26. 広まった噂
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「ソル、ですか?」
「ああ。調べたところ、一番聖女様に近いのはソルという神官らしい」
ギルバートとのデートから二週間が経過した頃、以前依頼していたニナと親しい神官の目星がついたとして、ルーファスがレイラに会いに来ていた。
「聖女様が行動される時はいつも後ろにソルがいる。この前の巡礼にも彼がついて行ったらしい」
「他の候補はいませんでしたか?」
「全くいなかったわけではないが、どの神官もソルの部下にあたるんだ。一応これが報告書」
「ありがとうございます」
レイラはルーファスから報告書を受け取り、ぱらぱらと紙をめくりながら目を通した。
すると、ある事実が目に留まる。
(ニナを帝都に連れてきたのもソルなのね……)
聖女が誕生した始まりの時からソルが側にいたとなれば、疑いの色はより一層濃くなる。報告書を見る限り、一番怪しいのはソルという神官。
「どうだ? お前が欲しかった情報はあるか?」
「はい、十分ですわ。ちなみにこの件、神殿には……?」
「大丈夫、バレてない」
「それならば良かったです。ありがとうございました」
兄が神殿側にバレずに情報を手に入れてくれたことに安心しつつ、レイラは頭を下げてルーファスにお礼を言った。
「可愛い妹のためだからな。これぐらいは朝飯前だ」
「ふふ、さすがお兄様」
兄の自慢気な態度を見て、レイラは口に手を当てながら笑う。
「ところでレイラ、お前が伯爵家の令嬢たちを脅したと噂になっているが本当か?」
報告がひと段落して、ルーファスが話題を変えた。
彼が示唆しているのは、先日レイラがギルバートとのデートで出会ったあの姉妹とのことだろう。
声をひそめていたとは言え、街中でのやり取りだ。誰かに見られていたか……もしくはあの姉妹本人が吹聴したか。
どちらにせよ、レイラとしては広まって欲しくなかった噂が広まり、それが兄の耳にも入ってしまったようだ。
「それは……本当です」
「へえ。いつも冷静なお前にしては珍しいじゃないか。何があったんだ?」
「噂では何と?」
「『皇子の前で獣人差別を批判することで、皇子妃の座を確固たるものにしようとするアルノー公爵令嬢。不運にもそこに居合わせた伯爵家の娘二人が謂れないことで命を取ると脅された』だったかな」
「なるほど……」
半分本当で半分は嘘。
皇子妃の座は関係ないし、あの姉妹は脅迫される謂れがあった。
むしろ脅迫で済んだことを感謝して欲しいくらいなのに。
「脅迫したのは事実です。しかし、そこに至る話は事実ではないですね」
「まあそうだろうな。謂れないことで脅すなど、俺の妹がするわけがない」
「脅すのは良いんですか?」
「公爵家の人間たるもの、下をまとめる威厳が必要だからな。令嬢側に非があるならば脅しても問題はないさ」
「お兄様が寛大で良かったですわ。実際のところは、彼女たちがギルバート殿下の陰口を叩いていたので、それを咎めたに過ぎません。……まあ少し頭にきて自制できなかったことは否めませんが」
レイラに対するルーファスの信頼は絶大だった。もはやレイラが何か罪を犯したとしても正当化して許してくれそうなくらいだ。
しかし、レイラから事実を聞いたルーファスの顔は険しくなり、はあ、とため息を吐く。
「つまるところ、殿下との婚約が原因というわけだな?」
レイラのこめかみがピクリと動く。
「お兄様それは、」
「分かっている。どうせお前は『殿下は悪くない』と言うのだろう? だが兄としてはやはり心配になる」
ルーファスは両手を組んで前のめりになる。
妹を愛する兄だからこそ、妹が獣人の妻になることで受けるであろう待遇を心配せずにはいられない。
「今回のようなことは今後何度もあるはずだ。それを一個一個対処するのは大変だぞ。……一応聞くが、ギルバート殿下との結婚を考え直す気は、」
「ありません」
ルーファスが言い終わる前にレイラは答えた。
「ありませんわ、お兄様。私の中にはもう、ギルバート殿下しかいないのです」
家族に心配させてしまうことは申し訳ないが、レイラがギルバートとの結婚に向ける意志は揺るぎようがない。
レイラの気持ちは複雑だった。
一方ルーファスは、その断固たる意志を受け入れるしかなかった。
彼は先ほどよりも大きくため息をついて、苦笑した。
「お前がそこまで言うなんてな」
「ギルバート殿下が素敵すぎるもので」
さらりと惚気られてルーファスは面食らう。
こうなっては、ギルバートを認めるしかなかった。これは仕方ない。
「……今度時間が合えば、三人でご飯でもしようか」
「はい、是非!」
ルーファスが渋々そう言うと、レイラは目を見開いて喜んだ。
(きちんとお話しいただければ、お兄様とギルバート殿下もきっと打ち解けられるはずだわ)
「時間が合えばだからな?」
「はい!」
ルーファスは絶対とは言ってないことを念押しする。
そうは言いつつ、きっと兄は時間を取ってくれるだろう、とレイラは心を弾ませた。念押しは、ただ彼が素直じゃないだけ。
レイラの笑顔を見て、自分の心中を読まれたことに気づいたルーファスは、無理矢理話題を変えた。
「この後また皇宮に行くのか?」
「そうですね。お兄様と一緒に行っても?」
「それは構わんが……。さすがに出入りしすぎではないか? そんなに毎日訪ねたら殿下にも迷惑だろう」
レイラはアリシアに会いに、獣人騎士団の訓練場に通っていた。
先日図書館で別れる時、彼女が「いつでも訓練場に来て」と言ってくれたからだ。
最初は一回だけのつもりだった。
でも実際に行ってみると、アリシアが使っている研究所には伝染病の資料がかなり豊富にあった。それにもし分からないことがあればその場で彼女に聞くこともできる。素直に、図書館に通うよりも研究所に通う方が有益そうだと思ってしまったのだ。
しかも研究所に通うことをアリシアが良しとしてくれたので、レイラが喜び勇んで研究所に通っているのがここ数日のこと。
ただ、研究所に行くためには、獣人騎士団の訓練場を通る必要がある。
そのせいかルーファスは、レイラが毎日ギルバートに会いに行っているのでは、と勘違いしているようだ。
確かに研究所に行く途中、一応ギルバートのところに挨拶には行くが、特別時間を取っての長話はしていないのが現実だ。
「ご心配には及びません。仕事の邪魔はしておりませんわ。そもそも私の目的は殿下ではありませんし」
「そうなのか? ならどうして訓練場に?」
「それは……秘密です」
伝染病のことは兄には言えない。
レイラはふふっと笑いながら人差し指を口元に添えて、「秘密」と言うことでルーファスの追撃から逃れた。
煮え切らない様子のルーファスだったが、レイラの仕草が可愛すぎたので何も言えず、結局そのまま二人で皇宮へと向かったのだった。




