18. 最期の言葉
「……悪い知らせだ」
最初の訪問から数日後、再びレイラの元を訪れていたルーファスが、重い口を開いた。
「……ニナを告発するための神官が見つかりませんでしたか?」
先日ルーファスに話した神官の話だろうと思い、レイラは聞く。
早く見つかればとは思うものの、そう簡単に見つからないだろうとも思っていた件だ。
「いやそっちじゃなくて……」
「? ……なんでしょうか?」
連日の拷問で気力を失っているレイラは、弱々しい声で尋ねる。
「…………ギルバート殿下が、亡くなった」
「…………え?」
「なんとか持ち堪えてはいたようなんだが、昨日陛下の元に訃報の知らせが届いた」
レイラは言葉を出せず、信じられないという顔をして首を横に振る。
(いやです。そんなの……いや)
「残念だよ、レイラ」
苦しそうな表情で、妹に慰めの言葉をかけるルーファス。
レイラの目には涙が浮かぶ。堰き止めきれない大粒の涙が、ぼろぼろと溢れ出る。
(…………ギル……)
レイラは両手で顔を覆い、ただただ涙を流し続けた。心の奥底から湧き出る悲しみが、止まることを知らずに押し寄せる。
彼と結婚できて良かったと、思ったところだったのに。
神は無情にも、彼の命を奪ったというのか。
「伝染病は……獣人を皆殺しにするまで消えないのでしょうか」
「そんなことにはならないよう、全力を尽くしている」
ようやくレイラが口に出せたのは、そんな皮肉だった。
伝染病の分析も、治療薬も、未だ何も進んでいない。この分では、帝国から獣人が消える未来が近いのかもしれない。
事実、感染する前に逃げた方がいいと考えて隣国に移住する獣人も増えてきている。
現時点では、移住は賢い選択だろう。
伝染病で死ぬ者と移住する者とで、尋常じゃない早さで帝国内の獣人の数は減っている。
「それでレイラ。ギルバート殿下からの伝言を預かった」
「ギルから……?」
「ああ。『一人にしてすまない』それから……『お前と結婚できて幸せだった』と……」
ギルからの言葉は、最後までレイラを気遣っていた。
病床で辛かっただろうに、それでも命が尽きる間際に、妻への伝言を残すとは。
こればかりは、ルーファスも感嘆していた。
最後の言葉は、レイラがさらに涙を流すには十分すぎるくらい、優しい言葉。
元々酷い有様な顔を余計ぐちゃぐちゃにしつつ、レイラは呟く。
「…………私もですわ」
(私も、あなたと結婚できて幸せでした……)
────そして三日後、レイラは処刑台の上に立っていた。
この前日、ニナが目を覚まして供述したのだ。
『お茶はレイラ様が淹れた』と。
その供述は真っ赤な嘘であるが、盲目的にニナを愛するアルフレッドはその供述を信じ、皇帝陛下に対してレイラの即時処刑を提言した。
もちろんアルノー家がそれをそのまま容認させる訳がなく、ルーファスはやむを得ずニナの件を皇帝陛下に告げた。しかし、まだ神官が見つかっておらず証拠はない。ダメ元でニナの神聖力を調べさせてほしいと言ってみたものの、それはやはり失敗だった。
神聖力を調べると言われたニナはこう言ったのだ。
『毒のせいで、神聖力が減ってしまった』
『これでは伝染病の治療もできない』
『レイラ様はギルバート様に死んで欲しかったんです。獣人の夫は嫌だと話しておりました。聖女である私が死ねば、ギルバート様は伝染病で亡くなります。だからレイラ様は私に毒を……』
それは、レイラとの会話の中で予期していた展開でもある。
ルーファスは即座に否定した。
ニナの神聖力は前からなかったのだ。
偽りの聖女だから伝染病の治療ができないことを隠すため、自ら毒を飲んでそんな嘘をついているだけ。
レイラは獣人差別をしたことがないし、ギルバートを好いていた。死んで欲しいなどあるわけがない。
だがそのどれも、証拠はない。
ニナの言い分もルーファスの言い分も、互いに決定的な証拠が欠けていた。
ただ言えるのは、宰相補佐よりも皇太子妃の方が立場が上だということ。
そしてニナが自ら毒を飲むという自殺行為をしたことも、彼女が偽りの聖女であることも、証拠もなく信じるのは容易ではないということ。
皇帝陛下は長く考えた末……ニナを支持した。
アルノー宰相もルーファスも、必死に皇帝陛下に再考を求めたが、皇帝陛下が首を縦に振ることはなかった。
そうして本日、レイラは処刑台の上に立たされている。
彼女に下されたのは絞首刑。
人の背より高い場所に作られた処刑台。
目の前には上から吊るされた縄と、その先に輪っか。レイラはその輪に首を括られたのち、吊るされて死ぬのだ。
「何か言い残すことはないか?」
「……ございません」
自ら処刑見届け人を買って出たアルフレッドが、侮蔑的な眼差しを向けながらレイラに問うた。アルフレッドの後ろには、ニナもいる。レイラの最期を見に来たようだ。
「賢いそなたが、こんな馬鹿な真似をするとは思わなかったぞ」
「賢くないあなたには分からないだけですわ」
元婚約者だというのに、慈悲もかけずに処刑を提言したアルフレッドに対して敬意など持てなかった。覇気のない様子で、レイラは嫌味を吐き捨てた。
それを聞いたアルフレッドは顔を歪める。
「こやつ……! 死ぬ間際まで自身の行動を悔い改めぬか。そなたがここまで悪女だったとはな!」
そもそもレイラに悔い改めることはない。
全てはニナの思うまま。レイラは彼女に嵌められただけなのだから。
「処刑の時間だ。罪人を前に!」
アルフレッドの命令を聞き、兵士がレイラの背中を押して前に差し出す。
拷問で傷つけられたせいで全身に痛みが走る。
その痛みを堪えながら、レイラはおぼつかない足取りで前進した。
死が目の前に迫ってきて、レイラの頭をよぎったのは……亡き夫、ギルバート。
(思えば始まりは、私を庇ってくれたからだったわ。最初はお互い歩み寄りもしなかったけれど、最近はすごく……幸せだった)
アルフレッドから婚約破棄を告げられたあのパーティが、まるで昨日の事のように思い出される。あの日からレイラは、悪女に仕立て上げられていたのだ。
ニナの巧妙な罠に馬鹿なアルフレッドがまんまと引っ掛かり。騙された彼が「レイラは悪女だ」と大勢の前で叫べば、それが真実かのように噂はどんどんと広まって。
最初からニナの掌の上で転がされていたのだと、レイラは肩を落とす。
(自分が処刑される直前に気づくなんて……。私も大概だったわね)
しかしそれらのおかげで、レイラがギルバートと結婚できたこともまた事実。
伝染病が彼の命をあっけなく奪ってしまい、彼の最期には会うことすら叶わなかったけれど、幸せだった。
(せめて最後は……一緒にいたかった)




