(狸ヶ原)4
右翼の最前線には近江衆が布陣していた。
率いるのは藤堂虎高。
進路変更して襲来した信濃諸将隊は左斜行陣の美濃衆に任せ、
彼は前方から来る敵に備えていた。
それが来た。
信濃諸将隊が敗走するのと入れ替わるように、
一条信龍隊が隊伍をしっかり組んで攻めて来た。
更にその後方には小畠虎盛隊。
数がちと多いが、相手にとって不足なし。
藤堂虎高は近江生まれながら、流浪の末、
かつては甲斐武田家に仕えていた者。
当時の守護・武田信虎に偏諱を授けられるほどの働きをしたが、
古い家風に馴染めず、ついには武田家を辞した。
戻った近江でも頭角を現した。
武田家での経験を活かし、地侍として名を上げた。
そこへ侵攻して来たのが明智家。
目新しさで一杯の家風であった。
そこに惹かれ、臣従の道を選んだ。
藤堂虎高は一条信龍隊を観察した。
流石は信虎の実子にして、信玄の実弟。
軍気旺盛にして、隊伍に乱れなし。
しっかり隊を掌握していた。
そんな一条信龍隊を藤堂は近江衆でもって、しっかり受け止めた。
小畠虎盛隊が迂回して側面から攻めて来た。
武田家の戦略戦術は理解していた。
ここは闇雲に退くでもなし、無謀に攻めるでもない。
現状維持が最善手。
余裕を持って、そちらも受け止めた。
時間は味方。
竹中重元が近江衆の再編成を終えた。
それを見て取るや、藤堂は加勢を求めた。
竹中に否はない。
即座に了承し、小畠虎盛隊に攻めかかった。
左翼最前線で防御陣を敷いていたのは長倉金八の組。
ところが想定していた馬場信春隊が来ない。
だけではない。
馬場隊の後方にいた真田幸隆隊襲来に期待したが、そちらも来ない。
来ないどころか、中央に移動して行くではないか。
もしかして、武田軍は中央からの攻めに徹するのか。
これでは完全な肩透かしだ。
よくよく見ると前方には、距離はあるが、小荷駄隊のみ。
その後ろには武田軍本陣がある。
長倉は思わず舌舐めずりした。
自分の組のみで小荷駄隊は蹴散らせる。
問題は武田軍本陣にまで届くかどうか。
もう少し数が欲しい。
使番を土方へ走らせた。
使番が増援を連れて戻るかと思っていたら、土方が来た。
長倉の言い分を確認すると、最前列から敵情を見渡した。
「三千もいれば本陣には届く」土方が断言した。
「なら」
「これは撒き餌だ。
俺達をここから引き剥がすつもりだ」
「んっ・・・。
だから真田幸隆隊を中央に移動させたのか」長倉も理解した。
「そうだ、中央からの攻めを厚くしたと見せて、俺達を引き剥がす。
俺達が小荷駄隊を蹴散らし、本陣に迫ったところで、
真田幸隆隊が再び進路変更する。
そして鉄砲隊を側面より襲う」
「そっちが本命か、俺達は無視か」怒りが垣間見えた。
土方がニヤリとした。
「信濃諸将隊が二つあった。
何れも潰走したが、どこに向かったのか分かるか。
再編成している場所が見えるか」
「見えん、どこにも見当たらん」
「だとすると、本陣後方で再編させていると見るべきだ」
「本陣の後方に一部隊が出来上がる訳か」
「だろうな、どうだ、俺達は三千で足りるか」
「とても足りん。
それに、撒き餌だとすると、蹴散らした小荷駄隊も怪しい」
土方が鼻で笑う。
「ふっ、おそらく、それなりの将を置いてる。
蹴散らかされたと見せて、俺達の背後を塞ぎにかかる」
「そいつは弱ったな」顔は弱っていない。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、どうする」
土方が子供のような笑顔で長倉を見た。
☆
☆
武田信玄は本陣の仮櫓を指揮所にしていた。
敵味方の旗指物の動きで戦場全体の流れが分かった。
左翼で入り乱れ、中央は膠着、右翼は動きなし。
各隊に付けた戦目付からも報告が適時に届いた。
目と耳で把握に努めながら、鼻と肌で勘も働かせた。
今のところ、こちらが分が悪い。
六四で負けている。
特に足軽雑兵の戦線離脱が痛い。
信玄でも目が届かぬところで逃げる者を止めるのは至難の業。
とっ、敵右翼で動き。
敵右翼が陣を払い、隊列を組み始めた。
騎馬の集団が前に出て来た。
これは攻めに転じたと判断すべきか。
確か敵右翼の指揮官は土方。
足軽上がりではなく、当主の側仕え上がり。