アルフレッドside:愚かな恋に落ちるとき
婚約破棄よりも前のアルフレッドのお話。
この日、アルフレッドは運命の出会いを果たした。
「あの、すみません。生徒会室はどちらでしょうか? 私、道に迷ってしまって……」
そう声をかけてきたのは、最近聖女に認定され、平民ながらに皇族や貴族だけが通えるこの学園に入学してきたニナだった。
最初はただ「可愛らしい」という印象だった。
小柄な体格で、いつも笑顔で、どこか抜けているところがあり。
その後生徒会室で、道案内してくれた男がこの国の皇太子だと知ったときは、かなり驚いた様子だった。しかしそんな始まりだからか、ニナ本人が「アルフレッド様にお世話係をしてほしい」と言い出し、アルフレッドも悪い気はせずその頼みを引き受けた。
アルフレッドの隣にいた婚約者が常に冷静沈着で感情が分かりにくいレイラだったこともあるのだろう。
ころころと表情を変え、常に場を和ませてくれるニナは、いつからかアルフレッドに対して甘える姿勢も見せ始めた。
そんな風に距離を詰められては、アルフレッドのニナに対する気持ちが、ただ「可愛らしい」というものから「一緒にいたい」に変わるまで、そう時間はかからなかった。
「殿下。ニナに『アルフレッド様』と呼ばせるのはおやめください」
「俺が許可している」
「そんな許可をしないでください」
「俺の名前だ。俺の好きにしていいはずだ」
「殿下……」
本来皇太子であるアルフレッドのことは、たとえ聖女と言えど「殿下」と称さなければならない。レイラがそれを忠告してみるも、アルフレッドは聞く耳を持たなかった。
他にも、レイラはいくつかニナについての苦言をアルフレッドに呈した。しかしアルフレッドはそれをニナに伝える気は更々なく、もはやそれの何がいけないのかと開き直る始末。
そうやって言い合いが増えていくと、アルフレッドとレイラの間には深い溝が出来上がる。
反対に、アルフレッドとニナの仲は深まるばかりだ。
「アルフレッド様、これ見てください。綺麗なお花」
「ああ、綺麗だな」
「皇宮にはこういうお花がいっぱい咲いてますか?」
「そうだな。専門の職人がいるから、四季折々でいろんな花が見られるぞ」
「わあ! 想像するだけで素敵です!」
ぱあっと花開くニナの笑顔に、アルフレッドもほっこりと笑みを浮かべる。
(こんな会話、レイラとはしたことがなかったな……)
ニナと一緒にいることが増えて、アルフレッドは最近よくそんなことを考えていた。
レイラが悪いというわけではない。ただレイラとニナの性格が違いすぎて、どうしても二人を比べてしまうのだ。
そんなとき、ニナがボソッと呟いた。
「……私がアルフレッド様のお嫁さんになれたらよかったのに」
その一言は、アルフレッドの心をざわつかせた。
「ニナ、それは……」
「分かっています。平民出身の私では妃にはなれませんよね。頭の出来も、レイラ様とは雲泥の差ですし」
このときはアルフレッドにも分かっていた。後の皇后となる自分の妃には、レイラのように聡明で家柄の良い女性を立てなければならない。たとえアルフレッドがニナに心を惹かれても、彼女を一番にはできないことを、分かっていた。
「そういうわけでは、」
「でも私、レイラ様が皇太子妃になるのは怖いんです」
(怖い?)
アルフレッドが首を傾げながら確認する。
「レイラが怖い? レイラは確かにあまり笑わないが、怖いとは言いすぎでは、」
「だって……私はレイラ様に嫌われているから」
すると、ニナの大きな瞳から一筋の涙が頬を伝う。
突然泣き出したニナを見て、アルフレッドが目を見張る。
「ニナ? 一体なにを……」
「ごめんなさい。私、こんなこと言うつもりは、」
「なんだ? 隠さず全て話すんだ」
「…………アルフレッド様……」
ニナはアルフレッドの胸元に擦り寄り、泣きながら訴えた。
「私、虐められているんです。レイラ様に」
アルフレッドが「まさか」と言いかけると、ニナは畳み掛けるようにレイラの悪事を説明し始めた。
「初めは気のせいだと思ったんです。レイラ様が私を……無視するなんてあり得ないって。私の声が小さかったかな、って。でも、何度挨拶をしても、返してくれたことがないんです。それに、最近ではクラスメイトたちも口をきいてくれなくなってて……。この前、クラスの子が話しているのを聞いてしまったんです。レイラ様が、私と話さないようにと学園の生徒に触れ回っているとか。それに触発されたように、最近では私物も隠されたりしていて」
「…………」
アルフレッドは言葉も出ない。
少なくともアルフレッドが知るレイラは、そんなことをする女性ではなかった。
(聖女は皇族が護るべき対象なんだぞ? 確かにレイラはまだ俺の婚約者という立場なだけで正式な皇族ではないが……。しかし本当に彼女がそんなことを?)
「きっと、私に嫉妬したんです。私がいつもアルフレッド様の側にいるから……」
「嫉妬だと?」
「はい。婚約者であるアルフレッド様を私に奪われると思ったのではないでしょうか。そうだとしたら、レイラ様の気持ちも分かります……」
「ニナ……」
虐められていると告白しながら、同時に加害者側の気持ちが分かると言えるニナ。アルフレッドの目には、聖女という名が相応しいくらいに広い心の持ち主に映った。
アルフレッドはそっとニナの肩に手を置いた。すると、小刻みに震える小さな肩は、ニナがいかに華奢でか弱いのかをアルフレッドに思い知らせた。
(こんな……か弱いニナを虐めるなんて……)
アルフレッドの中で、心がぐらっとニナに傾く瞬間だった。
これまでずっと、レイラと結婚する道しかないと思っていたアルフレッドが、初めて違う道を見つけた瞬間。
(俺はニナを守りたい。ニナを守るには……)
「ニナ。……もし俺と結婚したら君は皇太子妃になる」
「え?」
「俺が皇帝になれば、君は皇后だ。そのためにはもっと勉強もしてもらうことになる。政治に、礼儀作法に、外交。学ぶことはたくさんある」
「アルフレッド様?」
「それでも……それらに耐えてでもニナが俺と結婚したいと言ってくれるなら、俺はそれを叶えるために動こう」
(レイラを気に入っている父上には真正面から言っても却下されるだろう。だから父上のいない場所で公にして、引き返せなくすればきっと可能なはずだ)
アルフレッドのそんな計画は知る由もなく、ニナは一瞬呆けていた。しかしすぐ彼の言葉を理解して、アルフレッドに抱きついた。
「アルフレッド様……!」
アルフレッドは半歩下がりながらニナを抱き止める。
「嬉しいです! 私、頑張ります! アルフレッド様の隣に立てるように!」
喜びを発散させるニナを見て、アルフレッドはこの決断が正しいものだと信じて疑わなかった。
……それから、アルフレッドとニナは周りに隠れて恋人関係となった。
そして来たる、アルフレッドの誕生日パーティ。
アルフレッドはレイラとの婚約を解消し、同時にニナとの婚約を発表した。
このときのアルフレッドは、ニナと結婚できるという悦びに浸るばかりで、自分がどれだけ愚かな選択をしてしまったかということに気づけていないのだった。




