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スカーレット・ホロウ  作者: 黒崎江治
ミッション1 廃病院
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四話 ラピッドサイクラー

 緒方が取ったデリバリーで昼食を済ませてから、京子は一旦ポイズンハイドレートに戻った。シャングリラが活気づく夜に備え、夕方まで仮眠を取るつもりだった。


 湿った靴下を脱ぎ捨て、耳からウィスパーを外してモニターに繋ぐと、月華のアバターである黒いウサギが表示された。ウサギはその赤い目で周囲を見回したり、鼻をひくつかせたりしながら、モニターの中を動き回る。


 二、三日に一度、月華は充電と収集データの整理を兼ねた接続を要求する。犬の散歩と似たようなものだ、と京子は理解している。


「月華、調べものして」


 声をかけると、こちらに尻を向けていた月華が振り返る。


『なにを調べる?』


「フィリピン人マフィア、電子ドラッグ、アスール、あとはそれっぽい、青に関係する単語。それが売り買いされてそうな場所を掲示板とかSNSで」


『はいはぁい』


「十七時になったら起こして」


 それだけ言うと京子は再び横になり、布団を被って目を閉じた。寝入りは早いが、眠りは常に浅い。この仕事をするようになってから身についた特性だ。


 そして午後五時。京子はタイマーの音で目を開けた。腹筋を使って身体を起こし、一度大きく伸びをする。


『検索とフィルタリング、終わってるよ』


 モニターに映ったウサギの横には、積まれた紙束が表示されている。


「見せて」


『オーケー。売買がおこなわれているらしい場所を、期待度が高い順に挙げると――』


 月華がピックアップしたのは、シャングリラの中心部から少し南へと離れたところにある何件かのクラブだった。主な客層としては、あまり富裕でない地元の若者や、シャングリラの薄汚い部分も楽しみたい通ぶった観光客。


 体験のクオリティはひとまず置いておいて、盛り上がれれば構わない、という種類の遊び場だ。


 接続を切ってウィスパーを装着し、クローゼットの引き出しに詰めてある札束から二千ドルほどを財布に入れておく。


 一階に降りた京子は、シェリーに深夜までの外出を告げた。ポイズンハイドレートは午後六時からの営業なので、今日は手伝えるかどうか分からない。


「これからちょっと忙しくなるから、家賃払うことになるかも」


「それは構わないけど、大丈夫? 危ないことしてない?」


「大丈夫大丈夫。調べものだから」


 少なくとも当面は。その後どうなるかはカルテル次第だ。


「月華の調子はどう?」


 角ばった氷をアイスピックで削りながら、シェリーが尋ねた。


「使えてるよ。ありがとう」


 京子が身につけているウィスパーとインストールされている月華は、ここに住みはじめたときにシェリーから貰ったものだった。色々と特殊な機能が追加されている代わりに、時折メンテナンスが必要となる。


 彼女はソフトウェアの扱いに長けていて、挙動に違和感が出てきたときにはすぐさま調整してくれる。


「じゃあ、行ってきます」


 ジャンパーの内側にホーネットを隠し、京子はポイズンハイドレートを出発した。


 シャングリラ周辺では電車やバスも使えるが、開発が進んでからは多くの人間がタクシーを利用するようになった。


 運転手にしてみれば、駅とカジノ、あるいは繁華街を往復していれば客に困ることはない。ここ十年、タクシー運転手は合法非合法を問わず、喰いっぱぐれのない職業として認知されていた。


 とはいえ今回、ポイズンハイドレートから目的地までは歩いて十分もかからない。午前のようなことを警戒するならばタクシーを拾うべきだが、無風地帯はそもそも車通りも少なく、待ったり呼んだりする間のことを考えるならば、さっさと行ってしまった方がむしろ安全だった。


 西に浮かぶ雲が朱に染まっている。空を突き上げる摩天楼は、既に煌びやかな灯りを纏っていた。


 夜になると、シャングリラは狂乱に近いほどの賑わいを見せる。以前横浜中華街と呼ばれていたエリアは、今やオールド・チャイナタウンと呼称を変えた。


 オールドとは言うが、繁華街としての熱量は年を追うごとに増大の一途を辿っている。決して広くはない領域内に様々な趣向を凝らしたビルが立ち並び、それぞれが空中回廊や地下街で接続されている。


 テナントは飲食店やバーを主として、欧州ブランドの宝飾品や衣料品、ビル一棟丸ごとのギフトショップ、最先端の電子機器を扱う小売店などが多く、映画館やギャラリー、屋内スポーツ施設なども揃っている。


 通りではホログラム看板が歩道にまで進出して客を誘い、地面に埋め込まれたディスプレイやライトが夜なお明るく人々の足元を照らす。もちろんその全てにイースト・シャングリラ社が関わり、楽園を注意深く管理している。


 オールド・チャイナタウンに満ちる華やかさと、多様な人種・文化の中に在ってみれば、緋色の髪などごくごく凡庸な属性に過ぎない。それでも、向けられる視線にやや神経を尖らせつつ、月華のナビゲートに従って歩く。


 やがて辿り着いたのは広大な地下街への入口。エスカレーターを覆うトンネルの内壁は白く滑らかだが、吹き上げてくる風には濃い人間の生活臭が混じる。


 あまり長居したくはない場所だ。京子はエスカレーターの黒いステップに身を任せ、地下へと潜った。


 シャングリラの地下街は、文句なしに世界最大の規模を誇る。一帯の土地はイースト・シャングリラ社が占有しているため、地下空間の開発にほとんど制限がないからだ。


 しかし結局、人は地表の上を歩くのが好きらしい。最も金を持っていそうな人種が、地下街にいつくことはなかった。


 湯水のような資本を投下したこの場所に定着したのは、小汚いクラブや性風俗店、低賃金労働者や密入国者の狭苦しい住居。


 不当に土地を占拠している輩も多いが、イースト・シャングリラ社も雑菌まみれのモグラが地上に出てくるのを嫌うのか、一掃される気配はない。挙句、なんのひねりもないモグラ街というあだ名がつく始末。


 京子はエスカレーターを降り、幅だけはあるコンコースを進んでいく。左右に雑然と並ぶのは、台の上に商品を置いただけの怪しげな店舗。そのうちの半分以上は偽造品や盗品を扱っている。AIでも電子音声でもなく、淀んだ目としゃがれた肉声が客を呼ぶ。


 それらを無視し、月華がピックアップした店舗を一つ一つ潰していく。酔客の群に目を凝らし、ウェイターに金を握らせて話を聞き、絡んでくる男から情報を引き出す。


 一件目、二件目は残念ながら空振り。三件目に訪れたのは、Rapid(ラピッド) Cycler(サイクラー)という名のダンスクラブだった。


 外壁に埋め込まれた大型の平面ディスプレイには、サイケデリックな幾何学模様が拡大と縮小を繰り返しながら絶えずぐるぐると回転している。


 入口のドアをくぐると、BGMに混ざる重低音が京子の鼓膜を震わせた。店員に料金を尋ねると、女性は男性の半額。内部は細かくうねる曲面の壁に囲まれた広い空間で、白と灰色を基調としたデザインは、外観ほどには派手でない。


 フロアの中央にいる二十人ほどの客は、全員が両目を覆うヘッドマ()ウントデ()ィスプレイ()を装着していた。京子には見えない、おそらくは極彩色の刺激に身をよじらせているのだろう。


 こういったクラブが主流なわけではないが、二〇一〇年代から急速に発展した仮想現実(V R)の技術は、今やある種の娯楽に不可欠な存在となっている。傍から見れば気味の悪い光景だが、調査には都合がいい。売人がいるとすれば、HMDは着けていないはずだ。


 カウンターに行き、ビール少なめのシャンディガフを頼む。酒やVR映像に酔った様々な国籍の若者が数人、ややぐったりとした様子で席に着いていた。


 怪しまれないよう、フロア全体をそれとなく観察する。はじめそれらしき人間は見つからなかったが、二、三分待ったところで、トイレから二人の男が出てきた。


 しばらく見ていたが、片方はHMDを着けてフロア中央の輪に加わるでも、カウンターで休むでもなく、トイレ脇の壁にもたれかかったまま、ぼんやりと周囲に目を遣っている。


 京子はフロアの反対側にいるその男に目星をつけ、接触してみることにした。飲み物をカウンターに置き、壁際を移動する。近づいて行くと、男がじろりとこちらを見た。深く被った白いキャップ。その下にある顔は東南アジア系だ。


「フィリピン?」


 月華に尋ねる。


『フィリピン』


 99%の確信に満ちた答えが帰ってきた。京子はさらに歩み寄り、単刀直入に尋ねる。


「アスール、ある?」


 売人らしき男はぼんやりと視線を彷徨わせたまま、抑揚のない日本語で答えた。


「あるけど、あなたに売らないよ」


「なんで。女性差別?」


 冗談を言ったつもりはなかったが、男はふっと息を吐くように笑った。


「お姉さん、スカーレットな名前?」


「誰から聞いたの。アスール・カルテル?」


 男は黙って肩をすくめる。肯定と取って問題ないだろう。


「赤い髪の女見たら教えろって言われたよ」


「ふーん」


「お姉さんカワイイだから忠告するけど、カルテルと関わるよくないよ」


「私も好きで関わってるわけじゃないけどさ。仕事だから」


「スカーレットだったら腕に自信ある? カルテル怖いよ。近づくよくないよ。知り合いの弟、目玉抉られて、下水に浮かんだ聞いたよ」


 男は右手の指を細い刃物に見立て、目の横をぐりぐりと突く真似をしてみせた。


「あいつらどこにいんの?」


「なにも教えられないし、力なれないよ。お姉さんカワイイ。でもワタシ自分の身もっとカワイイ」


「かわいいのはもういいよ」


 京子はため息をついた。これ以上踏ん張ったところで大した情報は得られないだろう。彼らは所詮末端の売人で、恐怖と金で支配されているだけの存在だ。しかし得た情報をそれとなく漏らすことぐらいはできるだろう。


「お兄さんも目ん玉ほじくられたくないだろうから、私のこと聞かれたら正直に言っていいよ。お互いに手間が省けるし」


 その言葉が意外だったのか、男は顔を上げ、少しの間京子の目をじっと見つめた。


 売人に賄賂として一〇〇ドル渡し、ラピッドサイクラーをあとにする。現在時刻は午後九時。仮眠をとったとはいえ午前中から出ずっぱりで、これ以上動くのが面倒になってきていた。


 今日のところは切り上げることにしようと決め、京子はさらに人通りが増しつつある繁華街に背を向けた。

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