(狸ヶ原)3
山南は昂りそうになる感情を懸命に抑えた。
早過ぎてはいけない。
遅くてもいけない。
大切なのは料理と同じで塩梅、頃合い。
おっと、大事な班を動かす事を忘れていた。
新規の狙撃班に目をくれた。
一丁の狙撃銃に射手と補助員の二名。
それが三丁だから六名。
これに警護三名と班長、合わせて十名の小さな班。
その狙撃班を呼び寄せた。
「自陣内なら自由に動いて良し。
好きに動き回って、好きに放て。
武将を撃っても良し。
局面を変える一撃を撃っても良し。
一切を任せる」
敵勢が遠山一族の死体が転がる地点に入った。
勢いの付いた馬足は全く緩まない。
死体を巧みに避けながら、怯みを見せずに接近して来た。
山南は片手を上げた。
「放て」
筒先を揃えた第一組が立射、轟音。
心地好い硝煙が山南の鼻を擽った。
結果は見るまでもない。
射手達の狙いは馬。
大きな馬体なので狙い易い、外さない。
悲惨なのは弾丸を喰らった馬。
ドッと倒れて騎手を下敷きにした。
あるいは狂ったように暴れて、騎手を振り落とした。
騎乗していた者達の多くは巻き込まれるか、
脱しても後続の馬の蹄にかけられた。
銃撃ではなく味方の接触によって落馬する者や、
回避に失敗して態勢を崩す者も見受けられた。
馬群の中ほどに立派な甲冑姿の武者がいた。
付き従う者達は彼を守る隊列を組んで、一糸の乱れも見せない。
この隊の指揮官と供回りの者達であろう。
一人の腰の旗指物からすると、人物はたぶん、秋山虎繁。
先鋒の者達が銃撃で倒れても彼は前進を止めない。
顔色一つ変えず、周りに指示を飛ばし、前へ前へと軍勢を進めて来た。
見ていた山南の耳に聞き慣れた銃声三発。
狙撃。
その秋山が一瞬、ビクッとし、動きを止めた。
そして、そのまま前のめりに落馬した。
慌てる供回りの者達。
山南は順番が来た鉄砲隊第四組に指示した。
射撃を秋山が落馬した周辺に集中させた。
供回りの者達を一人残らず餌食とした。
崩れる筈の後続の徒士組にその様子が見られない。
通常は指揮官を失うと継戦の気概も失うのだが、彼等は違った。
血相を変えて攻め寄せて来た。
訳は直ぐに分かった。
彼等を追い立てるように、その真後ろに馬場信春隊が続いていた。
それでは逃れようがない。
ちょっとでも隊列を乱した途端、後方の馬場隊によって斬られてしまう。
前方の鉄砲、後方の馬場隊、その選択肢は限られていた。
真っ直ぐ死地に向かうしかない。
左翼指揮の土方敏三郎は信濃諸将隊の進路変更に戸惑った。
当初は馬場信春隊を迎え撃つつもりでいた。
それがこれだ。
小賢しい。
既に長倉金八組千に馬場隊想定の防御陣を敷かせていた。
これを軽挙に動かせば左翼全体の骨組みが狂う。
第二陣の斎藤一葉組千を向かわせた。
信濃諸将隊に手間取る訳には行かない。
まだ武田主力が控えているのだ。
短期での殲滅の為、持ち駒の弓騎馬五百に支援させた。
右翼指揮は地元美濃衆二千を率いる竹中重元。
こちらも敵の進路変更に戸惑った。
内藤昌豊隊ではなく、もう一つの信濃諸将隊が来たからだ。
それでも迂闊に動かない。
内藤隊に備えていた近江衆二千は動かさず、
自ら美濃衆に左斜行陣を組ませて迎え撃つ。
盾足軽五百、弓足軽五百、槍足軽五百、騎馬を含む本隊五百。
まず弓足軽が迎撃した。
弓による長距離攻撃。
それを潜り抜けた敵勢は盾足軽が押し止める。
盾を並べただけではない。
盾足軽は盾だけでなく短槍三本を持ち運ぶ。
そのうちの二本を投擲し、残りで盾陣を守備した。
熟練の投擲と堅実な守備固め。
間隙を縫って槍足軽が各所よりと突撃攻撃を繰り返す。
打って出ては引っ込む。
打って出ては引っ込む。
亀、亀、亀。
それを何度となく繰り返した。
その辺りは歴戦の強者、竹中重元は一手も間違えない。
そして完全に崩したと見て取るや総攻撃を命じた。