10. 皇宮管理
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「調子はどうだ? ギルバート」
息子のギルバートを呼び立てた皇帝陛下が、挨拶代わりに様子を伺う。
「特に変わりはありません」
「そうか。最近はお前が妃と仲睦まじくなったと聞いたが、本当か?」
「……まあ、はい」
ギルバートはレイラと打ち解けたあの夜以降、ここ三ヶ月毎晩のようにレイラの寝室を訪れていた。
一年以上ほったらかしにしていた妃といきなり親密になったため、二人の仲は皇宮の噂の的だ。
それが皇帝陛下の耳にも入り、直接本人に確認されたというわけだ。
肯定するのも若干気恥ずかしかっただろうが、ギルバートは素直に返事をした。
すると挨拶もそこそこに、皇帝陛下は本題に入り始めた。
「それは良かった。……それで、その。言い難いんだが、頼まれてほしいことがある」
「何なりと」
「レイラに皇宮の管理をお願いできないだろうか」
皇宮の管理するのは皇太子妃であるニナの務めだ。
それをなぜレイラに?
ギルバートが怪訝そうな顔を浮かべたのを見て、皇帝陛下は言葉を付け足した。
「ニナには聖女として伝染病患者の治癒に当たってもらうつもりなのだ」
「!」
数ヶ月前ギルバートが部下のユアンから報告を受けていた、獣人が罹る病。
始まりは国の外れにあるニギラ村だったが、最近では帝都近くの町でも感染者が出たという報告が上がってきている。
すでにこの件は国の重要案件となり国から調査団を派遣しているものの、現時点まで病の原因特定には至っておらず、また、完治させる薬も見つかっていない。
分かっていることとすれば、その病は人間には罹らないようだということ。詳細は調査中であるものの、これまで人間の罹患報告が上がってきていないため、獣人にのみ罹る病なのではという見解が出ているのだ。
国を脅かす病を前に、人間は飄々とし、獣人は慄き震えて生活しているのが現状だった。
「聖女様なら治癒が出来るのですか?」
「いや、実際にはこれから試してもらう段階だ。ニナ自身は難しいと言っているんだが、帝都まで脅かされるとなるとどうにかしてでもやってもらうしかあるまい」
「なるほど。それで、忙しくなる聖女様に代わって、皇宮をレイラに執り仕切ってほしいということですね?」
「そうだ。元々皇太子妃になる予定だったのだし問題なくやってくれるとは思うが……」
「私がレイラを支えますのでご心配には及びません」
陛下が案じた一言を、ギルバートはスパッと切り返す。
(……ふむ。存外、レイラを大切に扱っているのだな)
人に興味を持たなかった息子から『妻を支える』なんて言葉が出てくるとは思わず、陛下は父親心に息子の成長を嬉しく思った。
「では、話は通しておくから、明日レイラを皇太子宮に向かわせてくれ」
「畏まりました」
***
そしてその夜、仕事を終えたギルバートはレイラの部屋へ行き、陛下から賜った命を告げた。
「……ということなんだが、明日から皇宮の管理をお願いできるか?」
「勿論ですわ。お任せください」
レイラは即答した。
その目には頼もしさもうかがえる。
「そちらで忙しくなるようなら、こっちの仕事は減らして、」
「その必要はございません。元々ギルがほとんどやってしまうおかげで、私の手は有り余っているんですよ? これ以上皇子妃としての仕事は減らさないでください」
ギルバートの優しさで仕事の削減を提案されたが、やる気に溢れたレイラはそれを固辞した。
レイラの答えを聞き、ギルバートはくすりと笑って「分かった」と頷いた。
「それはそうと、恐ろしい病ですわね。進展は何も?」
「ああ。有力な情報は何も出てきていない。今は聖女様の力に縋るしかないな。不甲斐ないよ……」
自分の無力さに憤っているようで、ギルバートはギュッと拳を握った。民を守るための騎士なのに、何も出来ないことがもどかしいのだろう。
彼の気持ちを察して、レイラは彼の拳をふわりと包み込む。
「伝染病はあなたのせいではありませんわ。……今はただ、一刻も早く皆が平穏に暮らせるよう祈りましょう」
「……そうだな」
獣人に罹る病は、ギルバートとて例外ではない。いつかギルバートも感染してしまうのではないかと、レイラの不安は毎日募る。
それでもレイラは笑顔を見せ、ギルバートの前では気丈に振舞って見せていた。
──翌日から、レイラは皇宮の管理を始めた。
彼女は一番最初に管理の核となる帳簿を確認したのだが、そこには目を疑う数値が並んでいた。
(なんでこんなに……)
皇太子宮の予算が多すぎる。
レイラが住む皇子宮の十倍近い予算が組まれているなんて予想外だ。
確かに、皇宮予算をどう割り振るかは皇宮管理を行う者の采配次第ではある。
皇后宮や皇太子宮、皇子宮……など皇族が住む各宮に対し、皇位の高さなどを考慮して皇宮管理者が割り振りを行う。
だから、皇太子宮に皇子宮より多く予算が割り振られること自体はおかしくない。だが、差異があまりにも大きすぎる。
レイラ自身は皇子宮に割り当てられた予算に不満があるわけではなかったが、仮にも第一皇子のギルバートが第二皇子のアルフレッドにこうも差をつけられていることに憤りを覚えたのだ。
「この予算は本当に皇太子妃殿下が決めたのですか?」
レイラは帳簿を開いて問題の箇所を指しながら、呼び立てた国の財政大臣であるメイズを問いただした。
「はい、そうです」
「ではこれを見て、あなたも問題ないと判断したということですね?」
「……皇宮内の予算管理は私の管轄外です」
レイラに睨まれながら、メイズは銀縁の眼鏡をくいっと上げて答える。
メイズの仕事は国の財産管理。
皇宮へいくら落とすかは決めるが、その先の、皇宮内の予算配分がメイズの仕事ではないことは確かにその通りだ。
しかし、ニナが決めた予算配分などについてはメイズの承認が必要なはず。
「最終的にはあなたが承認するはずですが、それでも管轄外だと?」
レイラが強気で責めると、メイズははあーっと大きくため息をついた。
「レイラ妃殿下。皇宮には皇宮の慣習があるのですよ。皇后陛下が皇宮管理をされていたときから、私の口出しは無用だと言われていたのです。相手が皇太子妃殿下に変わっても、私は同じ対応をしていただけです」
何も知らないレイラをメイズは冷たく突き放す。
「妃殿下は代理で皇宮管理をされると聞きました。……畏れながら、下手に手は出さない方がよろしいかと」
(ただの代理で無知な妃は黙ってろってことね……)
メイズの言葉は真っ直ぐレイラに突き刺さる。眼鏡の奥にある彼の瞳からは不信感も見て取れた。
レイラとしては、ニナに代わってしっかりと管理しようと思っていただけに、出鼻から挫かれた気分だ。
それ以上レイラからは何も言い返すことができず、レイラはただ「分かりました」と言って、メイズを下がらせるしか出来なかった。




