(狸ヶ原)2
☆
武田信玄は本陣に設置した仮櫓にいた。
高所から一部始終を見ていた。
結果に思わず目を剥いた。
遠山一族隊が壊滅してしまった。
それは橋頭堡の潰えを意味した。
初手は瀬踏みであった。
相手の力量を測り、次に活かす。
なのに遠山一族隊があっさり壊滅した。
扱き使うつもりではいたが、壊滅までは望んでいなかった。
東濃の支配に支障をきたすからだ。
困った。
取り敢えず止太鼓を打たせた。
全軍を一時停止させた。
信玄は今回の美濃侵攻で明智家を倒せるとは思っていない。
相手は倍の領地を持つ国。
五年ほどの長期戦になると踏んでいた。
その為の橋頭堡が東濃の遠山一族。
それが戦場にて一瞬で散った。
領地に地縁血縁の者達はいるだろう。
だが、戦力としては甚だ心許ない。
今回の侵攻には一族の主力が参じていた。
それが壊滅した。
残っている者達は多くが老人か、若年の者達。
彼等に期待はできない。
我らが退けば直ちに明智家に粉砕されるだろう。
残念な結果になった、が、後悔する前にすべきことがある。
目の前の状況の打破だ。
信玄は使番達を呼び寄せた。
それぞれに口頭で新たな指示を持たせ、各隊に走らせた。
ついでに乱太鼓を打たせた。
総攻撃前の触れ太鼓。
癖になりそうな拍子を刻み、聞く者の心を躍らせる。
そして死地に赴かせる。
☆
☆
鉄砲隊を指揮していた山南は敵陣の動きを観察していた。
武田軍は味方の壊滅を目の当たりにして、激しく動揺していた。
それが走り回る使番と、この乱太鼓の影響で減じた。
浮足立っていた足軽雑兵の類が姿勢を正して行く。
山南は耳に心地好く響く敵の太鼓に感心した。
当家の太鼓とは趣きが違う。
これが旧家が積み重ねて来たものなのだろう。
太鼓の拍子に知らず知らずのうちに、身体が反応していた。
武田軍から鬨の声が上がった。
一度だけではない。
二度三度と上がった。
自然、武田軍全体から軍気が沸き上がって来た。
それを見て取ったかのように太鼓の打ち方が変わった。
懸太鼓。
攻撃の合図。
まず中央の信濃諸将隊が動いた。
前進開始。
左の先鋒・馬場信春隊も遅れて動いた。
右の先鋒・内藤昌豊隊も同じように遅れて動いた。
二つの隊の遅れには意味があるのだろう。
中央のもう一つの信濃諸将隊も連動した。
間隔を置かずに続いた。
真正面から二つが波のように押して来た。
各個に雄叫びを上げ、戦意を維持しようと図る。
山南は慎重に見定めた。
射程のうちに入れたら一人も逃さない。
それが自分の仕事。
突然、信濃諸将隊の動きが変わった。
射程の手前で進路を変えた。
左斜めに変更した。
向かう先には土方の旗本隊三千。
後続の信濃諸将隊も迷いなく進路を変更した。
こちらは右斜め。
向かう先には美濃与力衆二千、近江与力衆二千。
驚きはそれだけでは終わらなかった。
二つの信濃諸将隊の後方に第三陣がいた。
秋山虎繁隊。
本陣の盾の役目を捨てて攻めに転じて来た。
先頭には一塊になった騎馬隊。
およそ千。
騎馬の足が温まったのか、速度を上げた。
遅れじと徒士組も血相を変えて続いた。
こちらは二千。
死地に赴くと理解しているのか、怒鳴り声のような雄叫びが随所で、
手前勝手に上がった。
驚きは更に続いた。
左の先鋒・馬場信春隊が中央に進路を変更した。
右の先鋒・内藤昌豊隊も同じように中央に進路を変更した。
秋山隊の後方に馬場隊が入り、その後方に内藤隊が入った。
慣れているのか、遅滞なく進路変更を完了した。
中央に武田軍三将が集まった。