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雪の降らない冬

作者: odayaka




 「寒いは、寒いんだがね」


 彼女は手のひらを擦りながら、図書館の窓から見える校舎の前の空き地を見下ろした。一月二日、冬休みの朝にそんな場所に立っている人なんていない。――では、図書館にいる僕らは一体何なのか、と言う話ではあるのだが――僕は持参したポットで沸かしたコーヒーをマグカップに注ぎ、彼女に差し出した。両手で恐る恐る受け取った彼女は、唇を湿らせる程度に口をつけて、顔を顰めた。


 「雪が降らないと、やっぱり冬らしくはない」

 「そうですね。昨日、降りましたけど、積もりませんでしたし」


 彼女はきょとんとした顔で、僕を見つめた。


 「降ったの?」

 「降ってましたよ。ちょうど、車中にいたので、良く見えました」

 「あられ?」

 「粒は大きかったですが。でも、積もらないところを見ると、そうかもしれません」


 そうかー――彼女はため息をついた。お世辞にもアウトドア派とは言えない彼女は、外界の変化に気づきにくいところはあるんだろう。雪が降っていても、積もらなければ気付けない、と言うのは、割と人生を損している、と言うことになるのかもしれない。

 それでも――僕も同じようにマグカップにコーヒーを注ぎ、口をつけた。やや熱い程度のコーヒーは砂糖もミルクも入れていない所為で、ひどく苦かった。以前は、沸騰したお湯をそのまま入れて来たので、大変なことになった…、そんなことを思い出す。

 図書館の中を眺める。僕らが卒業した頃と同じように、漫画の量もそこそこ多い。こういう学校は実は珍しいことを、卒業してから知った。司書さんのセンスだろうか、図書館に人を呼び込む工夫がそこにはあったのかもしれない。

 高校の頃は、良く本を読んだ。漫画、小説に限らず、だ――模試の時に題材にされた小説を読んだ。その作者の作品を読み漁った。どれもこれも、ハッピーエンドにならないまま、終わる。その頃の記憶があって、もう、その作者の作品はついぞ読めなくなってしまった。その作者の連載していた作品の続きも、読めなくなった――今でも時折、読みたくなる。こんな、コーヒーを飲む時には。


 「何を懐かしい顔をしてるんだい?」

 「そんな顔をしていましたか?」

 「うん。していた。人が過去を懐かしむ時には、そんな顔をするんだね」

 「はあ。どんな顔か、想像もつきません。どんな顔をしていましたか?」

 「そうだねー」


 彼女は顎に指をあてて、何故か妙に、得意げな顔をしていた。子供が、覚えたての言葉を、良く口にしたがるように…、いや、大人も割とする行動かもしれないが。


 「懐かしそうな顔?」

 「そのまんまですね」

 「悲しくなさそうになのに、悲しそうな顔?」

 「はぁ、矛盾しているような」


 していないような――僕は自分の顔を想像した。その顔はデフォルメされた漫画のキャラのような顔で、ひどく、おかしかった。


 「笑うなんて酷いな」

 「すいません、なんだかおかしくて」


 何故なんだろう。現実感が沸かない――埃っぽい図書館の一室。入り口に入って、図書委員さんの座る椅子、その前にカウンター。奥、窓際に、ライトノベルと文庫本の漫画。百科事典の納められた背の低い棚が窓の下に並んで、その奥に背の高い棚が四つほど並んでいる。ハードカバーの小説が無数に収められている――僕は、その一つを手に取った。過去に読んで、今はもう読めない小説のタイトルを口にする。


 「私は嫌いだったな、その作者」

 「僕は好きでしたよ。今でも、嫌いにはなれません」


 本を棚に戻す。彼女は、嫌いと言いながらも、そうは思えない顔をしていた。


 「私は――」


 彼女が言葉を口にしようとした瞬間。

 廊下を叩く足音が、聞こえた。


 「ふむ、そろそろ退散すべきかな?」

 「そうかもしれませんね」


 僕は持ってきたものをすべて風呂敷で包んだ。

 彼女は窓を開き、辺りを見回した。人の姿がなかったのだろう、くいくいっ、と指で僕に合図をする。

 かぎ爪を先につけたロープを引っかけて、するするする、と降りていく。僕は風呂敷包みをロープに結わえてそのまま下ろした後で、自分も降りた。物音一つしない。僕らがいた痕跡は、開かれたままの窓、それだけだ。


 「今回の潜入も上手く行ったようだ」

 「何だか当初の目的から外れているような…。まあ、良いんですが」


 ふーっ、と額の汗をぬぐう彼女を見、僕は校舎を見上げた。

 きっと、今、この時を過ごしている子たちは、将来、こんな気持ちになるなんて、想像もつかないだろう。こんなに、あの場所が、あの時間が、いとおしく思えてならなくなるなんて。

 何にも良いことなんてないように思えていたけれど、確かに、僕はあの場所にいた、と言う、ただそれだけのことが。

 ただ、それだけのことが、それだけで良かった、と思えるようになるなんて、きっと、信じられないに、違いないのだ。



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