ニナside:偽りの聖女になるとき②
「誰だ!?」
ガチャリと開いた扉にマークが瞬時に反応すると、そこにはニナが立っている。彼女の姿に、マークは目を見開いて驚いた。
「ニ、ニナ……? いつからそこに、」
「マーク」
話を聞かれたのでは、と危惧しつつ焦って笑顔を取り繕おうとするマークに、ニナはにっこりと笑顔を見せる。
「一つ、提案があるの」
「提案?」
────私を聖女にするのはどう?
元々ニナは帝都に憧れがある。
経緯はどうであれ、帝都に行けるなら願ってもないことだ。
結婚するシエナと違って、ニナにはまだ恋人もいないからこの村を離れてもさほど問題はない。残念なことといえば、家族と離れて暮らすことくらいだろう。
それでも、聖女となればそれなりに贅沢な暮らしが担保されるし、ニナにとっては良い話である。
「……ニナ。でも、」
「あ、シエナお姉ちゃんや親には言わないでね? みんなには『聖女だった〜』って自慢したいから。ってことなんですが神父様、聖女を演じるのは私でも良いですよね?」
「君が上手くやれると言うなら、こちらとしては構わないよ」
「やったあ! これで念願の帝都〜!」
嬉々として喜ぶ姿を見せるニナ。
事の危険さが分かっているのか、とマークが心配そうにニナを見るが、ニナはただ笑顔を返した。
(死ぬ危険があることは分かってる……。でも、ここで怯えてるようじゃ偽の聖女は務まらないと思われる。平気なフリよ、平気なフリ)
「持つべきものは義理の家族だね、マーク」
「神父様……!」
神父なりの冗談なのだろうが、今のマークにそれを笑って受け流す余裕はない。
マークはグッと握り拳に力を込めていた。
「神父様、聖女になるために何か準備するものとかありますか?」
「いいや。あるとすれば親しい者たちと別れの挨拶をしておくくらいだよ。この後私から、君が聖女であると神殿に伝えれば、数日中に神官が帝都から迎えに来る。君は迎えの神官と一緒に帝都に向かえば良い。後のことはその神官に任せなさい」
神父はこの後の流れをニナに説明した。終始笑顔のはずなのに、彼の笑顔の奥には何か不穏な空気を感じて仕方がない。
柔らかい物言いなのに、相手に有無を言わせない気迫すら感じる。
ニナは「分かりました」と笑顔で言う。
「あ、じゃあもうマークを連れて行っていいですか? シエナお姉ちゃんが待ってるので!」
「それなら早く行ってあげなさい」
「ありがとうございます! 行こうマーク! 失礼します、神父様!」
「ああ、また後で」
念のため神父に許可を取ってから、ニナはマークの腕をがしっと掴んで引っ張りながら彼と二人で部屋を出た。
そして、ニナはマークを連れてシエナがいる控え室へ足早に歩いて行く。その間に二人は話をした。
「おじさん、何にお金使ったの」
「え……」
「また人の借金肩代わりした? それか、村の税金じゃ国の徴収額には足りなくて代わりにおじさんが払った?」
「ニナ、」
「分かってるよ。おじさん良い人だもん。自分のための借金じゃないでしょ?」
マークの父は村長で、村のみんなからの人望が厚い。
多額の借金といっても、それはきっと他の誰かのために借りたお金だろう、とニナは捲し立てた。
「……うん。借金はそう。国への納税のためだよ。父さんは、苦しんでいる村民にこれ以上税を課すつもりはなくて。そんなときあの神父様が、建築費は神殿持ちで、新しい教会を建てないかって言ってきて。教会が建ったら村のみんなも喜ぶし、それに村の土地を買うのに、かなり大きい金額を提示してくれたんだ。だから俺、それを受け入れた。でも今日になって、シエナを偽物の聖女にするなんて話を出されて、応じないなら土地代の残金を払わないって……」
「つまり神父様は最初からシエナお姉ちゃんに目をつけてたってことだね。こんな土地に破格の値段を付けられた時点で気づくべきだったのに、まんまと騙されたわけだ」
「……ごめん」
(おじさんじゃなくてマークに話を持ちかけたのも全部計算だろうな。マークの方が引っかかりやすそうだし)
マークの話を聞いて、あの場にマークの父がいなかったことにも合点がいったニナ。
ニナが先を急ぎながら話していた中、マークは申し訳なさそうに項垂れて、足を止めた。マークが止まったことに気づいて、慌ててニナも止まる。
そんなマークを見て、ニナはむすっとしながら叱った。
「あのさ、私が帝都に行きたがってたのは知ってるでしょ? 帝都に行って聖女になったら、キラッキラのドレスに宝石、社交パーティが待ってるのよ? ……怖くないわけじゃない。でも同じくらいワクワクしてるの。だからもうそんな顔しないで。今日はマークの結婚式なんだよ? ほら、シャキッとしないと! あの神父様の前で結婚の誓いをするのは癪だろうけど、お姉ちゃんや他のみんなにはバレないようにしっかり笑うんだよ?」
「……あ、ああ」
年下のニナから喝を入れられ、マークは背筋を伸ばす。
それを見て、ニナはニッと笑う。
「シエナお姉ちゃんのこと、大切にしてね」
ニナは姉の未来をマークに託し、マークは「勿論、約束するよ」と答えながら頷いた。
そうして、マークとシエナの結婚式は無事、盛大に執り行われた。
……式の後、一週間もしないうちに神殿からの迎えが村に到着した。
ニナが聖女であることは瞬く間に村中に知られ、青天の霹靂と言えるその出来事は村民全員を驚かせた。
ニナの家族は、突然訪れた別れを受け入れ難い様子でもあったが、幼い頃からニナの夢を聞いていたからこそ、泣きながらだがニナを帝都に送り出した。
「これからあなたには貴族の子供たちが通う学園に入学していただき、最低限の礼儀作法を学んでいただきます」
「礼儀作法ですか……」
帝都に向かう道中、馬車の中では迎えに来た神官──ソルから、ニナに対してこの後の説明が行われた。
「はい。それから、聖女は皇族の庇護下におかれます。恐らく、あなたと同世代の皇太子殿下やその婚約者であるアルノー公爵令嬢が学園であなたのお世話をしてくれるはずです」
「皇太子様と会えるんですか!?」
その名前に、ニナは飛びついた。
「……会えますよ」
「嘘! 嬉しいっ!」
ニナは足をばたつかせて興奮度を表した。
帝都に行けばもしかしたらとは思っていたが、学園に入ればすぐにでも会えるだなんて。
幼い頃から見ていた夢が叶う日が来た。
「先に言っておきますが、公爵令嬢には気を付けてくださいね」
「気を付ける?」
ずいぶんと抽象的な言い方に、ニナは首を傾げる。
「はい。頭の切れる方です。きっと会えば分かります」
「……ふーん」
ソルは詳しいことは話さなかった。
これから危険を冒すのだから、多少でも情報があるならくれればいいものを、と口には出さずに不満そうな顔をしてみせた。
しかしソルは、そのまま話を続ける。
「それからもし、彼女から奪いたいと思ったら教えてください」
(今度は奪う?)
「奪うって……」
何を、とニナが聞こうとしたが、ソルはまた「会えば分かります」とだけ答えた。
腑に落ちないニナだったが、ソルはそれ以上何も教えなかった。
「……さあ、もうすぐ帝都です。覚悟は良いですか?」
見るからに胡散臭い笑顔を見せたソル。
この男も結局は、神官の皮をかぶりながら悪事を働こうとしている悪い人間なのだ。
ニナはぞくりと背筋が凍る感覚を覚えながら、辛うじて「はい」とだけ返事をした。
「期待していますよ、聖女様」
────こうして帝国に、偽りの聖女が誕生したのであった。




