15. 聖女の暴露
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ギルバートが感染してから、皇宮内はどこもかしこも忙しない。帝都からそう遠くない場所で第一皇子の感染となれば、慌ただしくなって当然である。
各所での情報整理や伝染病の研究を鋭意進めているが、一番の頼みは聖女ニナ。
治療の糸口も掴めない状況の中、多くの民が神の救いを求めている。
しかし問題は、ニナが何もしていないこと。
曰く、聖女が持つ神聖力でも対処できない伝染病らしいのだが、歴史書などの文献では聖女の神聖力は万物に勝ると記されている。
実際、過去に流行した伝染病を聖女が治癒したとする文献も残っている。
聖女自体が世代交代しているし、そのとき流行った病と今流行っている病も異なることは理解していても、歴史を知る者はどうしても聖女に望みを託そうとしてしまう。
レイラも、そのうちの一人だ。
「それで、状況はいかがなのでしょうか?」
不躾とは分かっていても、挨拶もそこそこにレイラは本題に入る。
ここは、皇太子妃の部屋。
ニナの居所であるここに、レイラは訪ねてきていた。
ギルバートが感染してからというもの、進展がない毎日に不安は募るばかり。部屋でただ待っていることが出来ず、どうにか約束を取り付けて、ニナに会いに来たのだ。
「すみませんが、お話しできることは何も……」
レイラと二人で話したいからと、侍女はニナが下がらせた。今室内にはレイラとニナの二人だけ。
仕方なく、ニナ自らレイラに出すお茶の準備をしていた。
その間にもレイラに質問をされてしまったので、ニナは申し訳なさそうに答えたというところ。
「あまり急かしたくはないのですが、状況が状況なのです。皇太子妃殿下のお力でどうにかならないのですか?」
レイラが再度確認するも、ニナは首を横に振る。
「ギルバート様のことは残念に思いますが、私にはどうすることも……。陛下にはお伝えしましたが、私には伝染病を治癒させる力がなくて……」
コポポ、と優雅にお茶を注ぎながら、ニナは悲し気な表情を浮かべてレイラに答えた。
二人分のお茶を注ぎ終われば、そのままレイラの前にティーカップを差し出す。
レイラは出されたお茶に口を付け、少しだけ気分を落ち着かせる。
「そうですか。聖女様でも為す術がないとなると、もうどうしようも……」
レイラのティーカップを持つ手には無意識に力が入った。
「……でも本当に。レイラ様のような方が多くて困ってるんです。聖女なら何でもできると思われて。そんなわけないのに。ふふっ」
ニナは他人事みたいに困った顔を見せ、最後には笑いを漏らした。
(笑った……? よくこの状況で笑えるわね……)
レイラの眉が少しだけ吊り上がる。
「困らせてしまってすみません。治療薬が見つからないので、皆藁にも縋る気持ちなのです。どうかご理解いただけると」
「ああ、ごめんなさい! レイラ様を責めるつもりではなくて、ただその……最近みんなからの視線に追い詰められてて……」
「それはお察しいたします。皇太子妃殿下にかかる重責は、私では計り知れません」
「でしょうねぇ」
心配の言葉をかけたレイラだったが、ニナはにんまり笑っておかしな応答をした。
「え……」
「だってそうでしょう? レイラ様に私の気持ちは分からないわ」
様子がおかしい。
レイラは直感でそう思った。
以前から言葉遣いがなっていないときはあったけれど……そういうのとは違う。
ニナが醸し出す空気の色に差異を感じる。
「ふふ。驚いた顔ね。……私たち、伝染病が流行るなんて思ってなかったの。さすがの神殿もこればっかりは対応しきれなくって」
「皇太子妃殿下?」
「私に伝染病の治癒なんて出来るわけないのよね。それなのにみんなして聖女様、聖女様ってうるさいったら」
(何を言っているの……?)
「…………本物の聖女様だったら、瞬く間に治せたかもしれないけどね」
(ほん、もの……?)
「私は聖女じゃないから無理なのよ。レイラ様」
ニナはニヒルな笑いを浮かべ、核心をつく言葉を吐き出した。
それを聞いたレイラの瞳は、大きく見開かれる。
その言葉を簡単には処理出来ない。
ありえないではないか。
ニナは聖女で、聖女だから学園にも入学して、現在は皇太子妃だというのに。
事の始まりが覆ってしまう。
「何かの冗談でしょうか?」
「いいえ」
「……っ聖女様は、神殿が認定するはずです」
「ええ」
「あなたは確かに神殿が認定した聖女のはずで、」
「裏を返せば、神殿にさえ認めさせれば誰でも聖女になれるのよ。……誰でもね」
神殿が認めたはずのニナが聖女ではないなんて、と思ったレイラだったが、ニナに容易く反論されてしまう。
「力のある神官の協力があれば、聖女になるのは簡単なの」
うふふ、とニナは得意気に笑う。
「聖女になってしまえば、あとは適当にお祈りして、適当に貧しい人にご飯をあげたりすればいいんだもの。それでこっちは贅沢に暮らせるんだから最高の職業よね」
バンッ!、とレイラは勢いよくテーブルを叩いた。
聞いていられない。
こんな話は、もう聞きたくない。
憤怒しているレイラを見ても、ニナは飄々として笑みを浮かべている。
「……陛下に進言します」
レイラはそう言って扉に向かって歩き出す。
それなのに、なぜかニナはレイラを制止しようとせず、焦りも見せない。
「どうぞ。……出来るものなら」
「は?」
ニナの一言に違和感を覚えてレイラが振り返れば、ニナの手はティーカップ持っていた。
この期に及んで呑気にお茶を飲む余裕があるなんてどういう神経をしているのか。
「敵の陣地に一人で乗り込むのは自殺行為。どうして私が今ここであなたに打ち明けたと思う?」
くすくす、とニナは笑っているが、レイラの顔はますます怪訝になる。
「ごめんなさいね、レイラ様。私はまだ、聖女でいたいのよ」
ニナはそう告げて、お茶を一口飲む。
(何を言っているの……?)
ニナの発言の意図が読めず、レイラがその場で立ち尽くしていると、突然状況が一変した。
「……っう」
ニナが胸を押さえて苦しみ出す。
かはっ、と漏れた声と共にニナの口からは赤い鮮血が飛び出して、彼女はその場に倒れ込んだ。




