9. 獣な夫
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「申し訳ございませんでした」
約束通り夜に部屋を訪ねてきたギルバートに向かって、レイラは開口一番謝罪した。
今日一日、二日酔いに苦しめられながらずっと考えていた。
朝は記憶の整理に気を取られて、きちんと言えていなかったから。とにかく謝罪が必要だという結論を出したのだ。
「気にしなくて良い。それよりも、もう体は大丈夫なのか?」
ギルバートはどこまで優しいのか。
しかし、そのまま彼の優しさに甘えてはいけない。
「いいえ殿下。私は、皇子妃としてとんだ失態を、」
「ギルでいい」
再び頭を下げようとしたところ、ギルバートがレイラの言葉を遮った。
「私のことはギルと」
「え? ……いえそんな、」
「レイラ」
今まで「殿下」と呼んでいたのに、いきなり「ギル」という愛称で呼ぶのは気が引ける。
レイラは拒もうとしたが、ギルバートはレイラを見つめて懇願した。
皇子であり夫のギルバートにそんな風に見つめられては、抗うことはできない。
「わ、分かりました。…………ギル」
「ああ」
愛称で呼ばれたギルバートは一瞬喜んだ顔をしつつ、すぐ真面目な顔で本題に戻した。
「それで昨日のことなんだが、そなたは何も謝る必要はない。確かに飲み過ぎには気をつけてほしいが、そのおかげでそなたの本心を知ることが出来たし、私達の仲も深められた。そなたは失態だと言うが、私は感謝しているんだ」
「私……の本心ですか?」
記憶はある程度思い出したつもりだったが、あらゆることをペラペラと口走ったようだから一体何の話を指しているのか、レイラは疑問を投げた。
「私の黒を、気高い色だと言ってくれただろう? それに私のあの姿を見てもそなたは動じなかった。正直怖がられると思っていたから、受け入れてくれてホッとした」
(……あの姿?)
昨夜のことは覚えていると言った手前、何のこと、と聞き返すわけにもいかず。
レイラは表情を変えずに、抜け落ちている記憶を探す。
昨夜のギルバートは、部屋が薄暗かったせいもありほとんど姿がはっきりとしなかった。
だけど、雲の合間から月が出たとき。そのときだけは彼の姿が見えた。
彼の広い肩幅や、引き締まった体。それから──。
「…………耳?」
記憶の中で、レイラを組み敷いたギルバートの頭には“耳”が生えていた。
黒髪の中に違和感なく生えた黒い“耳”。
それに口の中には鋭い“牙”。
視線を落とせば、彼の背後にふさふさの……“尻尾”。
それは全部。
(獣みたいな……)
しかし、今レイラの目の前にいるギルバートには耳も牙も生えていない。
なのになぜ、記憶の中の彼には生えている?
「不思議そうな顔だな。どうしてあの姿になったか気になるか?」
ギルバートがくすっと笑い、レイラの考えを言い当てる。
「あ、はい。……その、失礼でなければ」
聞きたい気持ちがありつつも、それがギルバートに不快な思いをさせないかと気遣う気持ちも見せるレイラ。
「何も失礼ではない。ただ少し、恥ずかしいが」
「恥ずかしい?」
レイラが首を傾げると、ギルバートの顔が近付いてきた。
そして、首筋でちゅっと音がした。
「!?」
首に感じた柔らかい感触は、間違いなくギルバートの唇だ。
突然のこと過ぎて、レイラは咄嗟にギルバートと距離を取り、口付けされた部分を手で覆う。
「な、なにを……!」
顔を赤くして驚くレイラを見ながら、ギルバートは微笑む。まるで彼女の反応を見て楽しんでいるようだ。
「話すより実際に見てもらった方がいいかと思ってな」
そう言ったギルバートの頭からはもぞもぞと髪の毛をかき分けて耳が飛び出てきた。
レイラは瞼をぱちくりと上下させるが、視界から耳は消えない。首筋にキスされた衝撃を遥かに超えて、もはや言葉も出ない。
「……興奮すると、こうなる」
ギルバートは端的に説明をした。
「獣の本能というやつだと思っている。興奮すると自分の中の獣の血が騒いで、獣の部分が出る」
「興奮……」
目の前の姿にまだ理解が追いつかず、レイラはただ単語を復唱した。
それが恥ずかしい単語だということは口に出してから気づいたようで、レイラはハッと気づいてまた顔を赤くした。
「いつもは感情を殺すようにしていて鎮静剤も服用しているから、私のこの姿を知る者は皇宮内でも少ない」
会った時から無口で無愛想だと思っていたが、まさかそんな事情があっただなんて。
「隠しているのは……陛下の指示でしょうか?」
「いや、皇后陛下だ。獣の姿は皇族の恥さらしになるそうでな」
ギルバートは笑っているが、それは辛い事実のはずだ。
皇后陛下とギルバートに血の繋がりはないが、一応義理の親子ではあるのに。それでもやはり、夫が他の女性との間に作った子供にはひどく当たってしまうものなのだろうか。
もしも貴妃が……ギルバートの実の母親が生きていれば。
獣人の彼女なら、息子の本当の姿を恥だなんて言わせず、きっと鎮静剤を常用させることもしなかっただろう。
「まあ、この黒髪自体が獣の色だから、あまり意味もない気がしているが。それでも最低限人間の姿でいるようにと皇后陛下に言われている」
自嘲的な笑いを見せるギルバートに、レイラは思わず手を伸ばした。
(この人は今までどれだけ…)
そして、レイラはギルバートをぎゅっと抱きしめた。胸の中に彼を抱き入れて、優しく包み込む。
「…………どんな姿でも、あなたはあなたです」
抱きしめながら、レイラは囁くように言った。
なんて言って良いのか分からなくて、それでもこの言葉はかけてあげたかった。
獣人であることは恥ずかしいことじゃない。
隠さなくていい。
あなたはそのままで生きていい。
それだけは、ギルバートに伝えたかった。
「……ありがとう」
ギルバートは目を瞑り、レイラの優しさを全身で感じた。そして謝意を述べて、レイラを抱きしめ返した。
それから数分だけ余韻に浸ったところで、ギルバートは突然体勢を変え、レイラをソファに押し倒した。
「へ?」
突然の展開に、レイラから変な声が出る。
「さすがに二日連続は体がキツイかと思って今日はしないつもりだったんだが……気が変わった」
「え、っと……?」
「そなたはその気にさせるのが上手いらしい」
ギルバートからさっきまでの自嘲的な笑みは消え、今度は楽しそうな笑みを浮かべている。
まるで獣が餌を手に入れたときのように、ギルバートの金色の瞳がキラキラと輝いている。
「そ、その気って……」
レイラが展開に付いて行けないまま、彼女は唇を塞がれた。
そしてその夜、今後こそ素面で、二人は愛し合ったのだった。




