(西から迫る兵火)28
尼子晴久は考え込んだ。
確かに毛利家の抱える忍びは優秀だ。
敵対してた当時は、当家にも深く根を張っていた。
城の下働きの小者、城に出入りする寺社の従者、地侍の買収等々、
執拗なまでの働きをしていた。
「それは分かる。
しかしだな、山陽山陰ならまだしも、ここは畿内だ。
それなりに商人は抱えているだろうが、それでもだ、
あの者達には少し荷が勝ち過ぎぬか」
飯母呂十兵衛が小さく頷いた。
「それは確かに。
となると、畿内に詳しいのは畠山家、細川家、そして三好家。
そうなりますが、いささか信頼に欠けます」
畠山家と細川家は管領になったものの、家中の立て直しに忙しい。
長らく戦乱で膝下の国人衆や地侍衆の離合集散が繰り返された。
昨日の味方が今日は敵に、そして明日は味方に。
誰もが生き残る為に苦渋の選択をせざるを得なかった。
それらを飲み込んで、此度は明智家討伐を機に、軍勢編成を建前に、
家中統制を為すつもりらしい。
上手く運べは良いが、・・・。
残った三好家だが、忍びは三好長慶直属だったはず。
その手綱が安宅冬康に譲渡されたとは思えない。
忍びだけでなく三好家の家臣も、半分は尼子に従わぬと思う。
忍びを活用する以前の問題だ。
ここは慎重に見極める必要がある。
斯波家も管領は復帰したが、あちらは期待そのものが持てない。
忍びどうのこうのより先に、家臣を増やすのを優先して欲しい。
ふと思い出した。
「十兵衛、鞍馬忍びとは接触できたのか」
平安期に鬼一法眼が鞍馬山にて伝えたとされる武術が鞍馬流、
あるいは京八流として広く知られていた。
かつては源義経も修業していたとも知られていた。
その流派には忍び技もあった。
「はい、都の警備に当たらせております」
「逢坂の関に廻せぬか」
「些か厳しいかと。
技量ではありません。
彼等は山窩衆や河原衆とは親しいのです」
晴久は深い溜息。
明智家は領内の山窩衆や河原衆を臣従させていた。
その繋がりで手が伸びているかも知れぬ。
「明智家との矢面に立たせるのは、些か無謀か」
「はい、そこまでは信用しておりません。
立原幸隆が十兵衛に尋ねた。
「そんな者共を都の警備に当たらせて良いのか」
「はい、都にはあの者達の家族や友人が住んでおります。
都の警備には手を抜かぬ筈です」
晴久は改めて立原に視線を向けた。
「そういう訳で、大軍運用しかないな。
忍びの代わりに野伏や山伏、野盗を雇い、周辺に配する。
その手配を急いでくれ」
「軍を率いるのは」
「米原綱寛、副将は神西元通。
錦の御旗を掲げて逢坂の関に向かわせるのだ。
出来るだけ派手にな」
「承知しました」
立原は頭を上げると再び十兵衛に尋ねた。
「明智家の動きは」
「あちらは警戒が厳しいので、臨時雇いの忍びしか入れておりません。
それで宜しければ」
「深くは立ち入れぬか」
「まず城や砦は無理です。
夜になると犬が放たれます。
屯田の村や職工の村に入っても、まず、出ては来れません。
ですので、行商人を装わせて街道で噂を仕入れるだけです」
「うーむ、それで良い。
敵の増援はどうなってる」
「完全に揃ってないようです」
晴久は都に入った。
全軍を収容できないので、多くを郊外に野営させ、
旗本のみを急造の仮宿舎に入れた。
これは味方の各将達も同じ。
それぞれが供回りのみを従え、縁ある宿坊を頼った。
晴久は重臣達を集めた。
まず益田藤兼と右田隆量に尋ねた。
「手配りを終えたか」
御馬揃えの警備を二人に命じていた。
その役目の為に二人は都に居残っていた。
将は益田藤兼、副は右田隆量。
益田藤兼が答えた。
「方々のご協力もあり、恙なく整えました。
掃除も終わらせています。
塵も悪党も。
錦の御旗まで何事もなく済ませます」
益田藤兼が視線で右田隆量に発言を促した。
彼は素直に応じた。
「遺漏なく、万事お任せを」
晴久は皆を見回した。
「錦の御旗を掲げる我等は官軍だ」
そこへ側仕えの一人が入って来た。
「お上がお呼びです」
足利義昭か。
「女を宛がってないのか」
側仕えが困った顔、それでも言う。
「早々に終えられたそうです」