(西から迫る兵火)23
三好家の心配をしている場合ではなかった。
足利覚慶様が、いや、覚慶が将軍宣下もまだなのに、
征夷大将軍気取りで惣無事令を全土に発した。
戦や紛争、武力による領土の横領を禁じた。
これで幕府奉公衆はてんやわんや。
特に右筆達が。
命令書と、それに添えられる副状を死に物狂いで書き上げた。
どういう訳か、それが当家にも届けられた。
はて、・・・。
当家は足利の下に付いた家ではない。
逆に足利家にとっては敵だ。
先代将軍を戦場にて討ち取った。
所謂ところの仇。
訳が分からない。
取次役方の者が使者に質したところ、先方が申すには、
「多少の行き違いはありましたでしょう。
ですが、此度はそれを乗り越えて、誼を通じるとの事です」だそうだ。
そして再度、使者が来た。
「関東の者共に道を貸して頂きたい」
要するに、都へ入るには当家、織田家、長尾家の街道を通るか、
船便かだ。
その船便にしても途中、嫌でも当家、織田家、長尾家、
何れかの港に寄港せねばならない。
恨みを棚上げして許可を求めた。
ははーん、尼子晴久か。
坊主上がりの覚慶には、この様な手立ては無理な相談だ。
私は取次役方に尋ねた。
「もしかするとだが、一度目の使者も、二度目の使者も同じ者か」
「はい、某が明智様の取次を致します、そう仰っていました」
「名は」
「幕府奉公衆のお方で、飯母呂十兵衛と申されました」
やはり。
尼子晴久の側仕えとしての身分で、竹中半兵衛と面談した男だ。
尼子晴久、実に面白い手を打つ。
自家の忍びの頭領を、幕府奉公衆に押し込んだ。
飯母呂にとっては迷惑だろうが、断れる身分ではない。
幸い、猪鹿蝶が同席していた。
私は彼女に視線をくれた。
目色で判じたのだろう。
「飯母呂の一行は監視下にあります」
「特に怪しい点は」
「怪しいのは、忍びが一人も付いておらぬという事でしょう」
「そうか、・・・それは怪しいな」
「一行とは別の組みが居らぬか、探させております」
忍びの大物・飯母呂を二度も遣わすとは、・・・。
その思惑は、表の言葉を真に受ける訳ではないが、・・・。
怪しい動きがないという事からして怪しい、・・・。
んっ、もしかとて、私を疑心暗鬼に誘う、・・・。
大きな咳払い。
「うおっほほっ」
近藤勇史郎がわざとらしく言い訳した。
「これは失礼致しました」
将軍宣下への参列は、関東や九州からは日程的に無理であった。
が、畿内を中心とした一帯の者達が盛大に祝った。
守護家や守護代家、幕府のその他の役職にあった旧家の者達。
これらの者達が参列した。
参列できぬ国人や地侍は当然の様に祝いの品を送った。
宣下の席で覚慶が名を改めた。
足利義昭とした。
当家にも守護家や守護代家はいた。
それも現職で。
越前国守護家の朝倉義景であった。
彼は当家に臣従し、領地持ちの国人扱いとなったが、
朝廷の官位も幕府の役職もそのまま保持していた。
私は、それらを返上せよ、とは申し付けていない。
興味もない。
朝倉家からも何も聞こえない。
もう一つ、美濃国守護代家の斎藤家。
当主は当家との戦いで戦死したが、嫡男はいた。
元服していないので、私が後見していた。
こちらも、領地持ちの国人扱い。
されど、どこからも不満は聞こえて来ない。
将軍宣下を無事に終えると、尼子軍が動いた。
丹後、丹波、山城にそれぞれ一万を残し、七万が河内へ移動した。
河内高屋城の畠山高政と合流し、三好攻めを本格化させた。
噂も飛び交った。
新将軍・足利義昭の親征であると。
これまで三好家に従っていた国人や地侍衆が寝返った。
多くは尼子に、畠山に、細川に。
生憎、足利に付く者は少なかった。
時世を読んでいるとも言えた。
危機感を抱いた四国の三好勢が動いた。
淡路の安宅冬康手配の軍船にて、阿波と讃岐の全兵力が、
堺に続々と上陸した。
そんな中、大和の松永孫六からの商品注文書が、
当家の産物取締役方に届いた。
異例な事に、注文書に一通の書状が添えられていた。
松永久秀からであった。
役方の者が申すには、今回届けて来た者達は手練れ揃いとか。