2. 破棄、からの新たな婚約者
アルフレッドの宣言は、会場内をさらにざわつかせた。
公爵令嬢との婚約破棄だけでも相当衝撃的なのに、同時に聖女との婚約を発表するなんて、ここにいる誰も予想していなかった状況だ。
「殿下、そのこと陛下は、」
「俺の結婚だ! それにニナ……聖女との婚約だぞ? 父上は許可してくれるさ」
つまり陛下は知らないということだ。
レイラは目の前の皇太子が勝手に言い出したこの騒動を、どうすれば抑えられるか考える。
「いけません殿下。殿下との結婚となれば、相手は次期皇后。陛下に話を通してからでも遅くは、」
「自分が皇后になれぬのが悔しいのか?」
「はい?」
アルフレッドを鎮めようとしたレイラの発言虚しく、彼からはとんちんかんな返事をされる。
(いやだから、私がいつ皇后になりたいだなんて言ったのよ……)
「私の気持ちは関係なく、だだ陛下の許可なくこのような公の場で、」
「俺の誕生日パーティだ。婚約を発表するにはうってつけじゃないか!」
……レイラからため息が漏れる。
この馬鹿、もといアルフレッドは、皇太子だからと甘やかされて育ったせいか、自分の発言なら何でも通ると思っているところがある。
大抵のことなら問題ないかもしれない。
けれど次期皇后となる者が変わるとなれば、大問題になりかねない。
(特に、今のニナでは)
平民出身のニナは、礼儀作法がまるでなっていないのだ。
学園に通いながら礼儀作法を学んでいるのでいずれ気にならなくなるのだろうが、少なくとも現時点の彼女ではだめだ。
婚約者のいる男性と気軽に話したり触ったり、それから、公の場で皇太子である彼を“アルフレッド様”と気安く呼んだ彼女では。
「そなたの悪事を聞くのはもううんざりだ。俺はニナのように癒しをくれる子にそばにいて欲しい」
「……っ」
「もうおやめ下さい殿下」
もはや為す術が見当たらず困り果てたレイラの前に、突然背の高い騎士が現れる。
綺麗な黒髪に、銀のマントを付けて黒の制服を着た騎士──ギルバート・ゼインだ。
「ギルバート殿下……!」
ギルバートは騎士だが、ゼイン皇族の血が流れる第一皇子。第二皇子アルフレッドの腹違いの兄にあたる。
ギルバートの亡くなった母親が貴妃、つまり側室だったため、正室である皇后を母に持つアルフレッドが、第二皇子でありながら皇太子に任じられた背景を持つ。
「恐れながら、アルノー嬢が仰る通り、この件は一度陛下にお伺いを立てるべきです。しかし本日、陛下はご公務の為この場にはいらっしゃいませんので、発表の場として適切とは言えません」
ギルバートは、感情的になっているアルフレッドを諭す。
立場的には皇太子であるアルフレッドの方が上だが、一応ギルバートは彼の兄。
彼の言葉ならアルフレッドも聞いてくれるかもとレイラは思ったが、その考えは甘かった。
レイラが考えているよりも、アルフレッドは馬鹿なのだ。
「はっ! 兄上はレイラの肩を持つのですね」
兄の咎めも鼻で笑うアルフレッドは、まだこの状況を理解できてないようだ。
「ああ、それならば丁度いい。……兄上がレイラと結婚してください」
何が丁度いいのかは到底分からないが、とりあえずアルフレッドが追加で馬鹿なことを言い出したことは分かる。会場内もどよめきが増す。
「婚約破棄されたレイラの貰い手はきっといないし、獣の兄上はその歳になっても婚約者すらいないでしょう? 我ながら良い組み合わせを思いつく! ははっ!」
「さすがアルフレッド様です!」
アルフレッドは自信満々に提案し、そこにニナが乗っかる。
ニナに褒められて、アルフレッドは満更でもない表情だ。
「私では、アルノー嬢に申し訳なく、」
「今やレイラは婚約破棄された可哀想な令嬢なのです! 皇位継承権は無くても第一皇子である兄上と結婚できるならレイラにとっても良い話でしょう!」
ギルバートは断ろうとしたが、アルフレッドは強引に話を通そうとする。
後ろにいるレイラからではギルバートの顔が見えないが、多分良い顔はしていないことは推測できる。場を収めようと出てきてくれたのに、弟の婚約者をお下がりされるなんて、酷い屈辱だろうから。
(実の兄にこんな仕打ちをするなんて、ほんと何を考えてるのかしら)
レイラはギルバートに小声で話し掛ける。
「ギルバート殿下。もし殿下さえお嫌でなければ、私は貴方との結婚も受け入れられます」
「!」
「アルフレッド殿下は一度言い出したら聞く耳を持ちません。これ以上事を荒立てるよりは、あの提案を聞き入れるほうが得策のような気がするのです。ただ、こうも大々的に発表してしまっては、恐らく陛下も皇子方の新たな婚約者を認めざるを得ないでしょう。……ですので、貴方さえ私で良ければ、私との婚約を承諾してこの場をお収めください」
レイラにとってはなんてことはない。
結婚相手がアルフレッドからギルバートに変わるだけ。
元よりアルフレッドに愛情なんてないレイラには、それがギルバートになろうが問題はなかった。
……たとえ彼が獣と揶揄される存在であっても、レイラは気にしない。
ただ、レイラの父親のアルノー公爵や皇帝陛下の許可を取っていないことが気がかりではあるが、パーティ会場をざわつかせてしまっているこの状況で場を収めるために仕方なかったと説明すれば、父親たちも分かってくれるはずだ。
ギルバートもそれを理解したのか、分かった、と頷いた。
「分かりました殿下。それで構いません」
「よし!」
ギルバートがアルフレッドに返事をすると、アルフレッドはパアッと笑顔を弾けさせる。
「いやあ、帝国の皇子二人の婚約が決まるなんてなんともめでたい! 皆、今日は心ゆくまで楽しんでいってくれ!」
アルフレッドは手にグラスを持ち、パーティの参加者たちへ乾杯を促した。
予期せぬ幕引きとなったが、どうにか騒ぎが収まったことに安堵した参加者たちは、周りの動きを伺いながらもグラスを持ち上げ、乾杯をした。
その後、ギルバートはレイラをチラリとだけ見て、しかし何も声はかけずに、そのまま会場の外へと向かってしまった。
(え、置いていくの?)
騒ぎを収めに出てきてくれたことはありがたいが、無理矢理とは言え新たに婚約者となった相手に声もかけず、しかもこの場に置いていくなんて冷たいではないか。
(まあどうせ私ももう帰るつもりだからいいけど。せめて馬車まで送るくらいはしてほしかったわ……)
レイラは小さくため息を吐き、気持ちを切り替える。
婚約破棄はされたけど、同時に第一皇子の婚約者になった。
その第一皇子が若干訳ありではあるけれど。
恥じることはない。
婚約破棄は、レイラの恥ではない。
レイラはグッと背筋を伸ばし、視線は決して下に向けず。最後まで公爵家の令嬢として毅然に振舞いながら、パーティ会場を後にした。