(西から迫る兵火)19
私の元に、三好家が軍を起こした、との知らせが届いた。
兵数は五万。
周辺の大名への備えもあり、四国からの招集は少ないそうだが、
今の尼子軍に相対するに充分だろうと思った。
三好軍の先鋒は、河内の三好実休率いる一万余。
河内から和泉に入った。
警戒を怠っていた訳ではなかろうが、
途次を前の河内守護・畠山高政率いる軍勢に襲われた。
この一戦で実休が戦死し、河内高屋城までもが奪われた。
これに合わせて、両細川軍と対峙していた尼子の軍勢が南下した。
河内高屋城へ向かった。
畠山家の支援を目的としていた。
参謀方から新見金之助が執務室に来て説明、いや、釈明した。
「申し訳ございません。
畠山高政は、昨年末、堺で見失いました。
探させておりましたが、何しろ優先度が低く、
人手をそんなに回せておりませんでした」
「河内の守護を追われても、その威信は残っていたみたいだな」
「はい、腐っても管領家に繋がるお家かと。
此度の軍勢に紀伊の根来衆が加わっておりました。
そこから推測するに、堺から紀伊に逃れて再起したと思われます」
叱責はしない。
間違いや失敗は人間に付き物。
話題を振った。
「それで三好軍の動きは」
「全てが進路を変更し、河内高屋城へ向かっております」
事前の予想に反し、戦場が山城から河内に転じた。
この辺りは畠山家もだが、
両細川家にとっても地縁血縁が柵になっているところ。
それは三好家も同様。
それがどう作用するか興味深い。
三好実休戦死の報に接し、両細川軍が動いた。
比叡山の裾から都に進撃を開始した。
途次に尼子軍が陣を敷いていたが、
大半が河内へ移動して残っているのは僅かと判断し
勇躍して尼子軍の陣に乱入した。
実際、陣の尼子軍は三千余。
万を超える両細川軍間近にすると、尼子軍は一斉に退いて行く。
それでも戦列に乱れはない。
遅滞戦術を駆使し、最小の被害で退こうとしているのが丸わかり。
それに両細川の将兵が付け込んだ。
「これまでの恨みを晴らせ」
「出雲まで追い返せ」
「大将首を逃すな」
尼子軍を率いていたのは毛利の三兄弟。
毛利隆元、吉川元春、小早川隆景。
陣に残った軍勢は全て毛利の将兵で編成されていた。
今、敵を真正面で受け止めているのは毛利隊千。
その隆元の下に元春の使番が来た。
「吉川隊、配置に着きました」
「分かった、直ちに退く」
事前に打ち合わせ済み。
それに従って、粛々と退いて行く。
そして追撃して来る敵を、兄弟の隊が待ち伏せて討つ。
毛利隊、吉川隊、小早川隊の連携に乱れはない。
ただ、被害が多い。
それでも一人として背を見せての逃走はない。
黙々と遅滞戦術を繰り返した。
そのうちに毛利三兄弟の軍勢に疲弊が見え隠れ。
敵の追撃が止まないからだ。
対して両細川軍は、追撃に次ぐ追撃で隊列が伸び切った。
それに気付いた将が、取り纏め様として使番を各隊に走らせた。
が、手遅れだった。
毛利三兄弟は囮で、別の隊が存在した。
その隊が手薄になった本隊を急襲した。
急襲したのは山中幸盛率いる千余。
騎馬中心の隊が横合いから殴り込んだ。
これに両細川の本隊は動揺した。
「防げ防げ」
「殿を逃せ」
「こちらが先に行くぞ」
「うちの殿が先だ」
殿と呼ばれる者は三名いた。
管領・細川晴元、細川京兆家当主・細川氏綱、平島公方・足利義栄。
その三名と供回りを中核にして編成された本隊なので、
指揮系統はあっても無いも同然。
統制が効かない。
防御と逃走で混迷を深めた。
山中隊に遠慮はない。
馬の蹄と槍の穂先で敵を屠って行く。
「一人とて逃すな」
「斬って斬りまくれ」
「あっちに大将首が見えたぞ」
「走れ走れ」
やがて三方向より声が聞こえて来た。
「細川晴元を討ち取ったり」
「細川氏綱を討ち取ったり」
「足利義栄を討ち取ったり」