27. 研究者の顔
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「まあ、お兄様には内緒なんですね」
くすくす、と楽しそうに笑うアリシア。
「はい。これ以上心配させたくなくて」
「確かに、妹が伝染病を調べているなんて知ったら、何事かと思いますものね」
今日は白衣を着て髪の毛をまとめているアリシアが、レイラからルーファスの話を聞く。
「アリシアさんは家族にも言っていますか?」
「残念ながら、私には家族がいないので言う相手がおりません」
「! すみません」
「いえいえ。こちらこそ参考になれずすみません」
家族がいないなんてことを言わせてしまったことにレイラは謝るが、アリシアは変わらず笑顔だった。
少し後ろ暗そうな顔をしているレイラを見かねて、アリシアは本題に入ることにした。
「……それで、アルノーさん。やはり他の情報は思い出せませんか?」
「そうですね……。他にも何かなかったかと考えてはいるんですが何も……」
「そうですか」
アリシアの顔が真剣になる。
伝染病を解明しようとする研究者の顔だ。
……レイラは先日、アリシアに自分が回帰していることを打ち明けた。
伝染病のことを本気で調べてもらうためには必要だと思ったからだ。悩んだけれど、アリシアには言わなければいけないと思ったのだ。
回帰のことを話したのはアリシアが初めてだった。
二年もしない内に帝国を伝染病が襲うこと。多くの獣人が死に至ること。その中に、ギルバートも含まれていること。
アリシアは驚いていたけれど、すんなりレイラの言うことを信じた。彼女曰く、
『ウサギ族は耳が良いと言いましたでしょう? 私は集中すれば、その人が嘘をついているかどうかも聞き分けられるんです。アルノーさんの言う回帰は到底信じられない出来事ですが、あなたの声から嘘が感じられない以上、私はそれを信じます』
とのことだった。
そのおかげで話は予想外に早く進んだのだが、問題はその後だった。
はっきり言って、レイラの持つ伝染病の情報が少な過ぎた。
そもそも回帰前に、伝染病に積極的に携わっていたわけではないので仕方がないが。感染後どのくらいで発症するのか、発症後どのくらいで死に至るのか、などと伝染病の詳細についてアリシアから質問されてもレイラはほとんど答えられなかったのだ。
ニギラ村から始まり、風邪と似た症状。
そんな心許ない情報しかなく、アリシアとしてもどこから調べれば良いのか困ってしまった。
そのため、何でも良いから他に何かなかったか思い出して欲しいと言われ、レイラは日々回帰前の記憶と対峙している。
それでも、有力な記憶は出てこない。
「まあ、伝染病に詳しい方が不思議ですしね。回帰する予定で事前に調べ尽くすなんてことも出来ませんし、そう気を落とさないでくださいな。……でもどうしましょう。こうなるとやはり、ニギラ村に行くしかないかしら」
アリシアからすればまだ見ぬ病。
百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、見てもいない病を研究するのは至難の業である。
今ニギラ村に行っても何も見つからない可能性の方が高いが、僅かな可能性にかけてみようかという思考だ。
「ニギラ村は帝都から離れた田舎町ですから、不衛生な水や食品を口に含んだことによる感染というのが一番疑わしいですが、そんなありきたりな原因であれば帝国の研究者たちもすぐに気づけたはずです。誰も原因を突き止められなかったのであれば、今までの伝染病では考えられないところに原因があるはずです」
「それは同感です。おそらくこの伝染病には、私たちの想像を遥かに超える何かが隠れているのでしょう」
「何か……」
アリシアは顎に手を当てて、ふむ、と深く考える。考えれば考えるほど、アリシアの意識は奥深くへと沈んでゆく。まるで脳内に潜り込んで行くようだ。
こうなった彼女には、何を言っても声が全く届かなくなる。
(また意識が潜ったのね……)
最初はレイラも、無反応になったアリシアを見て慌てていた。しかし、団員から説明を受けてからは、よくあることとして落ち着いて対処できるようになった。
これはただ彼女が研究に没頭しているだけ。
何を話しかけられても聞こえないくらい集中しているだけ。
そう考えれば、何の問題もない。
集中しているのであれば、邪魔はせず、その集中が切れるのを待てば良い。
今回も彼女の意識が深くに行ってしまったことに気づいたレイラは、黙ってそれを受け入れた。
するとそこに、部屋の扉をノックしてユアンが入室してきた。
「あれ! もしかしてアリシアさん潜ってる?」
「あ、はい。さっき潜ってしまいました」
「うーわー。それは困った」
入室早々にアリシアに目を向けて、潜っていることに気づいたユアンは肩を落とす。
「どうかしましたか?」
「あー、えっと。ちょっと医者の手が足りなくて非番のアリシアさんを呼びにきたんすけど、まあ潜ってるなら無理っすね」
「医者の手? 怪我人が出たんですか?」
「遠征組が戻ってくる途中に土砂崩れに巻き込まれたらしくて。これから応援に向かうんすけど、怪我人が何人かいるらしいんで非番の医者も連れて行こうということに。まあ死人は出てないみたいなんで心配はいらないっす」
「そんなことが……。もし私にも何か手伝えることがあれば、」
「あ、じゃあお願いして良いっすか?」
ユアンはレイラが言い終わる前にお願いを言い出した。
「帰ってきたら美味しいご飯が食べたいっす!」
無邪気な顔で無遠慮な要求。
しかも貴族令嬢のレイラに頼むような内容でもない。
「え?」
「いやあ、土砂崩れで道が寸断されたってんで、今いる団員総動員で現場に向かうんすよ。団員のご飯って自分たちで用意してるんすけど、今夜は難しそうだなって思ってて。だからもし奥方がご飯を用意してくれたら助かるかなって!」
(ああ……そう言えばこのときはまだ獣人騎士団の予算が低くて人員配置も上手くされてなかったのよね)
レイラは、以前自らが手を加えた皇宮管理を思い出す。
「そう言うことであれば、お任せください」
「やりぃ! じゃあ俺はこれで! 食堂とか自由に使って良いんでよろしくっす!」
そう言い投げて、ユアンはびゅんっと空を切りながら行ってしまった。
彼の忙しなさに一瞬呆気に取られながらも、レイラは早速食堂に足を向け、任された食事の準備に取り掛かったのだった。




