17. 牢屋の中で
────レイラが捕らえられてから、一週間あまりが経過した。
レイラの投獄を聞いた父親のアルノー宰相と兄のルーファスは即座に陛下や各所に掛け合ったが、未だ彼女の保釈には至っていない。
この間にレイラは罪人として、人としての尊厳もなく扱われていた。
まがりなりにも皇子妃。皇族であるにもかかわらず、レイラには情け容赦なく尋問や拷問が行われている。
(……いっそ、殺して欲しい)
蝋燭の灯りしかない暗がりの牢獄。硬い寝台に寝そべりながら、レイラの脳内では、薄らとそんな考えが浮かぶ。
それほどまでに、現状は悲惨なのだ。
(もしギルがいてくれたら……)
伝染病で臥せっているギルバートが元気になって皇宮に戻ってくれたら。ここから助け出してくれたかもしれない、と微かな希望を抱くこともあった。
現実問題、叶わないことだけれど。
「ィラ……、起きろレイラ」
誰かに呼ばれた気がして、レイラがゆっくりと目を開けると牢屋の前にルーファスが立っていた。
「お、兄様……?」
夢かと思いつつも上体を起こそうとすれば、拷問で傷つけられた体に痛みが走る。皮肉ではあるが、その痛みでこれが現実なのだと分かった。
「どうしてここに……」
「牢番を買収した。だから長くはいられない」
ルーファスは、ばれたらまずい方法で訪ねてきたらしい。小声で、早口。周りをキョロキョロと気にしながらレイラに話しかける。
「遅くなってすまないレイラ。……なんて痛ましい姿だ。俺が代わってやれたら……」
レイラを投獄したアルフレッドは、そのまま面会謝絶の処置を取ったのだ。そのせいで、今まで家族の誰もレイラに会えていなかった。
「お兄様、アルノー家は無事ですか? 罪人の家族として扱われているのではないかと心配しておりました」
「それは大丈夫だ。そもそもお前の罪自体がまだ確定ではないから、現時点では宰相と宰相補佐である俺たちまで罪に問う必要はないと、陛下が恩情を下してくれている。レイラへの拷問を止めるようにも言ったんだが、容疑をかけられている罪が重くてそれは叶わなかった。すまない。本当に、こんな……」
ルーファスの顔が悲痛で歪む。妹を溺愛する彼には、レイラのこんな姿は耐えられない。
「お兄様たちに累が及んでいないのであれば良かったですわ。私は……大丈夫です」
「大丈夫なものか! そんなにボロボロで……」
「お兄様。私は無実です」
「当たり前だ。言われなくても分かっている。どうせまたあのぼんくら皇太子だろう。ただ……」
レイラが念のため無実を主張すれば、ルーファスは言葉を重ねるように肯定してくれた。
しかしそこに「ただ」と言葉が続くのであれば、次は良くない話が来る。
話しにくそうにしながら、ルーファスが続ける。
「まだ聖女様が目を覚ましていないんだ。体内の毒は抜いたはずなんだが意識が戻らないらしい。それに状況はかなり最悪で、皇宮内は今、お前が聖女様を妬んで犯行に及んだという噂で持ちきりだ」
「私が……彼女を妬む?」
妬んだ覚えが無く、全くピンとこない。
「ああ。側から見れば、お前は聖女様に皇太子妃の座を取られて獣人と結婚させられた可哀想な令嬢になっているらしい。だからみんな、お前が聖女様を妬んでいたという話を信じている」
「そんな馬鹿な話……。私はギルバート殿下と結婚できて幸せでしたのに」
「少し前にはお前たち夫婦が仲睦まじいなんて噂が流れてたのに、今は跡形もないよ」
皇宮にいる人間は皆、どうにかしてでもレイラを犯人にしたいらしい。
真実からは目を背け、聞きたい言葉しか聞かないなんて、身勝手にも程がある。
でも一番の身勝手……いや、大罪人は「ニナ」だ。
「お兄様……以前ニナについて調べていただいた際、ニナは誰か特定の神官と懇意にしていませんでしたか?」
「特定の神官? 聖女の仕事で遠方に行く際、連れて行く神官なら何人かいたと思うが」
「その中でも特に、よく二人で会っているような神官は……?」
「? 調べれば分かるとは思うが、何かあるのか?」
「…………ニナが倒れる前、私に言っていたんです。自分は聖女ではない、と……」
一瞬、話していいものか躊躇った。
けれど、それを話さなければ、核心は調べられない気がした。
レイラは迷いながらも、ルーファスに打ち明けた。自分が投獄される直前に何があったのかを。
それを聞いたルーファスはみるみる内に顔色を変えていく。
衝撃と、呆然と、憤怒と。
あらゆる感情が出入りして、ルーファスの顔色は忙しなく変わる。
全てを聞き終えたルーファスは「有り得ない!」と怒鳴りそうになっていたが、今の自分は身を隠さなければならないことを思い出してすんでのところで口を手で覆う。
それからルーファスはぐーっと声量を抑え込みつつ、それでも出てくる感情はぶつけながら、レイラに確認をした。
「じゃあ聖女様……いや、あの女は国を騙していて、自ら毒を飲んだってことか?」
「はい」
「しかもその罪をレイラに着せて、自分は毒殺されかけたから伝染病の治癒にあたれないなんてほざいて、聖女としての職務から逃げるつもりか?」
「おそらくそういうことです。私が毒を盛ったことにすれば、あとで目覚めてからも毒のせいで神聖力が減って伝染病を治せなくなったと言えますから。そしてその責任を、毒殺を図ったとして私に擦りつければ邪魔者も消せて一石二鳥というわけです」
「冗談じゃない! そんなことあってたまるか!」
「……でも実際、私は今牢屋にいます」
レイラが微かに自嘲の笑みを見せる。
何かの冗談なら良かったのだが、全てが事実なのだ。どうすることもできない。
「ニナのことを表に出すためには証拠が必要です」
「ああ、そのための神官か」
「はい。ニナが聖女ではないことを提起するのであれば、やはり根本の、最初にニナを聖女に仕立てた者を探し出すのが一番です」
「分かった。すぐに神官を探し出して、お前をここから出してやるからな」
「……どうか、お気をつけて」
ルーファスは力強く頷いて、帰って行った。
兄と話して、レイラの中に少しだけ生きる希望が灯る。状況は何も変わっていないけれど、家族が味方をしてくれるのは心強い。
しかしこの数日後、再びここを訪れたルーファスからあることを聞き、レイラは絶望の淵に立たされることになるのだった。




