13. 心配と安堵
レイラの部屋に到着すると、ギルバートはそのままレイラをソファに座らせて、ギルバートも間を空けずに隣に座った。
「遅くなってすまなかった。怖かっただろう」
「いえそんな。それよりどうしてあそこに?」
「耳のいいウサギ族の団員がいて、そいつがそなたたちの会話を教えてくれた」
「まあ。あの離れた訓練場から中庭の会話が? すごい能力ですわね」
「ああ。もしどこか部屋の中だったら獣人でも聞き取れないよう防音設備を施されているから無理だっただろうが、今回は屋外だったから逆に助かった」
ギルバートは、心配だったという表情と無事で良かったという安堵の表情を混ぜたような顔をしていた。
「あなたが来てくれて嬉しかったです。本当に、ありがとうございました」
レイラはギルバートの肩にもたれかかり、そっと瞼を閉じた。
アルフレッドにあんな剣幕で迫られて怖かったのに、今は彼がそばに居てくれる安心感からか恐怖心が緩和されている。
ギルバートは何も言わずにレイラの肩を抱く。問題ないように見せてはいても、レイラの肩がわずかに震えていたからだ。
二人共が何も喋らず、無音の空間で時間だけが過ぎていくのを感じていると、そこにバンッと扉を開けてルーファスが入室してきた。
「レイラ!!」
突然の兄の訪問に、レイラは反射的に飛び起きた。
「お兄様!?」
「レイラ、無事か!? 怪我はないか!?」
ルーファスはツカツカツカ、と荒々しい靴音を鳴らしながらレイラの眼前まで歩を進め、彼女の両肩に手を置いて質問攻めを始めた。
「皇太子に一体何をされたのだ? 大丈夫なのか? ん?」
「お、落ち着いてくださいお兄様。一気に聞かれても答えられませんわ」
取り乱しているルーファスに、レイラは落ち着くように促す。
「皇太子殿下とのことであれば、ギルバート殿下が助けてくださったので問題ありません」
ルーファスが何を聞かされてここに飛び込んできたのかは分からないが、とりあえず無事であることをレイラは伝える。
「そうなのか? 本当に?」
「はい」
「……ギルバート殿下。妹を助けてくれて感謝する」
ルーファスはギルバートに向き直り、礼儀正しくお辞儀をしながらお礼をした。
「いえ。妻を守るのは夫の役目ですので」
お礼を言われたギルバートがさらっとそんな返しをしたので、レイラは嬉しさではにかんだ。
「それで、一体何があった」
「皇太子殿下が言うには、私が皇宮管理を任されて実施した内容がニナを侮辱しているとか」
「レイラが実施したあの素晴らしい内容にケチをつけたのか!?」
「お兄様は私が何をしたかご存知なのですか?」
「勿論だ! 宰相補佐として皇宮内のあらゆる報告には目を通しているからな! だがあれには何の問題もなかった。むしろ数日であそこに手を付けて是正するレイラはさすがだと思っていたくらいだ」
それは兄の贔屓目では、と思わずにはいられないが。しかし宰相補佐であるルーファスに問題ないと断言してもらえれば、レイラも自分のしたことに改めて自信を持てるというところ。
「お兄様にそう言っていただけて安心しました。……ところでお兄様、それからギルバート殿下も、仕事の途中だったのではないですか? 私はもう大丈夫ですので、お二人とも仕事に戻ってくださいな」
はた、とレイラは気づいた。
ここにいる二人は仕事を抜け出して来ているはずだ。いつまでもここに留めておくのはまずい。二人を安心させようと笑顔を作りながら、レイラは仕事に戻るように言う。
しかし、
「そなたの『大丈夫』は信じない」
そう答えたのはギルバートだった。
「今日一日は私が側にいよう」
まっすぐにレイラを見つめるその眼差しは、彼女を心から案じていた。
「そんな。本当に大丈夫で、」
「作り笑いくらい分かる」
厚意を拒もうとするレイラを、ギルバートが言葉を重ねて説き伏せた。
ギルバートは、レイラの笑顔にぎこちなさを感じていたのだ。それにさっきまでは肩も震わせ、怯えていた。
そんなレイラをここに一人置いていく気なんて、ギルバートには更々なかった。
「なんだお前ら。噂には聞いていたが本当に仲睦まじくやってるんだな」
近くにいたルーファスがそんな言葉を投げかければ、レイラの顔はたちまち真っ赤に染まる。家族の前で夫婦仲を見せつけたような構図が居た堪れなかったのだろう。
「お、お兄様! ギルバート殿下がこのように仰ってくれているので、お兄様はもう仕事にお戻りください!!」
「あ、おい……」
レイラは恥ずかしさのあまり慌ててルーファスを入り口まで押して行く。ルーファスは抵抗しようとしていたが、抵抗虚しく、レイラの力で無理矢理に部屋の外へと追いやられてしまったのだった。
ぱたん、と扉を閉めれば、部屋の中には再び静寂が訪れる。
(そう言えば、お兄様が来る前はギルの肩に……)
さっきは自然の成り行きでそうしてしまったが、ふと我に帰れば、ギルバートに甘えてしまった自分に恥ずかしさが押し寄せる。
「…………あのギル、」
「もう一回」
レイラが絞り出そうした言葉に、ギルバートの言葉が覆い被さる。
「もう一回、抱きしめても?」
ギルバートは両手を見せて、レイラに確認した。
多分それは、ギルバートの優しさだ。
暴力を振るわれたレイラに、勝手に触って怯えさせないように。
「……ふふっ」
きっと誰も、知らない。
黒騎士と呼ばれ皆から恐れられている夫が、こんなにも優しくて気遣いのできる人だと。
内側から溢れ出る嬉しさと共に、レイラはギルバートに手を伸ばし、彼もそれを受け入れた。
彼の広い胸に包み込まれると、心臓の音が耳元で聞こえてくる。とくんとくんと刻まれる鼓動は聞いていてとても心地よく、穏やかな気持ちになれる。
「私……あなたと結婚できてよかったです」
レイラの口から漏れた小さな本音は、ギルバートの耳にも届いた。
ギルバートは、返事の代わりにレイラを強く抱きしめたのだった──。




