(西から迫る兵火)15
荒廃していた都であったが、久方ぶりに、平穏に春を迎えた。
尼子家の努力が功を奏し、盗賊の類が駆逐され、修理修繕も成され、
都大路が安全になったからだ。
が、それで終わりではない。
信用を得た尼子家は、禁裏にその一帯の建て替えを提案した。
それを狙ってか、啓蟄に合わせたのか、様々な虫が這い出て来た。
尼子家の財力にたかる公家衆、僧兵等の武力を見せつける寺社勢力、
土倉に代表される口煩い町衆、地縁血縁で繋がる国人地侍等々。
これら面従腹背の輩が尼子家に擦り寄って来た。
対照的に、明確に敵対する者達も現れた。
尼子家の手配により修理修繕された箇所に火が放たれた。
鳴りを潜めていた盗賊が出没し、
土倉や座の商家が襲われる様にもなった。
気付くと都の諸物価が上がっていた。
都雀が、両細川がその背後にいる、そう噂した。
私の執務室に猪鹿熊久が現れた、都の状況を説明してくれた。
書類もあるので、分かり易い。
「ところで、諸物価の値上がりだが、そちらでの儲けはどうだ」
熊久がニコリとした。
「ぼちぼちです」
当家には商家と取引する産物取締役方がある。
しかし、そこは小回りが利かない。
そこで忍び役方にもその役目を与えた。
当家の領地外での商いをだ。
忍び宿兼商家だ。
猪鹿の爺さんの話では、「大いに儲けています」とのこと。
熊久の答え、「ぼちぼちです」は商人そのものの口振り。
うちの忍びは半分、商家に転進したらしい。
「尼子の兵糧は」
「何とか遣り繰りしていますが、夏まで持つかどうか」
「こちらが買い集めた兵糧は」
「西方の物は播磨に、東方の物は駿河に、それぞれ集積しています」
忍びなのに手広い商いの伝手。
「目を付けられてないか」
その地の有力者に目を付けられると、万一の際の矢銭や、
お召し上げがある。
そこは警戒せねばならない。
「鼻薬を効かせておりますので、その心配はございません」
「売り払う時期は」
熊久は暫し考えて答えた。
「西方は細川の動きしだいです」
「また動くのか」
「禁裏の建て替えが受け入れられれば、
覚慶様への将軍宣下も決まったも同然です。
それを潰すには、両細川は動かざるを得ません」
「まだ力を残していると思うか」
熊久は当然の様に述べた。
「尼子にも、三好にも付けない国人や地侍は多うございます。
それらが最後の御奉公に出る、そう考えております」
「面倒だな、御奉公という考え方は。
下の者達が迷惑するだけだ」
尼子家や両細川家を考えていたら、別方面で火種が見つかった。
在小谷の重臣達や、報告面会の為に来ていた重臣達が急遽、
私の居館大広間に集められた。
大人衆筆頭の伊東康介が皆を見回した。
「報告は芹沢嘉門が行う」
参謀役方筆頭が私に低頭した。
「知らせは南近江から参りました。
伊賀にて惣国一揆が起こったとの事です」
私の認識とは違っているのか。
「待て待て、前にも惣国一揆が起こり、成ったと聞いたが」
「はい、それで間違いございません。
此度のは、急ぎ調べさせたところ、一揆内での一揆でございます」
「地侍共の仲間割れか。
狭い地で相争うのか」
「表向きには、飢饉でございます。
働き手が、昨年の畿内の争いに出稼ぎに出ましたので、
充分に田畑を耕せなかった様でございます」
「出稼ぎで稼いだのだろう。
それで米や塩味噌を買えば済むだろう」
「諸物価高騰により、手が出ぬ様でございます」
誰かが買い占めているのか。
そうか、抜け目のない商家か。
それも大金を懐に抱えている、・・・。
あっ、うちの産物取締役方と忍び役方か。
私は猪鹿熊久に目をくれた。
熊久は気まずそうに目を逸らした。
私は黙った。
芹沢が皆を見回した。
「尼子の手が伊賀に入りました」
私は思わず口を開いた。
「確かなのか」
「地侍の家々を回っているのを確認しております」
「その思惑は」
「伊賀の地から避難民を出す事でしょう。
隣接する近江、大和、山城、伊勢へ出して、撹乱するつもりかと」
伊東が口を差し挟んだ。
「尼子からすると、近江と大和へ誘導するつもりで、
地侍の家々を回らせているのかも知れません」
近江は当家。
大和は三好家と在地勢力。
伊賀に火を点け、都に手出しさせぬ様にするつもりなのか。
「些か緩い手だが、一定の効果は見込めるな」
芹沢が再び口を開いた。
「それだけに騙されてはなりません。
他にも手を打っていると見るべきでしょう」
「二の手、三の手か」
「相手は尼子ですので、忍びと銭金には不足しておりません」