43. よく効く薬
ネイトの部屋に着くや否や、レイラは深々と頭を下げて謝罪した。
「誠に申し訳ございませんでした」
「なっ、頭を上げてください」
突然そうされるとは思っていなかったネイトは、仰天しながらレイラの両腕を掴んで無理矢理頭を上げさせた。
しかし、レイラの気は収まらない。
アルフレッドはネイトに対して無礼を働いた。特に最後の、カルダールを小国呼ばわりした発言は極めつけだった。
「本当に……お詫びのしようがございません」
「いやいや。あなたが謝ることではないですから」
「それでもこの国の皇子妃として、謝罪をさせてください」
「私からも謝罪します。愚弟が、誠に申し訳ございません」
いつもはアルフレッドを皇太子として扱うギルバートも、今回ばかりは兄として頭を下げた。
「うーん……」
レイラとギルバートの両名から頭を下げられ、ネイトは困ってしまう。ぽりぽりと頬を掻き、どうしたものかと考えた。
「……失礼ながら、皇太子殿下はいつも“ああ”なのですか?」
ふと疑問に思ったネイトがレイラたちに尋ねた。
“ああ”とは何を指しているだろうか。
激昂したこと。
無知なこと。
傲慢なこと。
きっとそのどれもだ。
これにはギルバートが答える。
「……お恥ずかしながら」
それを聞いたネイトはやっぱりかという顔をしながら「そうですか」と頷き、寝台脇に置いてある棚にあるものを取りに行った。
お目当てのものを手に取ると、踵を返してギルバートの目の前までやって来た。
「これをどうぞ」
そして彼の手のひらに収まるほどの大きさの、小さな陶器の入れ物を差し出した。
ギルバートは反射的にそれを受け取ったものの、それは蓋がされていてぱっと見では中身が分からない。
「これは?」
「薬です。レイラ妃殿下の手に塗ってあげてください」
「!」
ギルバートが蓋を開けると、中には白色のクリームが入っていた。ギルバートは早速レイラの手を取り、巻いていたハンカチを取って優しくクリームを塗り始める。
「それはメキシコサラマンダー族が持つ再生能力が付与されている薬です。切り傷によく効くはずです」
「公爵そんな……」
「分かっていますよ。妃殿下は、あれ以上皇太子殿下に発言させないためにわざとグラスを割ったのでしょう?」
レイラは、薬なんて求めていなかった。
あの場を切り抜けるための方法として、わざと怪我をして薬をもらう名目でネイトを連れ出せばいいと考えただけ。
ネイトが傷薬を持っているかは問題ではない。ただ彼を会場から連れ出す口実があればそれで良かった。
だからレイラは、皆の視線がアルフレッドに集中しているときを見計らい、密かにワイングラスをテーブルに叩きつけて割った。そして破片を握りしめ、まるで自分が力を入れ過ぎてグラスを割ってしまったように見せかけた。
「しかしあまりに無茶ですよ。妃殿下自身が怪我をする方法を選ぶだなんて。……だけど、あの場面では最善の方法だったと言えるでしょう。ですからその薬は、あの場であれ以上の屈辱を味わわずに済んだことへのお礼として差し上げます」
自ら怪我を負うという方法を取ったレイラを嗜めつつ、その思い切りの良さには感服したネイト。
それにはギルバートも同調する。
「そうだぞレイラ。今後、自らを傷つける真似はしないでくれ。せっかくこんなに綺麗なのだから」
「……はい」
「とは言え、よくやってくれたと思う。あれだけの騒ぎでは、今頃陛下の元にも報告が上がっているはずだ。さすがのアルフレッドもこれで少しは大人しくなれば良いんだが……」
アルフレッドがネイトに向けて放った言葉を皇帝陛下が知れば、少なくともお説教は免れまい。アルフレッドに何か処分が下るかは分からないが、せめてしでかした事の重大さは学んで欲しい。
(でなければ、私が手を痛めた意味がない)
あの場で彼を平手打ちして発言を制止することも出来たけど、しなかった。
万が一にも、皇太子への不敬だと罰せられる可能性は避けたかったし、それにアルフレッドを被害者扱いさせたくはなかったからだ。
全面的に彼に落ち度があり、彼が罰されなければならない状況にしておかなければいけなかった。
だからレイラは、アルフレッドとは関わらずに、ただギルバートとネイトを連れて会場を出る術を考えたのだ。
あとのことは、第三者がうまく皇帝陛下に伝えてくれれば済む話。
「そうですね。さすがの陛下も皇太子殿下にお灸を据えてくれると信じています」
全てを見据えた上で、レイラはこくんと頷いた。
「さて。これで塗れたと思うが、どうだ?」
丁寧に薬を塗ってくれたギルバートがレイラの手のひらをじっと見つめると、グラスで切ってできた傷が段々と塞がっていく。
そしてあっという間に、手のひらの傷が消えてしまった。まるで最初から切れていなかったかのように、跡形もなくなった。
レイラとギルバートは目を見張り、言葉が出ない。
信じられないと言った様子で、レイラは手をぎゅっと握ってみるが、痛みも違和感も何も感じない。
「これは……」
「言ったじゃないですか。よく効くと」
「そんな言葉では片付けられませんわ……。これは……この薬の効果は驚異的です」
「それだけメキシコサラマンダー族の能力が凄いんですよ」
はは、とネイトは笑っているが、笑い事では済まない。
「こんな凄い薬はゼインにはありません。これは一体どうやって、」
「すみません。その薬はグランヴィル家特製なので何もお話できないんです」
「まあ……。それは残念です」
どうやって作るのか、どうやったら手に入れられるのかと聞こうとしたのも束の間、ネイトは人差し指を口の前に立てて秘密なのだと言った。
グランヴィル公爵家の特製と言われては、それ以上は何も聞けない。
薬の効果を身をもって体験したからこそ、それを手に入れられないことを、レイラは至極残念に思ったのだった。
────それから一夜明け、ネイトは朝から、カルダールに持ち帰るお土産をたくさん馬車に詰め込んでいた。
一週間という短い時間が終わりを迎え、とうとう出発の日が来てしまった。
レイラやギルバート、アリシアに見送られながら、ネイトはいつもの笑顔でカルダールへと帰って行ったのだった。




