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スカーレット・ホロウ  作者: 黒崎江治
ミッション4 虚影の還る場所
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二十一話 屍

 計画は最終局面にあるが、京子の胸中に感慨や高揚はなかった。むしろ戸惑いや焦燥がわだかまり、じんわりとした不快感を催させていた。


 冷えて固まった復讐心が局面の過熱とともに溶けだし、神経の恒常を乱しているようだった。毒に似たそれの血中濃度が安定すれば、また心持が異なってくるのかもしれない。


 体内に偏在する不快感を攪拌し、均すように、京子はトレーニングルームで蹴りを放ち、射撃場で的に弾丸を撃ち込んだ。それと並行して、ダイユーの内部構造と、発着場周辺の地形を入念に確認した。


 ダイユー襲撃まであと三日。緒方と嵐航の会談以降、各陣営に目立った動きはない。もっとも、水面下では様々な物事が慌ただしく動いているに違いなく、シャングリラの剣呑な空気は解消されるどころか、日々その電圧を増しつつあった。


 黒豹事務所ビルの地下二階。広い射撃場となっているこのフロアには、午前の早い時間であるにも関わらず、京子を含めた数人が射撃練習に励んでいた。無機質なコンクリート壁の室内に、途切れることなく銃声が反響する。


 普段起こるようなトラブルならば拳銃で対処できる。しかし今回の仕事は危険度もスケールも桁違いだ。だから計画に先立って、様々な武器が仕入れられた。


 京子が使っているのと似たようなPDW、ショットガン、アサルトカービン、そして各種の手榴弾(グレネード)。付け焼刃でもそれを身体に馴染ませようと、黒豹の中でも武闘派の構成員が試射をおこなっている。


 もし京子が望んだなら、ホーネットより火力の高い武器を回してもらうこともできただろう。しかし狭い船内で人間を撃つのであれば、SCAP弾程度の威力があれば十分だ。あえて不慣れな武器を手にすることによるメリットが大きいとは思えない。


 もちろん、新しい武器を嬉々として手に取る人間もいる。緒方がそれだ。今は隣で、半自動(セミオート)のアメリカ製ショットガンを遠慮なしに撃ちまくっている。


 京子はそれに集中を乱されないよう、二十メートル先にある人型の的に俊豪の顔を重ね、繰り返し繰り返し、正確に弾丸を撃ち込んでいく。


 ホーネットに込められた三十発を撃ち尽くし、弾倉を新しいものに交換する。

自分が銃を向けたとき、俊豪の顔は恐怖で歪むだろうか。撃ち手の顔を見たとき、かつて殺した公安の面影を重ねるだろうか。


 あるいは、そういった劇的な遭遇など一切ないかもしれない。シャングリラでの三年間、京子が直面した死に際は常にあっけなかった。


 もしそんな終わりを迎えたとき、果たして復讐心は満たされるのか。自分の心にはなにが残るのか。そもそも、それを考えることに意味があるのか。


 物思いから覚めた直後、京子の頭上で轟音が響いた。地震ではない。先日車を爆破されたときと感じが似ていた。


 防音具(イヤーマフ)を外し、緒方と視線を交わした。なにかよからぬことが起こっている。構成員たちも異変に気づき、一斉に緊張した面持ちとなる。


 京子はカウンターに置いてあったウィスパーを装着し、射撃場の出口に向かった。


 構成員の一人にドアを開けさせ、素早く周囲を索敵する。近くに不審な人影はないが、上階から断続的な銃声がする。どうやら襲撃を受けているらしい。


「どこのバカだ、玄関でドンパチやってんのは」


 忌々しそうに吐き捨てた緒方と共に、階段を駆ける。地上に到達する直前、胴体に銃弾を受けて倒れた人間が、ごろりと踊り場に落ちてきた。丸刈り――リュウの死体だった。


 京子は階段から頭を出し、状況を確認した。前方にはエレベーターホール。そこでは数人の構成員がこちらに背を向け、正面玄関方面に射撃を加えている。同時に正面玄関からも、こちらに撃ち込まれる弾丸がある。


 すぐ傍には、マンティスを構えた柏木の姿もあった。


「健一ィ! 状況を報告しろ」


 緒方が怒鳴る。


「見りゃ分かるでしょ! 屍の連中がいきなり襲ってきたんですよ! 二階がRPGかなんかで滅茶苦茶!」


 どうやら先程の爆発音は、外側から撃ち込まれた対戦車兵器によるものらしい。運悪くその場に居合わせた人間は、何が起こったのかも分からないまま焦げた肉塊と化しただろう。


「今、入ってきたのをなんとか押し返して……」


 エレベーターフロアや玄関付近には、敵味方の死体が入り乱れるような形で転がっている。建物の外には数台の車両が出口を塞ぐように停まっており、それを遮蔽とした敵の姿が見え隠れする。


 全身を覆うタクティカルスーツ、物々しいヘルメット、構えるアサルトライフルまで黒で統一された戦闘員。屍と呼ばれる潘俊豪直属の精鋭部隊だ。


 蠢く気配と弾幕の濃さから、京子は二個班十二人程度が動員されていると見積もった。月華も九二パーセントの精度でそれと同じ予測を告げる。


 味方も頭数こそほぼ同じだが、半数は拳銃しか持っていない。奇襲されたという心理的な不利と遮蔽の少なさを、気合と根性でなんとかカバーしているといった具合だ。


 犠牲を覚悟で侵入した部隊を排除していなければ、あっという間に殲滅されていただろう。


 しかしこのままでは全滅も時間の問題だ。今この瞬間、裏口から別動隊が雪崩れ込んできてもおかしくない。それにもう二、三分もすれば、さらに多くの人員が投入されるかもしれない。


 なぜこうなったか? なぜこのタイミングなのか? 気がかりはあるが、のんびり考えている余裕はない。まずこの致命的な包囲を突破しなければ。


「緒方さん、援護ちょうだい」


 京子は言った。


「死にたいのか? 俺が出る」


「ボスが出てどうすんの。バカじゃない」


「うるせえ。仕方ねえな、譲ってやるよ」


 緒方が具体的な命令を飛ばし、生き残っている構成員たちがそれに従う。いっとき全員が沈黙し、一斉射撃の準備を整える。


 これで失敗すれば次はない。


 合図とともに京子は強く床を蹴り、壁スレスレのラインを疾走した。玄関までの距離はおよそ十五メートル。援護射撃とともに緒方たちも前進する。


 カービンのライフル弾が車体の鉄板を穿ち、ショットガンの散弾が窓ガラスを粉砕した。鉄、鉛、硝煙。致命の風が吹き荒れるキルゾーン。


 スカーレット、と敵方の誰かが叫ぶ声。そこに窺えるわずかな驚愕と戦慄の響き。


 相手が女だから。巷を騒がせる殺し屋だから。死を恐れぬ無謀な突貫だから。あるいはそのすべてか。正確な理由は重要でない。時計で測ればコンマ五秒の隙だが、生死を分けるには十分過ぎる。


 鈍化した時間と鋭敏になった感覚の中で、京子は前方で動く者すべてに精密無比な射撃を加えた。ホーネットから放たれた弾丸がヘルメットのバイザーを貫き、アサルトライフルを持った手指を吹き飛ばした。撃ち返された銃弾が太腿を掠ったが、一筋の浅い傷を作っただけに終わった。


 エントランスのガラスは既に粉々だ。屋外に飛び出した京子は直角に進路を変え、敵部隊の左翼に回り込んだ。


 屍の一人がこちらを狙い、トリガに力を込める。京子はそれよりも速くトリガを引く。黒いタクティカルスーツが裂け、その内側にある肉が突き破られる。不気味な存在と恐れられてはいても、身体の造りはほかの人間と変わらない。


 なにが屍だ。調子に乗るな。


 緋色が黒の一角を食い破り、正面では手負いの獣が牙を剥く。


 三人、四人と死傷者を出し、襲撃部隊の動揺は大きくなった。このままいけば、包囲を突破できるかもしれない。そんな希望が見えはじめたとき、再びの爆発音が空気を揺らした。


 出所はビルのエントランスだ。今さっき味方がいたはずの場所を、灰色の煙が覆っている。


 なにが爆発した? どこから爆撃された? 巻き上げられた粉塵の切れ間から、ぼろきれのようになった人影が見える。そしてよろめき出てきた生存者が一人。緒方だ。


 致命傷にせよそうでないにせよ、あのままでは格好の的になる。


『うしろから車!』


 月華の警告。状況は混沌を極めている。しかしそれは敵も同じだ。停止している暇はない。


 緒方のもとへ走る。次の瞬間、背後で激しい衝突音。京子は振り返らない。


 風で薄くなった煙の向こう。ふらつく緒方のさらに奥。エントランスの中に立つ男がいた。


 柏木だった。なぜあんな場所にいるのか。京子が目を留めるのと同時、彼の口元が歪んだ。


 今、嗤ったのか?


 視界の端で、屍たち衝撃から立ち直りはじめているのが見えた。困惑している場合ではない。緒方は負傷しているようだったが、その眼はまだ死んでいなかった。京子は残弾全てを撃ち尽くすようにして、離脱を援護する。


「乗れ!」


 先程突っ込んできた車から声がした。浅黒い肌に口髭。ドンだ。


 敵の銃弾で、フロントガラスが見る間に粉砕していく。京子は緒方を後部座席に押し込み、姿勢を低くした。


 エンジンの唸り。タイヤの猛烈な逆回転。銃弾が鉄を穿ち、シートを切り裂く。ガラスの欠片が靴の下で割れる。濃密な血の臭い。疲労した筋肉と呼吸器の灼けつくような痛み。


 逃げろ。逃げろ。三人は辛うじて指にかかった命をこぼすまいと、追いすがる死神に背を向ける。


 強烈なGとともに車が急旋回した。京子は足元に転がり落ちてきたドンのものらしき拳銃を拾い、風通しの良くなったリアガラス越しに発砲する。ガクガクと揺れる車内からでは狙いも覚束ないが、どうやら敵も追跡するほどの余裕はないらしい。


 しかし今度は運転が怪しくなった。歩道に急接近したかと思うと、今度は反対車線に飛び出しかける。


 京子は弾切れになった銃を放り出し、後部座席から身を乗り出す。そこではじめてドンが血塗れであることに気がついた。喉からごぼごぼと溢れ出る血が、身体の前面を赤黒く濡らしている。その手はいまだハンドルを掴んでいたが、もはや操縦というレベルではない。


 決死で救助してくれた仲間を見捨てるのは心苦しかったが、ここで道連れになっては意味がない。京子がサイドブレーキを引くと、ガリゴリと妙な音を立てながら車が減速した。


「緒方さん、動ける?」


 それに答える呻き声。


「……ああ。なんならオリンピックにも出られる」


 少なくとも、軽口を叩くだけの余裕はあるようだ。


 車が停まるのを待たずにドアを開け、転がり出る。


 立ち上がると周囲はほとんど無人だった。先程の現場からは二〇〇メートル。あれだけ派手にやれば、野次馬するのも腰が引けるのだろう。


 どこか身を隠せるところはないか。ゆっくり休息はできなくとも、追跡を躱せる場所は。


 そのとき目に入ってきたのは、モグラ街――地下街への入口だった。


 車が入れないというだけでも地上よりはましか。京子は追手の影と緒方のダメージを気にかけながら、生臭い風が吹くモグラの住処へと逃げ込むことにした。

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