妹育成計画!
【登場人物】
来宮陽翠:妹が可愛くて仕方がないおねえちゃん。妹を他の誰かに渡すことが耐えられなくて、自分のものにしてしまおうと思い立つ。
来宮心珠:姉に愛されまくりの妹ちゃん。姉とは六歳差。愛情をこれでもかと注がれた結果、天真爛漫に育っていく。
「心珠~、おねえちゃんの膝の上においで~」
「んー」
心珠の隣に腰を降ろして膝をぽんぽんと叩くと、心珠はテレビに流れる動物番組から視線を外さないまま私の膝の上に座った。まだまだ軽い体重にほっこりとしながら心珠の体を抱き締めてその感触を堪能する。
さわさわ。すりすり。ぷにぷに。
「こそばいからやめてよー」
「あぁごめんね。心珠が可愛いからつい」
ふん、と心珠は息を吐いてから再びテレビに集中しだした。
私は手を動かすのをやめて、抱き締めたまま後ろから心珠の横顔を見つめる。
細い絹糸のような黒髪。ぱっちりとした大きな目。つんとした鼻にぷっくら膨らんだ桃色の唇。そしてなんと言っても血色の良いほっぺた。このほっぺたは指でつつくとお餅とマシュマロを合わせたような感触がする極上の一品だ。
(あーっ、ほおずりしたいぷにぷにしたい! キスして唇ではむはむしたい!)
湧き上がる欲望を必死になだめた。今心珠はテレビを見ている。それを邪魔しては怒られてしまう。
妹を可愛がるだけでは姉として二流だ。
真の姉とは、妹を愛し妹に愛される存在でなくてはならない。そうして二人の愛が交わったとき、私の目的は達成されるのだ。
私達の、幸せな未来のために。
私と妹の心珠は六歳離れている。だから心珠の小さいころは私がよく面倒を見てあげていた。おむつを替えてあげたり寝るまで横にいてあげたり泣き出したら必死にあやしてあげたり。赤ちゃんの頃の心珠はそれはもう天使のように可愛くて、つぶらな瞳に見つめられるだけで心があったかくなり自然と笑顔になってしまう。
私がキスを覚えたのはこの頃だ。両親が心珠のほっぺにキスをしているのを見て、私も真似して心珠のほっぺにキスをし始めたのを覚えている。キスをする度にきゃっきゃと笑ってくれて、それが嬉しくて何十回もキスをした。
とはいえこれはあくまで家族愛、姉として小さな妹に向けた愛情にすぎない。私が明確に心珠を愛していると自覚するようになったのは、心珠が小学校に入ってからのことだった。
年齢を重ねるごとに可愛くなっていった心珠だが、小学校に入ってその可愛さに女性的な魅力が交じり始めた。時折見せる澄ました横顔やいたずらっぽい笑みに何度ドキリとさせられたことか。
ある日の夜、ご飯を食べているときお母さんが心珠に学校のことを色々尋ねていた。勉強はどうか、授業はどうか、楽しいこと苦手なことなど聞いていくなかで、ふとこんなことを聞いた。
『気になってる男の子はいないの?』
心珠は顔をほのかに赤らめながら『そんなのいないよー!』と否定したが私の心中は穏やかじゃなかった。私も中学校に入り、周りの友人たちの恋バナなんかもちらほら聞くようになってきていた。早い子だと小学校のときから目当ての男の子を見つけていたりする。男の子より女の子の方がそうした恋愛に関する事柄の成熟は早い。もしかしたら心珠だってすでにそういう相手がいるかもしれない。それでいつの間にかその子と付き合い始めて私達には内緒でデートにいったりしてファーストキスなんかしちゃったりして――。
(あ、ムリだ)
心珠のそんな光景を想像しただけで鬱病になりそうだった。心珠に恋人が出来るなんて耐えられない。彼氏なんて紹介されたら死ぬ。心が死ぬ。
そんなとき私はたまたまネットで、姉妹が恋人になる百合マンガを読んだ。子供のころから想い合っていた姉妹が大人になって再会し、身も心も結ばれるお話。
これだ、と思った。誰かのものになってしまうのなら私のものにしてしまえばいい。でもそのためには心珠の気持ちが私に向いていなければならない。
だったら、そうなるように私がしてやればいいじゃないか。
今のうちから心珠を教育して、おねえちゃん大好きっ子に仕立てあげる。
決意の炎を胸に、私の戦いが始まった。
三つ子の魂百まで。幼いころに形成された性格は一生変わらない。
つまり、心珠が小さい今の間に私のことを大好きになってもらえたら一生私を好きでいてくれるということ。心珠がどこぞの馬の骨に興味を持つ前に、頭の中を私でいっぱいにすればいいのだ。
そうなるとこれまでと同じような可愛がり方ではいけない。好感度を上げることを意識してしっかり接していかなければ。
まず始めにとりかかったのは言葉で気持ちを伝えることだった。
「心珠は可愛いな~。世界一可愛い~」
事あるごとに私は心珠を褒めた。褒めるというのは人を育てることにおいて重要だ。本人をその気にさせて伸ばすとともに信頼を得ることが出来る。
「あぁもう食べちゃいたいくらい可愛い……はぁはぁ」
ときどき心の声が漏れるのはご愛嬌。
心珠は私に褒められると耳たぶを人差し指で触りながら「そ、そんなことないよ」と返してくる。嬉しいのに必死に隠そうとしているのだ。その仕草がまた可愛らしい。
そして心珠の宿題をよく見てあげるようにした。
私自身の成績は普通くらいだが、六歳も離れていれば勉強を見るなんて余裕。心珠がわからない問題は根気よくやり方・考え方を教えて自分で答えを出すのを待ち、そうして心珠が見事正解したら「よく解けたね。えらい」と褒めてあげるのも忘れない。これを繰り返すことで心珠のなかの『頼れるおねえちゃん像』が確立していくのだ。
頼れる、と来たら次は優しいおねえちゃんだ。
これは簡単。心珠の好きなお菓子やデザートをあげるだけ。親が買ってきてくれたものでもまず心珠に好きなものを選ばせてから自分のを選ぶし、私が休日に商店街や百貨店に出掛けて買ってくることもある。姉妹だからこそ互いの食の好みは熟知しているので失敗することがない。少ないおこづかいでやりくりするのは大変だが、『おいしー』と心珠が笑顔でもぐもぐしてくれるとそれだけで幸せなので問題ない。
そしてなによりも一番大事なのは、体を触れ合わせるスキンシップを欠かさないこと。
テレビを見るときに膝の上に乗せたり、髪を乾かしてあげたり、服装を整えてあげたり。何もなくてもとりあえず背中をさすったり頭を撫でたりしながら会話をする。触れ合うというのは大事だ。言葉以上に様々な想いを伝えられる。心珠にとって私に触られることが普通になれば、これから先も仲良くしていけるはずだ。
ただ最近はほっぺにキスをすると恥ずかしがってばたばたと腕を振って逃げてしまう。なので嫌がられない範囲を探るのも重要になってきている。……ちょっとおねえちゃん悲しい。
そして全ての総結集。
「おねえちゃん、心珠みたいなお嫁さん欲しいな~」
実際は結婚なんて出来るはずないが、結婚したいほど好きなのだと示すのは重要だ。当然心珠に確認することも忘れない。
「心珠はおねえちゃんが相手じゃイヤ?」
「んーん、心珠もおねえちゃんみたいなおよめさんほしい!」
最高の返事をもらえて、私ははちきれんばかりの笑顔で心珠を抱き締めるのだった。
心珠の可愛さは中学にあがってからも衰えることはなく、増々魅力的になってきた。髪を少し伸ばし、体の凹凸が出てきたことにより大人の美を感じさせるようになった心珠。そうなると更なる問題が出てくる。
(こんなに可愛い心珠を他の人が放っておくはずがない)
もし私が心珠のクラスメイトなら間違いなく近づく。そのまま距離を詰めていって親友になり、恋愛経験のない心珠を口八丁で丸め込んで事実上の恋人関係になろうとする。
(どうしよう。心珠が……心珠が汚されちゃう!)
こんな心境では勉強に身が入らない。私だって高校三年生になったし、大学受験に向けて勉強をしていかなければならないと分かっている。
(心珠のためだけでなく、私のためにも行動を起こさないと!)
その日、授業が終わると私はすぐに学校を出て心珠の通う中学校へと向かった。時間になるまでに準備を済ませて待つことしばし、夕方の6時を回ったころに体操着姿の心珠が数人と一緒に門を出て来た。おそらく部活の友達だ。中学でテニス部に入った心珠の帰りがこのくらいの時間になることはすでに把握してある。
(周りが暗くても心珠のいるところだけは輝いてる気がする……あぁ、体操服も可愛い……)
電柱の陰で小さく咳払いをして喉の調子を整え、心珠たちに近づいた。
「心珠?」
私の呼びかけに心珠とその友達が振り向いた。心珠の驚く顔が目に入り、私はさも偶然を装って胸を撫で下ろす仕草をする。
「よかった。たまたま近くまで来てて、ちょうど心珠っぽい人影が見えたからもしかしてって思ってね。おねえちゃんも一緒に帰っていい?」
「え、え?」
心珠が困惑する横では友達がいぶかしげな表情で私と心珠を見比べていた。もちろんここは出来た姉らしく、穏やかに微笑みかけながら自己紹介をする。
「はじめまして、心珠の姉の陽翠です。いつも妹がお世話になってます」
「あ、はい」
「ちょっとこっち来て!」
心珠が私の腕を引っ張り、少し離れたところで顔を近づけてきた。ドキリとして頬が緩みそうになったが心珠の険しい表情を見て自重した。
「――なんでここにいるの?」
「えぇっと、偶然近くに来て」
「偶然ってなに? おねえちゃんの学校全然違う方向じゃん」
怪しまれるのは想定内だ。私は提げていたビニール袋を持ち上げた。袋のなかには組立式の紙の箱が見える。
「買い物してたの。商店街のとこのタルト、心珠も好きでしょ?」
「え、買ってきてくれたの!?」
一瞬喜びかけた心珠だったがすぐに気を取り直して眉間に皺を寄せる。
「だからって別に私の学校に来る必要なくない?」
まだ警戒する心珠。こうなればあとは心情に訴えかけるしかない。
「……たまには可愛い妹を迎えに行ってあげたいって思うのはダメ?」
「……」
「帰りが心珠ひとりだと危ないでしょう? ただでさえあなたは可愛いんだから」
「そ、外であんまりそういうこと言わないで! 友達が家の近くまで一緒だからへーき!」
(その友達だって安心とは限らないんだよ!)
と言いたかったがさすがに理性が止めた。証拠もないのに怪しんでは心珠の心証が悪い。
「じゃあ今日は私もそのお友達と一緒に帰ってもいい?」
「…………」
心珠は唸るように考えてから渋々頷いた。
「でも友達に変なこと言わないでよ」
「大丈夫。その辺はしっかりしてるから」
心珠の疑いの目を、自信満々の笑顔で受け止めた。
私は心珠たちの後ろを歩くことにした。視界に入らないようにすれば気にならないだろうというのともうひとつ、この位置ならば私のやりたかったことが出来る。
心珠はずっと友達と話していた。友達は時折私の方をちらりと見たりするが、年齢差もあってか話しかけてはこない。
しばらく歩いたところでチャンスがやってきた。友達の一人が歩きながらスマホを見はじめた。メッセージのチェックだろうか。しかしそのせいで歩く速度が落ちて心珠たちから遅れてしまった。すかさず私はその子の側へ寄り小声で囁く。
「ご両親から?」
「え、あ、はい」
「あんまり遅くなったら心配するもんね」
「そうですね」
私は少し背中を丸めて視線の高さを合わせながら微笑みかける。
「でもよかった」
「え?」
「あなたみたいな良い子が心珠のお友達で」
「いや、えぇと……」
女の子は恥ずかしがるように視線を逸らした。私は構わずに続ける。
「心珠、学校ではどう? うまくみんなとやれてる?」
「はい。可愛いし性格もいいし、クラスのみんなと仲良いですよ」
やっぱり、と胸中で頷く。そのクラスメイトの何人が心珠を狙っているのか。可能なら一人ひとり尋問してやりたいところだ。
どす黒い感情は隠したままにこりと笑う。
「……そう言ってもらえて安心した。あの子中学に入ってからあんまり学校のこと教えてくれなくて。彼氏とか出来たらすぐに教えて欲しいんだけどねぇ」
ふふ、と笑いながら言葉の後ろに『彼氏がいるって分かったら○しに行くのに』と付け加えておく。本当に○すわけじゃなくてあくまでも例えだ。そう、例え話。
女の子は目論みどおり私の話に乗ってくれた。
「心珠ちゃん、彼氏はいないですよ。好きな男子もいないみたいで」
(ぃぃよっしゃぁー!!)
心で渾身のガッツポーズ。
しかし続けて女の子が手で口に壁を作りこっそりと教えてくれる。
「でもここだけの話、テニス部の先輩が心珠ちゃん狙ってるっていうのは聞きました。結構かっこいい先輩だから、もしかしたら心珠ちゃん付き合っちゃうかも」
「――――」
よし、○そう。
私が決意を固めたとき、不意に視線を感じた。
前方を見るとものすごい形相で心珠が私を睨んでいた。慌てて会話を切り上げる。
「あ、ありがとう。今のは心珠には内緒にしててね」
「は、はい」
その後、友達と別れてから心珠が全然口を聞いてくれなかった。食後にお気に入りのタルトを出してもムスっとしたまま食べて部屋に戻ってしまった。
「ケンカしたの?」と心配するお母さんに迎えにいったことを話すと笑われた。
「恥ずかしがってるのよ。中学生にもなって自分のおねえちゃんに迎えにきてもらってるって周りに思われたくないんでしょ。お母さんだってあったわよ、そういう時期」
反抗期の一種だろうか。私には無かったのでよく分からない。
だってもし私が心珠の立場だったら絶対喜んだに決まってる。周りの目なんかより、大好きな人と一緒に帰れる方が大事だから。
とにかく、心珠に嫌われたままだと私の精神が死んでしまう。はやく機嫌を直してもらわないと。
片付けを済ませたあと、心珠の部屋に行きノックをする。
「心珠、入ってもいい?」
少し間があって返事がかえってきた。
「……ヤダ」
一応ノブを回して開けようとしてみるがカギが掛かっていた。無理矢理開けられないこともないがそんなことをしても余計に怒られるだけ。
「じゃあずっとここにいるね。心珠が開けてくれるまで」
ドアの前に座り込む。情に訴えかけるのもあったが、開けてくれなくてもトイレに行くときにでも捕まえればいいと思った。
五分ほど経過して、かちゃりと解錠される音と共にドアがそっと開いた。細い隙間の向こうにいた心珠と目が合う。
「……ほんとにいるし」
「心珠が部屋に入れてくれたら退くよ」
「……じゃあ入って」
やった! と開かれたドアから心珠の部屋に入る。心珠は勉強机の椅子に、私は床に座る。
「なんの用?」
「心珠に謝っておこうと思って」
「なにを?」
「急に迎えに行ってごめんね。心珠が嫌ならもう迎えに行かないから」
「…………」
「あ、でも雨が降って傘を届けるとかはしていい? あとは心珠の帰りがもっと遅くなったときとか、心珠のお友達が一緒に帰れなくなったときとか――呼んでくれればすぐ行くからね!」
私の必死な思いが伝わったのか、心珠が少し表情を緩めた。
「いいよ、そのくらいだったら。……迎えに来て欲しくなかったわけじゃないし」
「心珠~!」
お許しが出たところでバネのように飛んで抱き着く。
「よかった~。もう怒ってない?」
「怒ってたわけじゃ――おねえちゃんっ、力入れ過ぎ!」
「だってぇ、心珠に嫌われちゃったかと……」
「はぁ……なにを言うかと思ったら。別に嫌ってないよ」
呆れるような心珠の声。どうやらもう機嫌は直ってくれたようだ。
さて、無事仲直り出来たところで、私の頭の中にはある言葉がずっと残っていた。それを確かめなければいけない。
「心珠、いっこだけ聞いてもいい?」
「なに?」
「テニス部にかっこいい先輩っていたりする?」
「………………なんで?」
「心当たりがあったら名前とか教えてくれないかな?」
「……っ」
どん、と心珠が私を突き放した。目の前には怒りに満ちた心珠の顔があった。
「出てって! 迎えも二度と来なくていいから!」
「え、心珠、待って、え……?」
呆然とする私を心珠が部屋の外に押し出した。
「おねえちゃんのバカ! 大っ嫌い!!」
「…………」
廊下に残された私はただただ放心していた。
初めて妹に『嫌い』と言われた。それはつまり、神に『死ね』と言われたのと同じだ。
それから私が何回謝っても、ラインを送っても、好きなスイーツを買ってきても、心珠の怒りはとけなかった。
「今度の日曜、部活の先輩と遊園地に遊びに行ってくる」
それは青天の霹靂だった。
夜、ご飯を食べているときに家族の前で心珠が何気なく言い放った。
「あらそうなの? どこの遊園地?」
「えっとたしか――」
お母さんと心珠が話すのを聞きながら、私の心臓は暴れていた。お茶を飲んで深呼吸をしてもまったく落ち着いてくれない。箸を持つ手に力を込めて心珠に尋ねる。
「そ、それって男の先輩だったりしない、よね?」
「そうだよ」
心珠があっさりと認めた。心臓だけでなく頭も痛くなってきた。
お母さんが嬉しそうに声のトーンを上げる。
「もしかしてデートなの?」
「わかんないけど一緒に行くのは先輩だけ。先輩が親戚からチケットもらったって言って誘ってくれた」
「それもうデートじゃない!」
そう、こんなのデート以外のなにものでもない。何が親戚からチケットもらっただ。絶対自分で買ったのに、誘うための口実にしてるだけだ。
私は一度箸を置いた。
「わ、私は心珠にはそういうのはまだ早いんじゃないかなって思うなー」
「おねえちゃんに関係ないし」
ばっさり切り捨てられた私はお父さんに助けを求めた。
「お父さんはいいの!? 心珠をそんな危ないところに行かせて!」
「いやぁお父さんとしても中一で男の子と二人っきりっていうのは……」
難色を示していたお父さんにお母さんが笑顔を向けたとたん、お父さんが語気を落とした。
「まぁその、門限だけ決めて、それさえ守れるなら……」
「よかったわね心珠。しっかり楽しんでいらっしゃい」
「うん」
なんと弱いお父さんか。まぁお母さんの方が発言力が強い我が家においては予想出来たことではあるが。
(こうなれば、私がやるしかない)
日曜日、私は遊園地にやってきていた。天気は快晴。横に広がったエントランスには家族連れや学生グループ、カップルたちが和気あいあいと並んでいる。
私がここに来た目的はもちろん、心珠のデートの監視だ。帽子とサングラスとマスクを身につけ、家を出発した心珠を尾行してきた。変装費用、交通費、入園料もろもろは有志のスポンサーからもらったものだ。
人混みに紛れながら遠くから心珠たちを観察する。確かに件の先輩はかっこいい部類に入る見た目ではあった。髪は染めていないし服装も清潔感があり真面目そうではある。
(だからって心珠に近づいていい理由にはならない!)
溢れ出る殺意を抑えつつサングラスのブリッジを押し上げて、中へ入っていった二人の後を追った。
歩くときは距離を取り、相手が止まったら近くの建物や木の陰に隠れる。周囲のお客さんの視線が私に刺さるが気にしている暇はない。
(盗聴器買ってくればよかった)
心珠たちが会話しているのを遠くに見ながら後悔した。何を話しているんだろう。部活のことかプライベートなことか。告白するにしてはまだ早いはずだ。
悶々としながら二人がアトラクションに入っていくのをじっと見守った。
せっかく遊園地に来たのだから私も遊びたい、と思わなくもないがそれで見失ってしまっては本末転倒。今の私に心珠以上に優先することなどない。
ただ、待っている時間はつらかった。
姿が見えないから余計にあれこれ想像してしまって、もしあの男の子がどさくさに紛れて心珠にセクハラでもしたらとか、なにかの弾みで手を握ったりしたらとか考えるともう気が気じゃなかった。
(大丈夫。心珠はそんな軽い子じゃない。大丈夫)
神に祈るようにぶつぶつと呟きながらひたすら時間が早く過ぎるのを待った。
様々なアトラクションを終えては楽しそうに話しながら戻ってくる二人。疎外感を感じてため息をつく。
(そういえば心珠とこういうとこに二人で遊びに行ったことってなかったなぁ……行きたいなぁ)
心珠と遊園地デート。想像しただけで幸せな気持ちになれる。ジェットコースターで二人できゃーきゃー叫んだり、コーヒーカップで目を回して心珠に介抱してもらったり、お化け屋敷で手を繋いでお化けが出てきては抱き着いてみたり……。
(――はっ、お化け屋敷!)
心珠たちの足がお化け屋敷の方へ向かったのに気付いて焦る。
お化け屋敷といえば合法的に体を密着することが出来る禁忌のアトラクション。そんなところに二人を入れるわけにはいかない。
(どうする? いっそ今から心珠をさらう? もしくはバッグでも引ったくる? ダメだ。どっちも犯罪だ)
結論が出せずに頭を抱えていたのだが、心珠たちはお化け屋敷の前で方向を変えて別のアトラクションに向かっていった。
(あ、お化け屋敷じゃなかったんだ。よかった……)
ほっと安堵の息を吐いてから尾行を続けた。
私が妹のことを愛していると言っても、本気で何から何まで自分本位で考えているわけじゃない。
もし心珠に私の気持ちを拒否されたら。もし心珠が他の人を選んだら。無理矢理心珠を自分のものにしてしまうのが正しいのか。
違う。それで心珠を手に入れたとしても私は嬉しくない。だって私が欲しいのは心珠の体だけでなく、心も、なにもかもだから。
だからそう。本当は分かってる。
私の気持ちなんかより、心珠自身の気持ちが一番大事なんだってことを。
(うぅ……心珠ぅ……)
パラソルつきのテーブルに座り、ドリンクとポップコーンで休憩している二人を遠目に、こみ上がってきた滴をぬぐう。
心珠は今日ずっと笑っている。それだけあの男の子と遊ぶのが楽しいのだろう。
(もしそうなら私の出る幕なんて……)
沈むテンションを抱えながら、持って来たペットボトルのお茶を飲んだ。いつもよりしょっぱい気がした。
休憩してから園内を再び巡って間もなく、太陽が傾いてきた。今日の門限は7時なので移動時間を考えると次が最後のアトラクションだろうか。
男の子が先導して向かったのは観覧車だった。
(なんというベタな)
ベタではあるが、それはつまり大多数の人達が共通の認識を持っているということ。夕暮れに乗る観覧車。二人きりの空間。初デート。これはもう、勝負をかけにきているのだろう。
あんな狭い入れ物に心珠を男の子と二人きりにさせるなんて言語道断だ。でもこれで心珠が彼を受け入れるんだったら、私はもう……。
少し離れたベンチに座って二人が乗り込むのをぼうっと見つめた。しばらく目で二人の様子を眺めていたが、すぐにやめた。万が一キスなんか目撃してしまっては死にたくなってしまう。
おおよそ10分後。心珠たちは帰ってきた。見るべきは二人の表情と、手が繋がれているかどうか。もしどちらかにでも異常があれば結果は推して知るべし。
ドキドキと早まる胸を押さえ、私はサングラスをずらして確かめた。
「――――」
心珠は、それまでと同じ距離のまま男の子の隣を歩いていた。
遊園地のエントランスの前で心珠は男の子と何かを話したあと、男の子だけが歩いていってしまった。
(一緒に帰るのが気まずかった?)
そんなことを考えていると突然私のスマホが震えた。そこには心珠からメッセージが来ていた。
『もう出てきていいよ』
(バレてた……)
また怒られるだろうか。嫌いって言われるだろうか。でもこのまま逃げたら絶対もっと怒られる。観念して心珠のところへ行った。
「心珠……」
私の格好を見るなり心珠が吹き出した。
「――ぷっ、あやしすぎだよそれ。そんなんじゃどこ居ても目立つに決まってんじゃん」
「そ、そうだね」
変装をといて心珠と向かい合う。昨日までの不機嫌さはなくなり、今はどことなく嬉しそうに見える。
「おねえちゃん、私に何か言いたいことない?」
「え? まぁその……」
「ほら、早く言って」
色々とありすぎるが、何はともあれまずはこれを言うべきだろう。
「今日ずっと後をつけててごめんなさい」
私が頭を下げると心珠は面食らったような声をだした。
「え、あ、うん。ほかには?」
「ほか?」
「なんで後をつけてきたのかっていう根本的な原因というか……ほら」
「?」
心珠がじれったそうに語気を荒げる。
「わたしと先輩のこととかっ」
「あ、そういえば告白はされなかったの?」
「されたよ。でも断った」
「え、ホントに?」
「うん。それであの先輩、六歳年上は興味ないんだって」
「え、そう、なんだ……?」
「残念だったね」
「なんの話?」
「おねえちゃんがいくら狙おうとしてもムダって話」
「私が……誰を?」
「先輩をだってば」
「私が心珠の先輩を狙う? なんで?」
まったく意味が分からずに首を傾げると心珠は「え」と黙り込んだあと、目を大きく開けてみるみる顔を赤くして、そっぽを向いた。
「――もう帰るよ!」
歩き始めた心珠の後を追う。
「あ、待って。なんの話だったの?」
「おねえちゃんのせいで今日が台なしだったって話!」
「ご~め~ん~。帰りに心珠の好きなもの買ってあげるから~」
謝ると、心珠が唇を尖らせてぼそりと呟いて答えた。
「……買わなくていいから、埋め合わせに今度遊園地に連れていってよ」
「……いいの?」
「私が連れていってって言ってるの! 行きたくない?」
「行きたい! 行く行く! 心珠が行きたいとこならどこでも連れていく!」
まさか心珠の方から誘ってくれるなんて。
感極まって思わず心珠の腕に抱き着いた。心珠は私を突き放すこともせずに黙って歩いている。
よかった。心珠と仲直りできて。
よかった。心珠があの男の子と付き合わなくて。
そして何よりも嬉しかったのは、すぐ隣を歩く妹が人差し指で耳たぶを触っていたこと。姉の私には分かる。妹のメッセージ。
「手、繋いでもいい?」
「…………」
無言で歩く妹の手を握り、二人仲良く茜色の帰路を歩いた。
◆
わたしのおねえちゃんは重度のシスコンだ。わたしが小さいころからいつもべったりで、事あるごとにわたしを褒めたり甘やかしたりしてくれた。
そんなおねえちゃんの愛情で育てられたからだろう。いつからかわたしは、おねえちゃんの愛が無いと生きられないことに気が付いた。
おねえちゃんがそばにいてくれないと寂しい。おねえちゃんが褒めてくれないと元気が出ない。おねえちゃんが身だしなみを整えてくれないと胸を張って外に出られない。
さすがに中学校に入って多少は自立心が芽生え、そこまでおねえちゃんに依存することは減ったけど、それでもおねえちゃんがいない生活というのは考えられなかった。
でも六歳という年齢の差が、どうしてもわたしを不安にさせる。
高校生といえば一番恋愛が盛んな時期だ。週刊少年誌でも少女マンガでも高校を舞台にした恋愛ものは数多くある。
そんな恋愛の巣窟である高校におねえちゃんがいて、モテないわけがないんだ。わたしはおねえちゃんが世界一綺麗で可愛いと思ってる。さらさらの黒髪に整った目鼻立ち。普通にしているとすごく大人っぽいのに、笑うとすごく子供っぽい。そのギャップがすごく可愛い。
もしわたしがおねえちゃんと同じクラスだったら絶対惹かれたと思う。
そんなわたしの不安は杞憂に終わった。高校三年生になっても彼氏の話題なんてひとつもしないし、休日はいつもわたしのそばにいてくれる。これだったら安心かなと思った矢先、事件が起きた。
おねえちゃんが部活終わりのわたしを迎えにきたのだ。
迎えに来てくれたのは嬉しいけど、友達がいるときに来てほしくなかった。だって下手に友達におねえちゃんを紹介して好きになられても困るから。それに本当に万が一、おねえちゃんがわたしと同年代の女の子を好きになってしまう可能性もあった。だから中学校の話題はあんまり家では話さないようにしてきた。
なのに、友達と会ってしまった。話をしないでと念を押したのに友達と楽しそうにおしゃべりするし、最悪だった。
あとでその友達にラインで何を話していたのかを聞いたけど、『心珠ちゃんのことをちょっと話しただけ』としか教えてくれない。
まぁ、納得はいかないけどわたしのことを気にして友達と話したのならいいかなと思った。
おねえちゃんが信じられない言葉を吐くまでは。
『テニス部にかっこいい先輩っていたりする?』
『心当たりがあったら名前とか教えてくれないかな?』
まさか、と思った。おねえちゃんは結局年下なら男女どっちでもよくて、わたしを口実にかっこいい中学生の男の子を狙っているんじゃないかと。
ヤダ! わたし以外の人におねえちゃんを渡したくない!
怒りに任せておねえちゃんを突き放したのはいいけど、ケンカしている間は正直しんどかった。おねえちゃんに触れてもらえない毎日があんなにつらいと思わなかった。大嫌いなんて大ウソだ。本当は誰よりも大好きなのに。
そんなときテニス部の先輩から遊園地の誘いがあった。同級生の女子からも評判のかっこいい先輩。これは神様がくれたチャンスだと思った。
家族にそれを知らせると案の定おねえちゃんがおとうさんとこそこそ話をしていた。そしてデート当日、わたしはスマホのカメラで後をつけて来るおねえちゃんを確認してひとりでほくそ笑んだ。
先輩とのデートは普通に楽しかった。というより遊園地に来たのがいつぶりかっていうくらい久しぶりで、純粋にアトラクションを楽しんでいた。
あてつけもあったんだと思う。おねえちゃんが狙おうとしてた男の子はわたしとのデートをめいっぱい楽しんでいるんだぞ、と。
あやしい格好をしたおねえちゃんは遠目にもどこにいるか丸分かりだった。苦笑しながら『どうせならおねえちゃんと一緒に遊園地で遊びたかったなぁ』なんて思ったりした。先輩と遊んでこれだけ楽しいんだから、おねえちゃんと遊べばもっと楽しいはずだ。……少しだけ寂しくなった。
先輩がお化け屋敷に入ろうと誘ってくれたとき、わたしはどうしても頷けず、『怖いの苦手だから』と遠慮した。
暗闇で変なことをするような先輩だとは思えない。でも、するかもしれない。そうしたらわたしはおねえちゃんに助けを求めてしまう気がした。それはよろしくない。だから遠慮した。
最後に観覧車に乗ろうと言われたとき、予感はしてた。わたしの予感どおり、先輩は観覧車のてっぺんでわたしに告白をしてきた。
答えは決まっていた。『ごめんなさい』。
他に好きな人がいるの? と聞かれて頷いた。
同じ学校の人? と聞かれて首を横に振った。
『少し離れてるけど、その人がわたしにとって一番大切な人なんです』
先輩は寂しそうに笑ってから『そっか』と言った。
良い先輩だったと思う。恨み事ひとつ言わずに、さよならをするときもわたしを気遣ってくれて。
エントランスを出てから先輩が尋ねてきた。
『一緒に帰るなら送るけどどうする? 駅まででいいならそれでも』
『迎えが来てると思うので』
『わかった。じゃあまた部活で。今日はありがとう』
『あ、あの、最後に変なこと聞いてもいいですか?』
『うん、なに?』
『先輩はその、六歳年上の相手ってどう思いますか?』
『どうって……もしかして来宮さんの好きな人ってそのくらい離れてるの?』
『わ、わたしのことじゃなくて先輩がどうなのかを聞きたいんです』
『どうだろ。そういう人に出逢ったことがないからわからないっていうのが感想かな。少なくとも今は興味ないよ』
今は、とわたしを見つめて笑う。
『あ、ありがとうございます。すみません、本当に変なことで』
『別にいいよ。少しでも参考になったなら。……僕もあと六年早く生まれてたらよかったかな?』
『えっと……』
『冗談だよ。じゃあね』
先輩が帰ったあとのことは正直あんまり思い出したくない。
おねえちゃんを呼び出して、おねえちゃんなんか見向きもされてないんだぞと教えてあげて――全部わたしの勘違いで、おねえちゃんは最初からわたしのことしか考えてなくて――あぁもう、だったら先輩のデート始めから断ったのに!
結局わたしたちは小さなころからなにも変わってなかった。
おねえちゃんはわたしが大好きで、わたしもおねえちゃんが大好き。
いつかこの関係が崩れてしまう日がくるんだろうか。
想像したくない。おねえちゃんのいない人生なんて考えられない。
だったら、おねえちゃんをわたしのものにしてしまえばいい。
わたしがいなきゃ生きていけないように、身も心もつくりかえてやる。
さて、じゃあなにから始めようか――。
◆
「おねえちゃんの理想の結婚相手ってなに?」
「私はそうだなぁ。やっぱり心珠かな~。お嫁に欲しい!」
「それわたしが小学校のころによく言ってたよね」
「うん、今もおんなじ。心珠はおねえちゃんがお嫁さんじゃイヤ?」
「……うぅん、わたしもおねえちゃんみたいなお嫁さんが欲しいな」
終
ふと短編姉妹百合を書きたくなったので。
絡みとしてはライトですが愛情は重い。そんな感じです。