(稲葉山城)3
☆
昨夜はよく眠れなかった。
枕が変わったせいもあるが、大きいのは血の臭い。
入城して最初に感じたのは充満する血の臭い。
それが鼻について離れなかった。
ああ、やはり私は前世と同じ後方の人間なのだろう。
側仕えの沖田蒼次郎を従えて大広間に入った。
一段高い上座に腰を下ろした。
私の後ろに小姓役を装って沖田が控えた。
近藤勇史郎と土方敏三郎も右筆を装って手近にいた。
大広間の左右には主立った者達が顔を揃えていた。
彼等が私を支える大人衆。
その大人衆の選任にも猪鹿虎永が大きく関わった。
「煮ても焼いても喰えぬ連中がよろしいでしょう」
銭雇いの者達の仕事振りを観察していたらしい。
一つの淀みもなく人名を、つらつらと上げた。
私の側仕え達も文句なく頷いた。
そして当の本人は大人衆の末席で、のうのうとしていた。
本人曰く、このくらいが丁度いい。
この上座は昨日に続いて二回目だ。
昨日は戦った皆を慰労した後、ここに大人衆を集めて、
決定した戦後処理を通達した。
大人衆から異論は出なかった。
察するに猪鹿虎永が事前に根回ししていたのだろう。
斎藤義龍側からの使者三名が私を待っていた。
降伏勧告にも関わらず猛々しさがない。
礼儀正しく頭を下げていた。
好感度アップだよ君達。
帰りにはお土産を持たせちゃうよ。
まあ、それはそれとして、事前の打ち合わせ通りに進めることにした。
「待たせた。
頭を上げてくれ。
顔が見えないと話難い」
即座に三名が顔を上げた。
真ん前の男が重々し気に口を開いた。
「某、主の使いで参りました長井道利と申します。
後ろに控えてるのは副使である日根野弘就。
もう一人も同じく副使の氏家直元」
それそれが軽く頭を下げた。
表情が読み難いのが長井道利。
それでも疲れは隠せぬようで顔色が悪い。
重荷を背負った五十代だな。
反対に読み易いのが日根野弘就。
私に喰らい付かんばかりの視線を送って来る。
目で殺すのが得意技か、怖いわ。
年齢は四十代後半か。
氏家直元はどう見ても三十代。
何にでも興味があるのか、視線を四方に走らせている。
たぶん、偵察だな。
惚けた顔なので不問にした。
長井が深々と頭を下げた。
「城兵への寛大な処置、主に代わり深く感謝いたします」
負傷した城兵を治療したことだろう。
感謝されても困る。
こちらの都合。
銭雇いの兵達に戦傷の治療の経験を積ませたかっただけ。
勘違いさせてごめんね。
「薬が余っていた、それだけのこと、気になされるな」
「それでも感謝いたします」
「改めて挨拶いたす。
私は明智家の次男の光国。
この度、縁あって稲葉山城を頂戴いたした。
ここで分家し、ここを居城といたす。
よろしいか」
私が逸る気持ちを抑え、努めて冷静に言ったのに、
さっそく日根野弘就が喰いついた。
「戯言をぬかすな」怒鳴る。
流石は美濃の猛将、怖い。
放し飼いはいけないな~。
それを長井が片手で制し、私を見た。
嘲笑うような顔で言う。
「供が失礼を。
光国殿、城は義龍様の軍勢に包囲されています。
直ちに明け渡して頂きたい」
「ただ明け渡せと言われてもな。
お断りだ、帰っていただこう」
「これは失礼。
城攻めでお疲れでしょう。
大勢、怪我人もでたでしょう。
一晩で態勢が整えられますかな
我らの攻めに耐えられますかな」言葉を重ねてきた。
長井が威嚇するように身を乗り出した。
氏家も同様。
打ち合わせたかのような猿芝居だ。
私は笑いを堪えた。
ここから先は大人の領分。
猿芝居には猿芝居。
お任せしよう。
大人衆に目を遣った。
さっそく大人衆の筆頭・伊東康介が口を出した。
「道三軍や織田軍に手こずっているのに、城攻めですか。
攻め切れますかな、我が城を」
大人衆の次席・武田観見も参戦した。
「城攻めは、謀をもって弟二人を殺すのとは訳が違いますよ」
これを切っ掛けに論戦になった。
互いに、ののしり合う。
銭雇いの大人衆が歴戦の武将三名相手に一歩も引かない。
まあ多勢に無勢の感もするが、そこは言わない。
大広間が白熱するのに反して私の頭は冷えてきた。
猿芝居もここに極まれり。
私は近藤勇史郎に目で合図した。
応じて近藤が床を平手で激しく打った。
バン、ババン。
皆が一斉に声を飲んだ。
恥ずかしそうに姿勢を正した。
私は頷いて、使者三名を見た。
「城攻めの話の前に何かあったのではないですか。
大事な人達の安否とか。
もしかして忘れているとか」
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