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スカーレット・ホロウ  作者: 黒崎江治
ミッション4 虚影の還る場所
20/27

二十話 第三段階

 ヤンの部屋で眼に強烈なライトを浴びたのが三日前。その後、京子は回収されて事務所に戻り、呼び寄せられた眼科医に診察を受けた。処方された点眼薬を使いながら、薄暗くした部屋で大人しく療養し、ようやく昨日、頭痛が収まってきた。


 心配していた後遺症や違和感は残らなかった。京子より重傷と思われた柏木も、まったく問題なく回復した。


 緒方から連絡が来たのはそんな折だった。用件と集合時間を告げられた京子は、療養で鈍った身体をストレッチでほぐしながら、初めて相まみえることになる大物の顔を想像した。


 翌日の午前。指定された服装に着替え、いつも通りホーネットを携行品に加え、マンションまで迎えに来た黒塗りのリムジンに乗り込む。もう三分ほど待つと、柏木が着崩したスーツ姿で現れた。


「相変わらず、ヤクザっていうかマフィアっていうか……」


 京子は言った。


「だって事実そうだし……」


 車は一旦黒豹の事務所に向かい、緒方を拾う。今日は彼もスーツ姿だ。


「よう。パンツスーツも悪くないな」


 緒方は京子の服装を見て言った。


「これはなんなの? 決まりなの?」


 「お前……。相手はあの潘嵐航(はんらんこう)だぞ? いくらボディガードっつっても、ジャージじゃまずいに決まってるだろ」


 今日、緒方は嵐航と会う。ヤンによる情報漏洩の一件はあったが、それでも計画は前に進んでいるのだ。通信で済ませず対面の機会を持つのは、局面が大詰めであることを示していた。


 リムジンが向かったのは、ネオランドマークの北東にある大きなホテルだった。櫛切りしたオレンジのような形をしたこのホテルは、この一帯がシャングリラと呼ばれる以前から存在し、イースト・シャングリラ社のIRに収益を吸われてなお、独立を保ちながら辛うじて生き残っている。


 外出したのが三日ぶりだからか、京子はシャングリラの雰囲気に対して微妙な違和感を抱いた。視覚の異常ではない。それは危険に身を置く人間特有の嗅覚と触覚によるものだった。


 空は晴れているが、気温は低い。道行く車。桜木町の人通り。どこか静かで、緊張している。


 違和感の正体をじっくりと分析する前に、車は会議場や展示場として使われる施設を通り過ぎ、目的のホテルに到着した。ベージュ色の光に照らされたロータリーで、待ち構えていたスタッフが車の扉を開く。ホテルのボーイではなく、銃を懐に呑んだ黒豹の構成員だ。


 エントランスをくぐると、白い大理石が使われた秀麗なホールがある。豪華さという点で見ればIRのホテルに劣るが、ここには金をかけるだけでは創ることのできない品格が漂っていた。


 京子たちはフロアを横切り、奥のエレベーターに乗って、上層のロイヤルスイートを目指す。


「緊張してんの?」


「スーツの着心地が気に入らない」


 京子はもぞもぞと身体を動かした。


「ずっと着てれば慣れるもんだよ」


 エレベーターを降りた先、二十九階フロアには静謐な、しかしどこか張り詰めた雰囲気が漂っていた。一室だけあるロイヤルスイートの前には、厳めしい顔をした警護の人間が立っている。スーツの胸についたバッジには、雷を振り上げる男が描かれている。ユピテルのマークだ。


 金属探知機でボディチェックはするが、銃は取り上げられない。少なくとも建前上、緒方と嵐航は対等なのだ。しかし盗聴を警戒してなのか、ウィスパーは置いていくよう求められた。特に抵抗する理由もないので、大人しく従う。


 ドアをくぐると玄関ホールがあり、その奥には白を基調としたリビングダイニングがある。ここが会談の場所だ。窓からは横浜港の景色がよく見えた。沖には客船やタンカーの姿。


 リビングには先程とは違うユピテルの人間がいた。京子は一瞬反応しそうになったが、目を逸らしつつそれを押さえた。


 この男はいつも予期しないときに姿を現す。ドミニク・ブラッドフォードは、やや堅苦しい態度で、緒方の来訪を歓迎した。


「ミスター潘はまもなくいらっしゃいます」


 幸い、ドミニクも京子を知らないという体で通すつもりのようだった。別にうしろめたいことがあるわけではないが、所属する組織同士が利益を喰い合う可能性がある以上、面識があることをわざわざ明らかにするメリットはない。


 少し待つと、部屋のドアが開き、高級スーツに身を包んだ男性が姿を現した。


「ごきげんよう。直接お会いするのははじめてですね。ミスター緒方」


 潘嵐航。日焼けした肌。丁寧に撫でつけられた黒い髪。背は高く、顔はやや面長。微笑んだときに見えた歯は白く、いかにも有能なビジネスマンといった印象だ。


 視線に気づいたのか、嵐航が京子の方に顔を向ける。


「スカーレット」


 嵐航は言った。呼んだのではなく、単に確認しただけだ。好奇と、詮索と、多分の侮りを込めて。彼の顔立ちはあまり父親に似ていなかったが、瞳の中には、父親の――瑠璃色に金の縁取り――ものと似た、ほの暗く揺らめく野心の火があった。


「会うまでは中々信じられませんでしたが、実在していたとは。女性だったのも意外でしたよ。緋色の髪を持つヒットマン。映画にでもなりそうだ」


「……」


 京子は黙っていた。こんな物言いをする相手には、愛想を振りまく理由もない。緒方も特に咎めなかった。


「随分と暴れ回っていたようですね。でも、緒方さんのような人物の下についたのは賢明だと思います。その銃口が私に向かないよう祈りましょう」


 俊豪の息子であるということを差し引いても、気に喰わない男だった。しかし京子はその程度で敵意を剥き出しにするほど、理性の欠けた人間ではない。


 嵐航は京子から愉快な反応を引き出そうとするのを止め、ようやく席についた。しばらくは緒方との間で、シャングリラの情勢に関するとりとめのない話が続く。京子にとってはさほど意味を持たないやりとり。しかし当の二人にとっては、言葉の端々から真意や実情を探り合う心理戦だ。


 こんなことをするくらいなら、拳や銃弾をやりとりする方が簡単なのに。京子は緒方の後頭部を見つめながら思う。しかしそれでは金にならないらしい。面倒なことだ。


「そうそう。例の計画についてですが……」


 まるで今思い出したような調子で、嵐航が本題を切り出した。


「CEOは七日後の夜、華南軍閥の高官と会うことになっています」


 CEOとは言わずもがなイースト・シャングリラ社のそれを意味し、とりもなおさず潘俊豪のことを指す。世間話の間も俊豪に言及されることはあったが、嵐航は決して父や俊豪という言葉を口にせず、彼もしくはCEOという呼称を使った。


「ほう」


「それも〝岱輿(ダイユー)〟の上で。わざわざ酔狂なことです」


 ダイユー。古代中国の神話に由来するというその名前は、京子も話に聞いたことがある。俊豪が個人で所有するという大型船舶だ。それに乗り、海からシャングリラを眺めて悦に浸るのだろう。


「警護の担当は?」


(シー)の連中がやるでしょう。しかしそれは船の中だけ。沿岸警備の衛兵力は、多少の増員があるくらいだ」


「それでも、掌握するのは中々骨の折れる仕事になる」


「そこは彼らに任せます。彼らはセキュリティの専門家ですからね」


 嵐航はちらりとドミニクを見遣った。


「あなた方には手を汚してもらう。兵隊たちには、多少の流血もしてもらうことになるでしょう。しかし雑事はこちらで片づけておきますし、後々の見返りは確実にお約束します」


「それはありがたい。なんせウチは頭に筋肉か火薬の詰まったバカが多いもので」


 冗談に対して、嵐航は儀礼的な笑いを漏らす。


「ところで、CEOと会う華南軍閥の高官とやらは、気にしなくても?」


 緒方が尋ねた。


「考慮する必要はありません。彼らは内ゲバに必死で、こちらに干渉してくる余裕はない」


「なるほど。いよいよ大詰めか」


 その表情に浮かんだのは、野心の満足とはまた違った子供っぽい興奮。緒方は案外、成否に頓着しない。失敗したら時の運と諦め、次の手を考える。いい部分でもあり、鼻につく部分でもある。


「確かに一つのクライマックスではありますが、また別のはじまりでもあります。お互い、よい節目が迎えられるといいですね」


 会談の核心となる部分は思いのほかあっさりと終わり、あとはまたなにげない話題に戻ったが。それも長くは続かず、結局、嵐航が入ってから出ていくまでは一時間に満たなかった。彼が退出すると、ドミニクもそのあとを追った。


「どうだ、京子」


「別に」


「別にってことはないだろ」


「今更だけど緒方サン。あの男って信用できるんですかね」


 柏木が言った。窓際に寄り、カーテンを除けて外を見ている。


「さあな。ただ、やると言ったことはやるだろ。今回のことが露見すれば火だるまになるのはアイツの方だ。余裕そうに見えて、安全圏にいるわけじゃない」


「少なくとも、好きにはなれない」


 京子が吐き捨てるように言うと、緒方は楽しそうに笑った。


「この業界の人間を好くようになったら終わりだろ」 


「……そうだね」


「さて、面倒は終わった。下で旨いもんでも食べてくか」

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