(稲葉山城)7
怒髪天を衝かんばかりの父、それをもっと怒らせようと申し入れた。
「父上、私は分家します。
そこで側仕えは全員、私の直臣にします。
よろしいですか」
「勘当だ、勝手にしろ」そっぽを向く。
「それから父上、私が実家でやっていた事業はこれからどうします。
こちらに全部移しますか」
父の頬がピクピク、肩がブルブル。
今にも額から血が噴き出しそう。
それを見て兄と叔父が慌てた。
顔を寄せて何事か話し合う。
父を心配すると同時に、矢銭の重要さを理解しているのだろう。
なににつけ、銭、銭、銭の嫌な世の中だ。
愛が欲しい。
道三が私を睨み付けた。
顔色は平常に戻っていた。
「光国、金銭はいかほど欲しいか申せ。
支払ってつかわす。
だからこの城をワシに渡せ」
「全額現金前払いですよ」
「城をしかと受け取ってからだ」
「前払いは譲れません」
「商人のようなやつだな」
「商人とお褒めにあずかり恐縮です。
初めての取引相手なので前払いと申しているのです」
「そうか、そうだったな商人は」
「その金銭とやらは、一体どこにあるのですか」
「大桑城と鷺山城にある」
たぶん今頃は義龍軍の手に落ちている。
「その金銭を確かめてから改めて申し入れて下さい。
納得できる金額なら引き渡します」
「本当だな」
「ええ、道三殿がこの稲葉山城に如何なる値段をつけられるのか、
楽しみにして待っています」
一段落したのかどうかは知らないが、織田殿を見た。
目が笑ってる。
あっ、いけない、この人、完全に蚊帳の外だった。
悪い、悪い。
「織田殿、お相手できずに申し訳ありせん」
「気にするな。
美濃の内輪の話のようだからワシは遠慮していた」
「それでも申し訳ない。
是非とも明智からの土産を差し上げたい、受けて頂けますか」
「ほう、ここまで来て手ぶらで帰るのもアレだしな。
お濃の為にも頂こう」
「明智印の塗り薬、服用薬、香、石鹸、清酒、薬酒を用意させます」
朝陽が眩しい。
私は本丸から柏手を打った。
パン、パン。
ずっと平和でありますように。
バン、パン、一拝。
たぶん、願いは叶うだろう。
日頃の行いがいいから。
城内を見下ろした。
既に皆、目覚めていた。
朝餉の準備でせわしなさそう。
しっかり食って、しっかり働いてくれ、諸君。
城外を見下ろした。
城下町も目覚めていた。
各家から立ち上る煙は朝餉の準備だ。
君達もしっかり働いて、しっかり納税してくれ。
長良川方向を見下ろした。
道三軍と織田軍の姿が消えていた。
滞在は二泊だった。
これ以上、尾張を留守にすると、信長自身が終わりになるそうだ。
道三は大桑城と鷺山城が義龍軍に占領されたという事実の前に、
大いに打ちのめされた。
無勢にして城持ちでなくなった、反撃の芽が完全に潰された、
味方の誰もがそう判断した。
道三軍から将兵が自然に減り始めた。
呆然自失の道三を織田信長が引き受けた。
「尾張にて隠居していただく」
昨日、織田信長はいい笑顔で私にそう告げた。
「お主とは濃姫を通しての縁がある。
身内として今後は宜しく頼むぞ」そうも言った。
日が高くなった頃合い、長良川の対岸に軍勢が現れた。
およそ千。
先触れが来た。
先頭の馬上に氏家直元がいた。
預けてある奥の者達を迎えに来たと言う。
義龍君の奥方や嫡男、お付きの女中衆を約束通り引き渡した。
如何に戦国とは言え、人質にするとか、斬り捨てるとか、
そんなのは嫌だ。
甘いと言われるかも知れないが、今は余裕があるのだから甘くありたい。
かと言って甘さを貫徹するつもりはない。
余裕がなくなれば、その限りではない。
守るべきものは守り、切り捨てるべきものは切り捨てる。
非常時は非情な心、そういう心持ちでありたい。