(西から迫る兵火)30
予定が立て込んでいた。
御馬揃え、錦の御旗下賜だけではなかった。
尼子晴久個人への面会も数多く舞い込んでいた。
幕府の真の実力者と理解した者共が行列を成していた。
大名と自称する者達、国人衆、公家衆、寺社の者達、
そして都の大人達や富豪。
しかし晴久は全てに応えるほど暇ではなかった。
側仕えが選別した者達のみと面会した。
それでも数はあった。
手が空いた僅かな隙間に飯母呂十兵衛を呼んだ。
「明智の忍びに動く様子がない様に思える。
その方の見立ては如何だ」
逢坂の関で三刀屋久扶が戦死した以降、明智忍びに動きがない。
こちらが警戒を厳にした事もあるが、それにしても大人しい。
十兵衛も首を傾げた。
「益田藤兼様と右田隆量様の働きなのでしょうか」
都の警備を命ぜられた二人は確かに奔走していた。
手勢を昼夜問わず巡回させ、不逞の輩を摘発して都から追放していた。
その効果か、このところ夜盗の被害を聞かない。
今度は晴久が首を傾げた。
「それにしては不気味なほど静かではないか。
御馬揃えに横槍を入れると思っていたのだがな。
どうも調子が狂うわ」
御馬揃えと錦の御旗下賜は明日行われる。
横槍を入れるとしたら今夜・・・、それはない。
昨日より、御馬揃えに出場する面々の手勢が都の内外に展開した。
全ての手勢が出場する訳ではない。
出場は極一部、出場せぬ手勢の方が多い。
それらが警戒に当たるのだ。
色の違う蟻は一匹とて見逃さぬだろう。
その御馬揃えと錦の御旗下賜が難無くなされた。
支障一つなかったので晴久は増々もって首を傾げた。
されど推測する暇はなかった。
その日の夜は将軍が近しい者達を集めて宴を催したからだ。
ご機嫌な足利義昭が招いた者達を見回した。
「公式な宴は明後日催す。
公家も含めて大勢を招く。
軍勢を動かすのはその後だ。
・・・。
今夜は身内同然の者達だけを招いた。
ささやかだが、皆を慰労したい」
その費用は尼子家から捻出しているのだが、晴久は顔には出さない。
柔和に頷くだけ。
酔いの回った晴久の耳に足音が届いた。
ドカドカと誰かが廊下を駆けて来た。
外に控えていた者が誰何した。
「誰だ、何事だ」
足音が止んだ。
「大変でございます。
街中の至る所で火事が起こっています」
誰何した者が立ち上がる気配。
縁側の板戸を開ける音。
そして驚く声。
「これは・・・、どうして」
廊下にほど近い所で呑んでいた幕府奉公衆の一人が立ち上がった。
無言で座敷の板戸を開けて廊下に出た。
一言発した。
「火事だ」
途端、皆の動きが止まった。
幾人かが素早く立ち上がった。
廊下に出て外の様子を見た。
「騒ぐ声が聞こえる」
「確かに。
塀の外がやけに明るい」
「あれは火の粉ではないか」
義昭がフラフラながら、立ち上がった。
「何が起こっておる」
千鳥足で廊下へ出ようとした。
それを奉公衆の一人が支えた。
「お上、無理はなされぬように」
「見る、廊下へ出せ」
晴久も立ち上がった。
義昭を一方から支えて、奉公衆と共に廊下へ連れ出した。
そんな晴久に聞き慣れた声。
伊勢貞孝だ。
「方々がお泊りの宿坊が焼き討ちに遭っている様ですな」
彼は廊下にて片膝ついていた。
宴に呼ばれていないのにその姿。
政所にて仕事でもしていたのか。
あるいは駆け付けて来たのか。
来たにしては些か早過ぎるが。
義昭が火事から視線を外さないので、代わりに晴久が伊勢に尋ねた。
「我等が借りている宿坊か」
「ええ、見回りの者からそう知らせて参りました」
一連の行事が終わって皆が気を緩めた頃合いだ。
そこを狙われた。
にしても焼き討ちか。
借り上げた宿坊の数は三十を超えていたはず。
だとすると、かなりの数の忍びを動員している。
夜の闇、火災が勢いを増して来た。
炎が高々と上がり、火の粉が舞い散っている様子。
これを消すのは至難の業だろう。
晴久は深く長い溜息を付いた。




