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悪女には死がお似合い~偽りの聖女に嵌められた令嬢は、獣の黒騎士と愛を結ぶ~  作者: 香月深亜
第二章

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42. 機転

 アルフレッドとニナが、仲良く笑顔で入場してきた。この国の皇太子と聖女の登場に、参加者たちが皆浮き足立つ。


 二人は皇族らしく手を振りながら前進し、ギルバートとレイラの目の前までやってきた。

 ギルバートが代表して挨拶をして、続けてレイラが礼をする。


「皇太子殿下ならびに皇太子妃殿下にご挨拶いたします」

「ご挨拶いたします」


 しかしアルフレッドは二人をあまり気にかけず、すぐ近くにいたネイトの存在に気づいて目を輝かせる。


「グランヴィル公爵ではないですか! こちらにいらしてたんですね! ぜひ向こうで話しませんか?」

「ああ、えっと。……はい」


 夜会に来ている状況では忙しいなどという理由も使えず、ご満悦な様子のアルフレッドに、ネイトはやむなく連れて行かれてしまった。



「……どなたか良い方がいればと思っていましたが、あの様子では難しいかもしれませんわね」


 ネイトに同情しつつ、レイラは残念がる。アルフレッドのあの喜びようでは、きっとそう簡単には解放してもらえなさそうだからだ。


 この夜会にもしネイトが気にいる令嬢がいれば、と約束していたものの、始まって早々にその機会が奪われてしまった。


「まあ……アルフレッドも終始公爵を引き止めてはおけないはずだ。後で改めて様子を窺ってみよう」


 レイラが肩を落としていたのを見て、ギルバートが慰めの言葉をかける。


「はい。そうします」



 ……と、そんな始まりを迎えた夜会だったが、十分も経たないうちに事態は一変してしまう。


「どういうことですか!」


 賑わいを見せていた会場で、一際大きな怒号が轟いた。

 その瞬間、全員が会話をやめ、会場は静寂に包まれる。少し離れたところにいた声の主たちの会話がレイラたちの耳にも届くほどの静寂だ。


「落ち着いてください殿下」


 そうやって宥めようとしている声はネイトのものだった。



 突然の怒号を聞いた貴族たちは、なにが起きたのかとざわざわし始める。


(どうしたのかしら?)


 状況が分からないのはレイラも同じ。

 レイラはギルバートと視線を合わせ、二人でアルフレッドたちのいる場所へと向かった。



「なぜアルノー家と……! カルダールとの貿易なら俺を通してゼイン帝国と、」

「自分はただの公爵ですから。たしかに今回カルダールからの献上品を持ってきていますが、あれはあくまで運んだに過ぎません。自分がカルダールを騙ることは出来ませんよ」

「そんな馬鹿な! もしそうだとしても、なぜアルノー家なのです!」



 その場所に着くまでに、大方の話は理解できた。

 つまりアルフレッドは、ネイトがアルノー家と契約を結んだことが気に食わないということだ。


「アルノー家は代々宰相を務める公爵家では? グランヴィル家として申し分ないと判断しました」

「そん……! い、一体どんな条件なのですか?」

「契約条件はお教えいたしかねます」


 頭に血が上ってしまっているアルフレッドを、ネイトはスルスルとかわしていく。

 するとアルフレッドは恥ずかしい言葉を口にした。


「俺はこの国の皇太子だぞ!!」


 先ほどの怒鳴り声よりもさらに大きな声が会場内に響き渡る。


(……皇太子だからなんだと言うの)


 彼が口にした言葉に、レイラは辟易する。

 皇太子という肩書きをちらつかせて相手を屈させる。それは威厳でもなんでもない、脅迫だ。


(貴族たちの目があるところで怒鳴るなんて、品位のカケラもないと言うのに)


 皇太子だからと胸を張りたいのなら、それ相応の姿を見せ、功績をあげてからにしてほしい。

 現実問題、国政はほとんど皇帝陛下が担い、皇太子に分け与えられた仕事は数えるほどしかないだろう。しかも、どれも責任が重くない、言わば簡単な仕事だ。


 ……いっそ、騎士団長のギルバートの方がよっぽど民のために動いていると言えるのではないか。


 でも、アルフレッドは馬鹿だから。

 それを補うために婚約者に充てがわれたのがレイラだった。それなのに。


(そんな大人たちの意図も知らずに勝手に婚約破棄したのは彼よ。……けれど)


 ネイトは隣国の公爵で、国賓である。


 正直今の発言だけでも危険だ。

 穏健な彼相手だから良いものを、相手を間違えれば憤慨されて帝国に損失を招いただろう。

 だからこれ以上はもう、ダメだ。


「たかだかカルダールのような小国の貴族が、ゼイン帝国の皇太子に盾突いて良いと思って、」




────パリンッ!




 何かが割れる音がして、アルフレッドの発言も止まった。

 そして、全員の目が音のした方向を見た。


 多くの視線の先にはレイラがいた。

 彼女の右手は胸元の高さでワイングラスの脚を持っているのに、左手はその上部で拳を握っている。

 本来ワインが注がれる部分、ガラスでかたどられているはずのその場所にどうして拳があるのか。


 しかもよくよく見れば、その拳からはポタポタと赤い雫が落ちている。

 遠目からなら赤ワインに見えるかもしれないそれは、彼女の手のひらを裂いて出てきた鮮血だった。

 


「レイラ!?」


 隣にいたギルバートがぎょっとして、慌ててレイラの手を確認すると、彼女の手の中には割れたガラスの破片があった。


「グラスが割れたのか?」


 しかし、なぜか当の本人からは返事がなく、慌てた様子も見られない。

 割れたグラスで手を切ったのならば痛みもあるはずなのに、表情も変わっていない。


「おいまさか、手でグラスを割ったのか? レイラがそんな怪力だったとは! 今更ながら、獣の兄上とお似合いではないか!」


 女がグラスを手で割るなんてあり得ない。

 それをアルフレッドが大声で叫び、レイラを嘲るように笑う。


 それでもレイラは無反応だ。 


 ギルバートはサッとハンカチを取り出し、手際良くレイラの左手に巻いていく。


「これはとりあえずの応急処置だ。すぐに部屋に戻って侍医に診てもらおう」


 ギルバートはレイラの腰に手を回して連れて行こうとするが、どうしてかレイラは足を動かさない。


「レイラ?」



「……公爵」


 レイラはネイトを見つめて口を開いた。


「たしか、傷口によく効く薬をお持ちではなかったでしょうか」

「え」


 そんな話をしただろうか、とネイトは困惑の色を見せている。


「カルダールにしかない薬草があり、それを使って作った塗り薬は外傷によく効くのだと自慢してくれたではないですか」

「……」

「不躾で申し訳ございませんが、その薬を少し分けていただけませんか? もし宜しければ、これからお部屋まで伺わせてください」

「!」


(なるほど、そういうことか)


 ネイトは何かに気づいた様子で、困惑していた顔も笑顔に変わった。



「……ああ、あの薬のことですね!」

「はい」

「勿論差し上げますよ! それでは部屋に。ああ、ギルバート殿下もご一緒にどうぞ」

「ありがとうございます」


 そのまま会場から出て行こうとしたところで、ネイトは足を止めてアルフレッドに礼をした。


「おっと失礼。それでは皇太子殿下、自分はこれで失礼します」


 ネイトに続いてギルバートとレイラも小さく頭を下げ、三人はネイトの部屋へと向かったのだった。

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