入城以来ずっと城に籠もらされていた。
領主として多忙を極めていたからだ。
でも今回の一連の改革で時間に余裕が生まれた。
そのお陰で領内巡回に許可が出た。
一番上の私が許可を得るって、誰に。
おかしくはないか。
まあ、立場上、自由が無いのは当然か。
過保護な大人達を説得しない事には何もできない。
旗本隊の騎馬十騎を率いて城を出た。
正確には十騎に守られて領内巡回に出た。
十騎なら自在に行動できるので、その数になった。
逃げれるし、隠れもできる。
もっとも、自領で襲われるとは思わない。
乗馬、はっ、鞭パシッ。
乗馬は武士の嗜み、私はできる子。
城内の馬場で乗りこなしてはいたが、表に出ると、ちょいと違った。
新鮮。
第一に景色が違う。
木々や街並みがあり、行き交う人がいる。
右を見てキョロキョロ、左を見てキョロキョロ。
そんな私を沖田蒼次郎が冷笑した。
「子供ですか」
私は即座に反論した。
「蒼次郎、君も子供の仲間」
「違う、断じてない、私は大人だ」
そんな私達を大人組が生暖かい目で見ていた。
あ~蒼次郎、本当に君も立派な子供だよ。
まず城下町を見た。
二月を経たばかりだが落ち着きがあり、栄えていた。
通りによっては人混みも見られる。
近藤が説明してくれた。
「強訴を追い散らした結果、強欲な商家や寺が退去しました。
奴等は一人残らず斎藤義龍殿のお膝下に逃げ込みました。
お陰で不平不満を申す者はおりません。
今この町は、町奉行が町年寄りと相諮り、商売繁盛に努めております。
その甲斐あり、ごらんのような活況です」