(西から迫る兵火)27
尼子晴久の言葉で大本堂内にざわめきが広がった。
私語が飛び交った。
「明智家、近江支配の明智家なのか」
「だろうな、近江の明智家しか考えられん」
「兵は賦役ではなく常雇い、鉄砲を担いだ足軽集団なのだろう」
「総動員すると十万を超えると聞いたが」
雰囲気が悪くなった。
すかさず、三好長逸が姿勢を正し、晴久に告げた。
「方々は尻込みなされておられる。
それでは当家が先鋒を承ろう」
晴久は苦笑いで堂内を見回した。
「長逸殿、その前に大仕事がある。
・・・。
方々、一同うち揃って、都大路にて御馬揃えを行う。
そしてその場で、錦の御旗が下げ渡される」
途端、全員が言葉を無くした。
全ての視線が晴久に突き刺さった。
晴久が表情を改めて言う。
「錦の御旗だ」
堂内で驚きと喜びの入り混じった声が一斉に挙がった。
その圧で、今にも板戸が弾け飛びそう。
晴久は皆が落ち着くを待ってから言葉を続けた。
「突然の御馬揃えだ。
方々が驚いて当然だ。
・・・。
謝らせて貰う。
すまぬ。
内々の事であったので、前以って準備させられなかった。
此度は今の軍装で御馬揃えに出て貰う。
代わりと言っては何だが、凱旋の御馬揃えも行う。
その際は贅を尽くすのを認める。
それで許して欲しい」
途端、堂内が喜びの声で埋め尽くされた。
晴久は満足気に堂内を見回した。
上機嫌で言う。
「儂が相手では聞き難い事柄もあろう。
儂の代わりに、代官二人を置く。
明智家討伐は多胡辰敬。
御馬揃えは佐世清宗。
何なりと遠慮なく尋ねるがよい」
晴久は二人の代官に任せて大本堂を出た。
主立った重臣は、二人の代官を手助けする様に言い含めて、
大本堂に残した。
その為に彼に付き従う供回りは僅か。
数の少なさを補うのは腕自慢と、忠誠心の高い者達ばかり。
そのまま間借りしている居室に入った。
待機していた側仕えがお茶を淹れた。
差し出して言う。
「十兵衛が参っております」
飯母呂十兵衛。
尼子に仕える忍び集団・蜂屋衆の頭だ。
現在、彼には自分の周囲の陰供を命じていた。
呼び寄せた十兵衛が言う。
「三刀屋久扶様が戦死なされました」
晴久は息を呑んだ。
言葉が出て来ない。
三刀屋久扶には密命を与えた。
山城と近江の国境である逢坂の関を確保せよ、と。
兵力は三千、多くなければ少なくもない。
明智家に露見せぬ様にその数にした。
「だとすると、策が漏れたのか」
「伏兵が置かれていたそうです」
露見したのか。
「三刀屋久が率いていた部隊からの使番はどうした」
「ここへ敗軍の使番を通す訳にはまいりません。
国境で足止めし、治療させております」
使番は三刀屋の供回りであったそうで、その報告は密度が濃かった。
思わず晴久は溜息を付いた。
「良い判断だ。
これを諸将に知られてはならぬ」
「使番はこれからも来るだろう。
全て足止めしろ」
三刀屋の戦死は暫く口止めする。
逢坂の関の件自体をも口止めする。
御馬揃えの前にこの敗戦の報せを本軍に入れてはならない。
が、逢坂の関は必要不可欠だ。
近江への先鋒の突入路として、十万を超える軍勢の兵站維持としても。
各国境にも街道や脇街道があるが、逢坂の関は誰もが知る歴史ある関。
地名以上に、その確保効果は高い。
晴久は控えていた者達のうちに立原幸隆を見つけた。
彼は逢坂の関確保に関わっていた重臣の一人だ。
「どうする」
「こうなれば伏兵を避ける為にも大軍運用しかないかと」
小手先の策を弄したのが裏目に出た。
こうなれば大軍運用しかないか。
晴久は納得して十兵衛を振り向いた。
「山城におる明智家の忍びは」
「無数です」
分かってはいたが、聞くに耐えない。
立原が十兵衛に尋ねた。
「蜂屋衆に何らかの手立てはないのか」
「抱えている数がそもそも違うのです。
明智家は近江の甲賀の地を手に入れた事により、
加賀にも影響力を増しています。
加えて、各地の抜け忍も積極的に抱えています」
「お主らが殿の陰供で忙しい事は知っている。
その上で聞こう。
他に信頼の置ける忍びは居らぬのか」
「臣従している家の忍びが居ります。
例えば毛利家の者達とか」