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君は有機化学なんかやらない  作者: たららりりら
1/1

おしゃれクラスターに属する僕は勉強を始める

デビュー作です。自信があります。映画化を狙います。

 眼に見えない花粉が舞っているのか、霞が晴れないなかで、僕の見える景色はもう描くのが嫌になって黄色の絵の具を水で薄めるだけ薄めたような空気の色だった。

日当たりの良い教室は、クラス替えの直後でなんとなく以前の友達を探すために漂流する人たちが、ところどころ顔をだす登れそうな岩に手をかけるように、どっかで見たことはあっても話したことのない人にそっと声をかけている。

 僕は落ちこぼれだが、髪にはちょっと気が使われている。男しかいないこの中でも、17歳にもなると少しカッコよくなって何とかしようとする2割ほどのおしゃれクラスターに、僕はギリギリ属しているんだと思う。髪は柔らかく、湿気が多くなるとぺしゃんこになるタイプだ。少し茶色がかっている。僕は髪型にはこだわっていないようでこだわっている。こだわっていないところは朝起きて寝ぐせがあっても、別に無造作ヘアの一環としてほぼ許してしまうところだ。母さんは朝半分寝ながらヨーグルトを食べる僕の髪が許せなくて、急に立ち上がると寝ぐせ直しの入った霧吹きを洗面台から持ってきて僕の頭に噴射する。そして母さんは手櫛で髪を整えるけれど、なんか昔のドラマにでてきた銀行員みたいになる気がして、それをまたぐしゃぐしゃにしたくなる。でも家でそうすると母さんはいろいろと言ってくるので、なされるがままにする。家を出るとすぐに髪をぐしゃぐしゃに戻す。その方がカッコいいとは誰にも言われたことはないけど、僕はなんとなくそう思っている。それがこだわりだ。おしゃれっていう項目で2群に分類すれば、この教室の8割はダメだ。みんな同じ制服を着てるから、顔面を除けば髪型はその指標になる。高校3年になってクラスが完全に理系になったせいか比率はあがっている。もしかしたら9割がダメなのかもしれない。

 嫌な奴ばかりではないけれど、キョースケしか僕に話しかけてくる人はいなそうだ。外見的に言えばキョースケはほどよい天パーで、背も高くてグッドルッキングガイだ。キョースケはデフォルトでニコニコしてるけど、このクラスのほとんどがなんとなく違う世界の人だと思って彼に話しかけてくることはなさそうだ。


「帰ろっか」


同じ電車の方向の僕とキョースケは一緒に薄黄色の教室をでて灰色の玄関に向かう。


「これからハギのウチ遊びに行っていい?」

 

キョースケのママは厳しい。キョースケは家に帰るとおやつが毎日午後3時に用意されている。それもポテトチップスとかじゃなくって、ママの手作り菓子だ。紅茶もある。僕がキョースケの家に行ったことは一回しかないけれど、カップケーキと紅茶が運ばれてきた。キョースケのママは精一杯の微笑みを僕に投げかけてくれるんだけど、ありがとうございます以上の気の利いたことは言えなかった。そのカップケーキは僕にとって初めて食べるものの一つで、ただ甘いだけじゃない何か知らないフレーバーが入っていたはずだ。いつもニコニコしてるキョースケは自分の部屋にキョースケのママが入ってきた時はちょっと目を浮かしているようで、僕はあんまりキョースケの部屋には居にくいなって思った。

キョースケは真っすぐ家に帰りたくないので、僕の部屋に来ることが多い。ウチは居心地がいいらしい。


でも今日は駅前の予備校に行くことにしていたんだ。高3の4月から勉強することにしたんだ。これは決意っていうやつだ。どうやってやるのかわからないから、予備校に行けば何かがあるような気がしていた。

キョースケは高2の頃ママに言われて少しその予備校に通ったことがある。キョースケのママはキョースケを理系にしたいみたいで、数学が全然わからないキョースケを数学だけ受講させていた。それも凄くレベルの高いクラスに押し込んだので、キョースケの数学嫌いに拍車をかけた。キョースケはホントは文系のクラスを希望したのに、キョースケが理系クラスにいるのはそのせいだ。

「今日は予備校に寄っていくんだ、一緒に行く?」


「ハギ、予備校入ったの?どーした」


「4月から勉強するって言ったじゃん、雰囲気見てみたいんだよ。」


「俺はもうやめちゃったけど、ヒマだから一緒に行くか」


キョースケは付き合いがいい。あんなに予備校嫌いだったのに。家に帰るのはもっと嫌だったんだな 。

 学校から駅までは歩いて数分だ。不味いラーメン屋とコンビニだけが駅前にある。あとは時間をつぶす場所もない住宅地だ。大きなターミナルで降りて、大手予備校が立ち並ぶ一角に歩いて行った。


「ハギ、何か講座を申し込んでるの?」


「いや、何もないけど自習室とかそういうのあるでしょ、あとちょっと授業に忍びこむとか」


「マジでノープランなんだな、昼間はまだ高校生向けの授業はやってなくて、浪人向けだぜ。」


「高校生向けは夜なんだな。じゃあどうすっか。」


「歌う?」


「いやー、本屋行って参考書とか見てみるか」


キョースケは薄笑いを浮かべながら、


「ハギー、やる気じゃん」


高いビルの1階から3階までを占める本屋に入った。3階にある参考書コーナーには大学の名前の入った過去問集が並んでいて、赤地と青地のその本たちは体中に念仏がかかれた僧侶たちが僕ら邪宗のものを追い払うもののように思えた。俺たちは悪霊か。数学や物理の参考書は色気のないものばかりで、さっきまで硬派に正攻法で行こうと思っていた僕でさえ手に取ることもはばかられるようだった。


「キョースケ、お前どんなのがいいか知ってる?」


「前に行ったあの予備校の講師はこれを勧めてたよ。」


といって渡されたのは月間の数学雑誌で、高校生向けでありながら、大学で数学を学ぶためにとか数学オリンピック推薦なんて数学オタクが庶民を蹴落とすための帯がかかっていた。


「俺も最初はついていったんだよ、それに。でも、目の前に女の子が座っているとやっぱ集中できない。家じゃやる気起きないし。そもそも講師が悪かった。小学校までは算数得意だったんだぜ」


男子校の僕らは女子に弱いのはわかってる。でもキョースケには彼女がいるんだ。集中できないのはそのせいか。だからこそなのか。


「俺下で雑誌見てくるから、ハギゆっくりここでみてていいよ。」


付き合いのいいキョースケも数学からは離れたいらしい。

足早に下りのエスカレーターを降りていく。

英語の本は少しくだけていて、ちょっと手に取れる。

でも数学や物理の参考書は表紙だけで僕を拒絶する。

ダイエットの本みたいに一週間で10kgやせるみたいな、3日であなたもアインシュタイン、そんなすぐにわかる嘘だとわかるタイトルでもあれば騙されたい気分だけど、そんな本もない。

その数学雑誌は、色合いだって灰色で、デザインセンスのかけらもない。日本の家電がセンスがないのも、あえていえば家の近所の町並みもこういう理系の人間が悪いのではなくて、誰もが通る数学教育の弊害のようにも感じる。理系で大事なのは数学だってことはわかっている。偏差値の高い高校程、理系の比率が高いらしいしな。とりあえずもう一度、その雑誌を手にとってみると、最初の数ページはカラー写真だった。日本の高校代表が数学オリンピックで銀メダルを取ったという記事だ。3人の生徒が出ていて、一人は横長メガネに縦長の輪郭で頬のこけたまさに虚弱体質男子学生で、関西の誰もがその名を知る学校の生徒だった。もうひとりは目がくりっとした童顔を絵に書いたような男子学生でこれは国立の有名進学校だそうだ。その横にはやや狐目の女子高生が写っていた。男子2人の記者に向けられた作り笑顔とは違って、ぼんやりとカメラに向けられたであろう眼には金メダルを取れなかった空虚感が漂っていた。

横に立っている香港か韓国代表の金メダルを取った3人のヘアスタイルに比べてたら、いやさっきまでいた教室の全くセンスのかけらのないクラスメートに比べたら、その3人は今どきのファッション雑誌にも出てきてもおかしくないような華やかさがあった。数学ができるのはカッコいいと思うけど、ビジュアルもいいとは。別次元なのか。それとも数学ができるっていうオーラがそれを感じさせるのか。

数ページめくると、今月の問題が出てくる。問題文はわずか2行しかない。数式がある、これに当てはまる素数がいくつかしかないってことを証明しろという。さっぱりわからない。取り付く島もないっていうのはこういうことか。この雑誌から数学を始めるのは、サッカーしか知らないのに、アメリカンフットボールの試合中のフィールドの中に、相手のクオーターバックを封じてこいって、いきなり放り込まれるようなものなんじゃないかな。

 あの数学の雑誌のせいで、大学の過去問集以外の本の背表紙をみたって、どれもこれもが、僕の根拠のない勉強に対する自信を砕けさせるような気がして、もうこれ以上ここにはいられない気がした。目線をエスカレータ先の一階に向けると、キョースケのふんわりした頭が見えた。


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