(西から迫る兵火)21
三好家は忍び役方衆が担当した。
新規雇用の者や、燻っている者達に目を付けた。
当人は無論、周辺を慎重に探った。
敵だけでなく、三好家自体の目もあるので、難しい仕事になったが、
それを口実に手を抜く者はいない。
問題は当家内部。
尼子が種を埋め込んでいるとの想定で、徹底的な洗い直しが、
参謀役方主導で行われた。
幸い、小谷城勤めの者達は白であった。
となると、尼子が付け入るとしたらの想定で、
別の視点からの見直しが行われ、新たな網が投じられた。
急遽、小谷城居館にて大評定が開かれた。
居合わせた役方の者達や、番役方の者達までが集められた。
こちらが忙しい最中、都にて新たな動きがあったのだ。
参謀役方の芹沢嘉門と新見金之助が掻い摘んで説明した。
幕府瓦解を食い止めていた政所の伊勢貞孝が奇手を打った。
管領の増員であった。
かつて管領は斯波家、畠山家、細川家の三家から任命された。
三家にとっては家職とも言えた。
それが費えの問題から斯波家、畠山家が遠慮する様になった。
為に何時しか細川家の独占が続いた。
管領の慣例化であった。
今回、両細川家が足利覚慶様に敵対し、
共に戦死した事により管領が空席になった。
これ幸い、伊勢貞孝は管領職の大盤振舞工作を行った。
畠山家、細川家、尼子家、斯波家の四家を同時に任命させた。
畠山家からは前の河内守護・畠山高政。
細川家は、管領家も吉兆家も嫡男がいたものの、今回の責を取らした。
代わって管領職を幕臣・細川藤孝に受け継がせた。
管領家と同時に吉兆家も相続させた。
尼子家は当然、晴久。
問題は斯波家であった。
地盤の越前、尾張、遠江の守護であったものの、
朝倉氏、今川氏、織田氏に奪われて、主立った血族は四散、
見る影もなかった。
ところが、伊勢がどこからか探して来た。
斯波義隆。
伊勢はついでにその筆頭家老に明智光秀を付けた。
裸一貫であった斯波義隆に領地も与えた。
丹波の八上城とその一帯を与えた。
かつては松永久秀の甥・孫六の所領であった地だ。
説明が終わっても誰も口を開かない。
消化するのに時間を要するのだろう。
それは私も同じ。
斯波家の筆頭家老が引っかかった。
実兄の光秀だ。
これまで実兄は幕府の一員ではあったが、力を有しなかった。
家来はほんの少数、美濃から引き連れた者達ばかり。
所領は、・・・なかったな。
興味が薄れたので、すっかり忘れていた。
それが今回の大出世。
ちょっと嬉しくなった。
それはさて置き、私は口火を切る事にした。
「伊勢の思惑は」
芹沢が応じた。
「考えられるのは二つです。
尼子を他の三家で牽制する。
もっとも、畠山家以外は力がありません。
これは致し方ないこと。
細川家は四分五裂。
斯波家、こちらは見当が付きません。
・・・。
もう一つは尼子のいない空白を埋める措置かと」
「空白、都から去ると言うのか」
「ええ、尼子が何時までも都にいるとは思えません。
もしかすると明日にでも、管領の職に満足して山陰に戻るということも」
「そうなのか」
「今の兵力を維持するには費えが大変です。
それをどこで補うか。
矢銭で補うとしたら都か堺、社寺、大店、あるいは関銭。
それで苦労するより、領地に戻って管領の威光を発揮した方が、
尼子としては旨味があると思えます」
「山陽山陰に覇を唱えるということか」
尼子が領地に戻るか、・・・。
将軍宣下を終えれば、それも有り得る。
一度得た管領の職は簡単には取り消せない。
先の管領・細川晴元にしてもそう。
敗戦の度に逃走したが、結局、職を取り上げられる事はなかった。
大人衆・武田観見が芹沢に尋ねた。
「ところで、明智光秀殿が仕える斯波義隆殿だが、どこの馬の骨だ」
「それがはっきりとせぬ。
噂では陸奥の斯波家とか」
「だとすると高水寺斯波家か」
「その点はなんとも。
あちらにも斯波家の枝葉末節が多いので、確かめ様がないですな」
武田は顎を撫で回した。
「それにしても光秀殿には困りましたな。
あの方は知恵が回る。
家老職を活用して、尾張や越前の斯波家由縁の者達に手を回す。
方々、そう思われませんかな」
皆が大いに頷いた。
私は気になって誰にともなく尋ねた。
「当家は大丈夫か、どう思う」
真っ先に猪鹿熊久が応じた。
「足軽や職工、小者達に関しては、先の一件で大掃除済みです。
ただ、あるとすれば領地持ちの国人衆です。
特に美濃、近江には多いですから、こればかりは」