(西から迫る兵火)17
芹沢嘉門の疑問は当然だ。
私も三好軍の南近江侵攻は信じ難い。
今もって半信半疑、なのだが、対応しなければならない。
ちょっとの手遅れで味方を殺したら、自分を許せなくなる。
右筆が書き上げた返書を確認し、芹沢に手渡した。
「参謀役方から気の利いた者を使番として向かわせてくれ。
届けるついでに戦目付も兼任だ」
「承知、早速向かわせます」
芹沢は返書を受け取ると足早に執務室から出て行った。
土方敏三郎が芹沢を見送りながら、私に言う。
「三好家と全面衝突になるとしたらどうしますか」
嫌な事を聞いて来る。
それでも私の優先順位は揺るがない。
「三好慶興殿とは友であるが、三好家自体とは商いだけの付き合い。
槍の穂先を向けて来るのなら、こちらは受けて立つだけ」
「それでも逆侵攻はせぬのでしょう」
「頭の隅に、小さな疑義があるんだ」
「疑義ですか」
「ああ、気のせいかもしれないが、ちょっとな。
・・・。
尼子軍の野営地が襲われた一件があっただろう。
それが三好家の仕業だと言われている。
そして、今回の南近江への侵攻だ。
都合が良さすぎないか」
土方の鼻息が荒くなった。
「あっ、ああ、確かに。
尼子家の場合は、旗指物とか武具が三好家の物だったのですな。
・・・。
三好家はこの辺りでよく戦をしていますから、珍しくはないでしょう。
負け戦ならあちこちに散乱していて、
土地の者にとっては絶好の小遣い稼ぎ。
その観点からすると、仕組まれていたかも知れませんな」
三好家と尼子家、三好家と当家、そう仕組んで利を得るのは、・・・。
両細川家しかない。
管領細川が思い浮かぶ。
それだけ、やらかした人物なのだ。
だが、前者と後者を別の人物が仕組んだとしたのなら、・・・。
三好家には、何れにしても利がない。
当家にも。
となると、管領細川の他には、・・・尼子家。
尼子軍に被害が及んでも、尼子晴久か近親が害された訳ではない。
この様な状況で、些少の被害で釣れれば儲けもの。
次々に新たな知らせが齎された。
「尼子軍が両細川軍と矛を交えました」
尼子軍は三好家への警戒もあり、全軍投入には至らなかったらしい。
それでも指揮系統が一つの尼子軍は手強かった。
両細川軍を押していた。
「両細川軍が陣所を移しました。
比叡山を背に、新たな野営地を構築致しました」
戦いに利非ざると見切りを付け、本陣を比叡山の裾に移転した。
これまでは逃げ散るのが得意な両細川であったが、
今回は平島公方・足利義栄を担いでいた。
そのお神輿の手前、踏み止まるしかなかったのだろう。
南近江へ向かわせた参謀役方の者から報告が届いた。
「侵攻した三好軍を殲滅には至りませんでしたが、撃退致しました」
味方の死者五十六名、負傷者百二十五名。
敵方の死者百七十三名、負傷者二百六十名、捕虜二百二十三名。
大事なのは味方の死傷者もだが、もう一つ。
「捕虜を尋問致したところ、三好軍でない事が判明しました。
地下家の坊官に率いられた興福寺の者共でした」
肝心の坊官は逃したそうだ。
芹沢嘉門が私に言う。
「状況が増々複雑になりました」
それはそうだ。
大和の興福寺がこの状況に一枚噛み、さらには比叡山。
比叡山の許可なくして野営地構築はないだろう。
私は頭が痛くなった。
「坊主共は戦が好きなのか」
芹沢が知れっと答えた。
「どうもそのようで。
葬儀に盆暮れ、墓、月命日、そして戒名、寄進。
漏れなく銭金がチャリンチャリンと懐に落ちます。
これが嫌いな坊主はおらんでしょう」
まあ、それはそうとして、こちらに戦火は及んでいない。
が、それがこの先も続くとは思えない。
願ってはいるが、何しろ期待は裏切られるもの。
三好慶興から書状が来た。
要約すると、「尼子の挑発に、当家の我慢も長くは続かない。
近々、兵を都へ向ける事になると思う。
けれど、騒がしくはなるが、当家が明智家へ兵を差し向ける事はない。
そこだけは誓う」と記されていた。
私はそれを、大人衆を招集して、差し出した。
「三好家が巻き込まれるとなると、どうなる」
一読した伊東康介が言う。
「確実に大戦になります」
「そうですな。
石山本願寺や堺衆も無関係ではおられないでしょう」
新見金之助が応じた。
近藤勇史郎が慶興の書状を受け取り、一読、顔を上げた。
「慶興様は当家に味方せよとは言わぬのですな」
お園が近藤に視線を向けた。
「慶興様はそういう方なのですよ」
お宮も同調した。
「お優しい方ですものね」
朗らかな笑いを交えて猪鹿の爺さんが私に尋ねた。
「ふぉっほっほ、殿、慶興様にお味方為さいますか」