12. 暴走する皇太子
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「どういうつもりだ!!」
皇宮の中庭で、アルフレッドの怒声が響き渡る。
「一体何の権利があってニナを侮辱するのだ!」
アルフレッドに怒鳴られているのは、これからまた皇太子宮に出向いて仕事をしようとしているレイラだった。
レイラが中庭を歩いていたところ、アルフレッドがいきなり怒鳴りつけてきたのだ。
(久々に会ったと思ったら何をまた馬鹿なことを……)
「……殿下、ここでは人目につきますので場所を移しませんか?」
中庭は目立ち過ぎる。
先ほどのアルフレッドの怒鳴り声を聞き、すでに人が集まり始めているのだ。
冷静さを欠いているアルフレッドとここで話し続けては厄介なことになるかもしれない。レイラはそう判断した。
「人目のつかぬところだと? ふん、自分の悪事を公表されるのが怖いのか!」
「いいえ。これは皇族の威厳に関わることですので、」
「いいや結構!」
アルフレッドはレイラの提案をあっさりと却下した。
結構とかそういう問題ではないのだが、アルフレッドには通じなかった。
「皇宮管理が出来て楽しいか? ニナに代わってあらゆるところで権力を振りかざし、好き放題やっているようだな!」
レイラは言われていることがよく分からず、ぱちくりと瞬きをした。
(好き放題……。まあニナが出来てなかった部分にいくつか手を加えはしてけれど、どれのことかしら?)
「ニナが力をかけていたチャリティパーティの予算を削減したそうじゃないか! 代わりに獣集団の予算を上げるなど、ニナを侮辱しているとしか思えん!!」
ああそれね、とレイラは合点がいった。
「……侮辱というのは突飛な表現ですわね。私はただ、必要なところに必要のないところから予算を移動させただけですわ」
「チャリティパーティの予算が必要ないと!?」
「何もゼロにしたわけではありません。少し減らしただけです」
「なぜそれがニナのチャリティパーティなのだ! それにその行き先が獣集団なんてふざけてる!!」
レイラの眉間に皺が寄る。
冷静に、とは思っているものの、アルフレッドが発する言葉にレイラも少なからず苛立ちを覚え始める。
「チャリティパーティの予算は余っているようでしたので問題ないと判断しました。……それから殿下、獣人騎士団のことを『獣集団』などと呼ばないでください」
「余っているもんか! ニナが毎回やり繰りして大変なのに減らされたと嘆いているのだぞ! それに獣集団の何がいけない。獣くさいあいつらにぴったりだろうが!!」
「!」
最後の一言は決定的だった。
怒り狂いそうになる感情を必死に抑えていたのに、これ以上は我慢ができない。
(実の兄をよくも平気で……)
「殿下。チャリティパーティの収支報告書はご覧になりましたか?」
「なに、」
「まさかとは思いますが、実際の数字は確認せず、皇太子妃殿下の言葉を鵜呑みにして憤慨されているわけでは……ないですわよね?」
レイラが目を細めてアルフレッドを睨みつける。
アルフレッドは図星を突かれたようで、ウッとたじろいだ。
「あの予算は明らかに過剰でした。それに、予算を減らしたとはいえ、十分すぎる額は残しています。もし足りないというのであれば、それは皇太子妃殿下の使い方に問題がありますわ」
「そなた……っ!」
ニナの力不足を指摘されたとあって、一度退いたアルフレッドの怒りが再燃する。
「騎士団の予算についても、そもそもが間違っておりました。人間騎士団に配分されている予算の半分しか、獣人騎士団にいっていなかったのですから」
「獣に割く金が無駄なだけ、」
「どちらも国を守る騎士団です!!」
レイラの声が中庭に轟く。勢いで、レイラはアルフレッドを押し黙らせた。
「彼らは国のために命をかけております。人間も獣人も区別なく、日々訓練を積み、国のためであれば危険な場所にも飛び込んでいく勇敢な者たちです。団は別れていても同じことを行なっているのですから、彼らには相応の対価を与えなければなりません」
「だが今まではその予算で、」
「ですから、根本が間違っていたのです」
予算変更については妥当性を訴えた。
しかしレイラの怒りはこのままでは収まらない。
「それから殿下」とレイラが最後に物申す。
「あなたはこの帝国の皇太子です。率先して獣人を侮辱しないでください」
「なんだと?」
「ああ、申し訳ございません。殿下には『侮辱』という単語は難しかったですわね。……でなければ、私の行動を皇太子妃殿下への侮辱だなんて言えませんわ。もしお節介でなければ、図書館から帝国語辞典を借りてきましょうか?」
(これくらい、言っても良いわよね)
軽々しく『ニナを侮辱した』と怒鳴りつけながら、実際にはそんな事実はなく。
それどころか自身は大っぴらに獣人を侮辱して。
これが次期皇帝陛下と思うと世も末だ。
レイラの嫌味を受け、アルフレッドの顔がかあっと赤くなる。馬鹿なアルフレッドでも、辞典で言葉を学び直せと揶揄されたことに気づいたようだ。
「こっの……!」
頭に血が上ったアルフレッドは一歩踏み出し、あろうことかレイラの胸ぐらを掴んだ。
(え……)
まさかアルフレッドが暴力を振るうとは思ってもみず、レイラは驚きで動けない。
すると次の瞬間、恐ろしく重い空気を纏ったギルバートが参上した。
「殿下」
「兄上!? なぜここに」
「手を離していただけますか?」
ギルバートがアルフレッドの手首を掴み、その手にグッと力を込める。
丁寧に話してはいるものの、ギルバートの表情はひどく強張り、その視線だけで相手を射殺せそうだ。
「……手を離せアルフレッド」
レイラへの狼藉とあって、ギルバートの丁寧だった口調はすぐに命令口調に変わった。
それでも手を離さないアルフレッドに対し、ギルバートはギンッと睨みをきかせる。
すぐ近くに立つレイラでさえも、肩をすくませてしまうほど、今の彼は殺気立っていて恐ろしい。
アルフレッドも怯えつつ、恐る恐るレイラを掴んでいた手を緩めた。
それをしっかりと確認できたところで、ギルバートに思いっきり強く握られていたアルフレッドの手も解放された。
……だがここで黙って立ち去ればいいものを。馬鹿なアルフレッドは解放されたことでまた気が大きくなったようで、レイラとギルバートに向かって吠えた。
「はんっ! 夫婦揃ってこの私に歯向かうとはな! 父上に言いつけて罰を与えてやる!!」
どこの貴族のぼんくら息子かと考えてしまうくらい、陳腐な台詞だった。間違っても皇太子が吐くものではない。
ギルバートを包む空気がまた重くなる。
(また殺気……というかこれ、もしかして耳出ちゃうんじゃ……!?)
殺気が再燃する気配から、ギルバートの興奮度がゆっくりと高まっている感じがした。もしそうなら、ギルバートがここで獣の姿になってしまう。それはまずい。そう思ったレイラは、慌てて彼の隊服の裾を掴んで顔を小さく横に振る。
そして、ギルバートに代わってレイラが応答する。
「どうぞご自由に。ですがその場合、私たちもあったことの全てを陛下に話します」
「父上は私の味方だ! そなたなんかの話を聞くものか!」
「お忘れのようですが、皇宮管理を私に任せたのは陛下です。私は陛下の期待に応えるべく行動したに過ぎません。それよりも……皇子妃である私に暴力を振るった件、責められる覚悟をなさった方がよろしいですわよ」
レイラに気圧されたアルフレッドは言葉を失う。
アルフレッドがレイラの胸ぐらを掴んだことは変えようのない事実。しかもここは中庭で、目撃証言もある。
たとえアルフレッドが陛下に進言したとしても、レイラ側が責めを負う要素はどこにもない。
「……もう行こう、レイラ」
「はい」
ギルバートがレイラの腰に手をやり、夫が妻を甲斐甲斐しく支える形で、二人は皇子宮へと帰ったのだった。




