4. 愛のない結婚
***
「出来ました! いつもながらお綺麗です、お嬢様」
レイラの髪と化粧を仕上げた侍女が、後方から声をかけた。
レイラは両瞼をゆっくりと上げて、鏡に映る自分を見てにっこりと笑う。満足いく仕上がりのようだ。
「ありがとう。良い出来だわ」
鏡越しに後方の侍女と目を合わせて簡単に礼を言い、レイラは椅子から立ち上がる。
「もうそろそろかしら?」
「そうですね。確認してまいります」
レイラが尋ねると、即座に侍女が確認しに部屋から出て行った。
……アルフレッドの誕生日パーティから一週間ほどが経ったこの日、レイラは皇宮に出向き、皇帝陛下に謁見することになっていた。新たに婚約する予定のギルバートと共に。
そのため、ギルバートがアルノー邸まで迎えに来てくれるのを待っていた。
皇帝陛下への謁見が迫れば、いつも冷静なレイラの顔にも少しずつ緊張の色が見え始めていた。
アルフレッドに婚約破棄されたレイラに、皇帝陛下はどんな言葉をかけるのか。
代わって婚約者にと名前が挙がったギルバートとのことも、一体どのように考えているのか。
答えが出ない問題に悶々としていると、部屋の扉がノックされ、先ほど確認しに行った侍女が戻ってきた。
「失礼します。お嬢様、ギルバート殿下がご到着されました」
「分かったわ」
レイラは深呼吸をして、ギルバートが待つ馬車へと向かった。
***
馬車の前には、先日のパーティの時と同じ、黒騎士の姿をしたギルバートが立っていた。
(あそこまで真っ黒だと遠目からでも分かるわね……)
ギルバートの目の前まで近づいたところで足を止める。
「ギルバート殿下にご挨拶いたします」
「ああ……。手を」
ギルバートはそっけない返事をしながらレイラに手を差し伸べて、彼女を馬車へとエスコートした。
レイラが馬車に乗ると、続いてギルバートも乗り込み、二人は対面する形で席に着く。
馬車が走り出してから数分。
レイラは当たり障りのない会話を試みた。
「……ギルバート殿下。婚約について陛下と事前にお話をされたりしましたか?」
「いや、何も」
「そうですか。今日は仕事はお休みですか?」
「ああ」
レイラの試み虚しく、返事は一言だけ。
これでは会話が続かない。
ギルバートは必要最低限の言葉しか発しない主義なのだろうか。
それとも、レイラと会話する気がないということなのだろうか。
もしかして、ギルバートは人間を嫌う獣人?
弟の婚約者をお下がりされただけでも可哀想なのに、もし嫌いな人間との婚約だとしたら……。
そんな想像ばかりがレイラの頭の中で膨らんでいく。
無言の馬車はしばらくして皇宮に辿り着き、二人は謁見の間に向かった。
謁見の間の中に案内されると、皇帝陛下とアルノー宰相が姿を見せた。アルノー宰相はレイラの父である。
「よく来たな、ギルバート。それからレイラも」
「皇帝陛下にご挨拶いたします」
「ご挨拶いたします」
ギルバートが先に挨拶をして、レイラがそれに続いた。
「堅苦しいのは無しだ。楽にせよ。……先日またアルフレッドが問題を起こしたそうだな。何があったかは聞いた」
皇帝陛下は頭が痛いといった様子で、頭を抱えながら壇上の椅子に腰掛けた。
「レイラ、それに宰相も。アルフレッドが申し訳ないことをした。しかし……」
謝りつつも、『しかし』と続いた言葉。
その先に来る言葉は予想出来ていた。
「アルフレッドの望む通りにさせてくれないだろうか」
アルフレッドに甘い皇帝陛下。
アルフレッドの望みは出来る限り叶える。
今回も漏れなくそういう結論なのだろう。
ふとレイラが皇帝陛下の後ろに立つアルノー宰相に視線をやると、苦渋の決断だと言いたげな顔をしている。
父親のそんな顔を見て、レイラは悟った。
恐らく、この話を皇帝陛下から先に打診されていた父は、散々反対してくれたのだろう。それでも皇帝陛下の意思は固く、父の反対は通らなかった。きっとそういうことだ。
宰相である父の言葉でも通じなかったのであれば、ここでレイラやギルバートが反対意見を言っても無駄だろう。
「承知いたしました、陛下。アルフレッド殿下との婚約破棄、およびギルバート殿下との婚約を謹んでお受けいたします」
「おお、そうか! さすが宰相の娘だ。物分かりがよく助かるよ」
レイラの答えを聞き、皇帝陛下は胸を撫で下ろした。
「ギルバートもそれで構わぬな?」
「……はい」
皇帝陛下は、どうせギルバートは反抗しないだろうと決めてかかる様子で、彼への確認は至って簡素だった。
それに対するギルバートの返事も『はい』の二文字。
「よし。そうと決まればまずは婚約式だな。宰相、皇子二人の婚約式はまとめて行おう。神殿に良い日取りを確認し、手配を頼む」
「畏まりました」
……皇帝陛下への謁見は、ものの数分で終わった。
予想通りではあるが、正式にギルバートとの婚約が決まったレイラは、あることを考えていた。
そして馬車へと戻る帰り道。
周りに誰もいないことを確認して、レイラは少し前を歩いていたギルバートに話しかける。
「……殿下。私は殿下を縛りつけるつもりはございません」
突然何を言い出したのかと、ギルバートはレイラの方を振り向いた。
「もし殿下に慕う方がいらっしゃるなら、妾としていただいても構いません」
「そんな者はいないが」
「今はおらずとも、いずれ現れるかもしれませんわ。そのときは遠慮なさらないでください」
レイラは微笑んだ。
(きっと、彼は獣人の女性を愛するはず……)
「ただ一つだけ。表向きは私の、妻としての立場を守っていただけると嬉しいです」
妾をつくることは許容するが、それで自分が蔑ろにされたくはない。
ギルバートの将来を慮りながらも、自分の将来も惨めなものにはしないための一言だった。
ギルバートには突拍子が無さすぎて、よく分からなかった。
今しがた正式に婚約した相手に「どうぞ妾をつくってください」と言われるとは、夢にも思っていなかっただろう。
「……愛はいらないということか?」
「そう取っていただいて構いません。お互い勝手に決められた結婚ですもの。無理に愛する必要はありませんわ」
確認のために質問したギルバートだったが、レイラは間髪入れずに返事をした。
そこに迷いは無い。
公爵家に生まれた瞬間から、結婚に『愛』を求めるつもりはなかったのだから。
「……分かった」
ギルバートはじっとレイラを見つめてみるが、彼女の瞳には揺らぎが見られない。
レイラがそれを望むなら、とギルバートはただレイラの言葉を受け入れたのだった。